【シンガポールで考えたこと】少数派でいることの価値についてと今後の課題
2 少数派でいることの価値
この間の記事にも書きましたが、
授業で先生から
「Why aren’t you shy? A lot of Japanese are very shy.」
(なんで多くの日本人はシャイなのに君は恥ずかしがらないの?)と聞かれました
僕は、
「Maybe, a lot of Japanese don’t want to be hate. But I don’t think so, I don’t want to make friends」
(多分多くの人は嫌われたくないからじゃないかな。僕はそうは思わないけど)と返しました
そう言えた時に自分は自分の中で気づきがありました
しんどくても周りに合わせている方が良いと思っていた自分から変化しつつあると思いました
昔から自分は自信がなくて周りに合わせて来たように思います
自分の好きなことに気づくアンテナの感度がどんどん下がっていて、自分でも自分の好きなことが何かわかりません
でも今はそう思わないし、フィリピンに来てから徹底して自軍のやりたいことだけをやっていますが
そのほうが居心地のいいことに気づきました。
それに少数派の生む価値の大きさにも気づきました
多くの人がやっていることをやらず、多くの人がやっていないことをやるということに価値があると思います
別に逆張りをしているわけじゃないですが、例えば
ご飯を一緒に食べたら昼食時間長くなるし自分のやりたいことする時間少なくならない?
(何かに参加するとか)判断するときの条件が友達の有無だとしたらそれは自分がやりたいことなの?
多くの人がやっていることが自分のやりたいことである根拠ってなくない?
などの疑問が出てきます
今回の旅行の中で友人がこんなことを言っていました
「やたらとジェレラリスト(バランスよくなんでもできる人)がロールモデルとして根強く存在するけど
いざ仕事をしたらスペシャリスト(一つのことに特化した人)が求められる」
僕もこの言葉に本当に同意します
なんでもできる人は何か抜群に成果を出せることはないでしょうし、
スペシャリストが互いに分担するのがチームだと思います
大多数の人がやっているから自分もやらなければという石井は錯覚で、
例えやっているのが自分一人でもそれが自分の好きな事ならそれでいいです
フィリピンに来てから生まれて来た意識が今回シンガポールで友人と話した事で言語化することができました
本当に感謝しています
以前までは「やりたい」と思うことに自信が持てず人目を気にしていました
今はとにかく「やりたい」と思うことなので人目を気にして手段を選んでいる場合じゃないと
思いながらフットワーク軽く行動に移せています
これからもそんな風に自分の体が動くようなことをどんどんやっていきます
今週は火曜日が休みなのでバイクを借りてセブの海沿いを走りにいきます
講師にも僕の思いが伝わって、スラムや共同墓地などのローカルについて聞けるようになりました
そのような場所にも今週は行ってみようと思います
残りの七週間(土日が休みなので最大で35日)、できるだけローカルに触れて
地元の方や講師の先生達とディベートしていきたいと思います
3 今後の課題
最後に今後の課題を書きます
1 やりたいことや好きなことを見つける
2 それが実現できている
現段階としてここまで進んでいますが、今のままでは消費しているだけです
もちろんお金を使って経験することは家庭として必要不可欠なので問題はないですが
好きなこと・やりたいことが消費活動として終わってしまうとしたら
それを賄うための仕事をしなくてはいけません
それでは前の職をやっていたときと何も変わっていないと思います
やりたいこと・好きなことを生産活動にして継続していくというのが今後の課題です