じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

違和感の正体を探ろう(中国上海1日目に考えたこと)

上海では僕が高校生の時の先生で、今は上海の日本人学校に勤務されている先生に上海を案内してもらいました。

この先生とは高校生の時には授業の教科担当という以外に大した繋がりはなかったのですが、

 

去年上海勤務をされているということを知り、

ちょうど僕も仕事を辞めようかな~という時期だったので先生に興味を持っていました

そして去年暮れの12月、父親とお酒を飲んだ帰り、

たまたま寄った京都三条大橋のスターバックス

たまたま日本に帰国して教え子と飲んでいた帰りにスターバックスに寄ったこの先生と遭遇し、

これはご縁だと思って「退職したら上海行きます」と言う話をしていた経緯がありました

 

 

 

 

そして今日、三条大橋スターバックスぶりに上海で再開することができました

 

この先生は30年、私立学校に務めてこられた先生なので僕とはまた事情が違いますが

それでもあえてそれだけ長く続けた職業を、55歳ぐらいで辞めて飛び出したのはなぜだろう?と思っていました

 

僕自身、教師を辞めて海外に飛び出した身なので

この先生には「何で辞めたのですか?」「今はどんなことを考えているのですか?」と、

聞きたいことを聞くことができました

 

 

4年の上海生活の中で日本が持つ中国への偏見を解きたいという問題意識があるとおっしゃられていました

 

 

僕らの会話の中で

・日本はルールや常識にとらわれてしまう人が多い

・上海やフィリピンはルーズで比較的に気持ちが楽である

と、頻繁に様々な例とともに出ていました

 

 

 

そのような会話は割と色々な人と交わすのですが、

その度に罪悪感のような違和感のようなものが僕の中に生まれていました

そして今回もそれは例外ではなく、いつもはモヤモヤで終わるその違和感を今日は言語化することができました

 

 

フィリピンに来て、僕は毎日「ここにいるのは楽だなあ」と感じてきました

その感情はおそらく学生という身分でなく、働いていたとしても感じるものだと思っています

 

しかし一方で、

「日本はしんどいよね」

「海外は楽だよね」

「だから海外で一生暮らすよ」

となるのはまた僕にとっては違うのかなと思いました

 

以前の記事で困窮邦人について書きました

 

 

彼らは日本を捨てて海外で何とか身を潜めて暮らしています。

「日本しんどいから海外で暮らそう」という選択肢はそれに似ているように思います

 

別に逃げるのが間違っているとは思わないですが、僕は逃げるために海外に来たわけではないですし、

以前しんどくて抜け出した日本に、この経験を経て戻った時に少しはサバイブできるような自分になっているのか試したいのです

それにやっぱり日本に何かしらの形で貢献できるようになっていたいとも思います

 

これまでのモヤモヤは、このような気持ちだったのかなと今日言葉にすることができすっきりしました

 

 

 

 

先生は海外に出てますます日本を意識するとお話しされていました

例えば南京大虐殺についての資料館に訪れた際に見た

「歴史は変わらない、でも人間は変わる」という言葉を見た時に

日本が未だに大虐殺があった、なかったという議論に終始しているということの不毛さに失望を覚えたそうです

日本人学校には複雑な国際的事情を抱える生徒もいるので踏み切るのは難しいですが、

いつかこの問題についても踏み込みたいと話されていました

おそらく先生の指向性と問題意識が合致した瞬間だったのだと思います

中国で感じた日本の国際的意識のギャップを埋めるという意識が先生のパワーを生み出しているのだと思いました

 

 

 

人が何かをするときに必要なのは、その人の指向性と問題意識が掛け合うということだと最近は考えています

「こんなことが気になる、好きだ、面白いと感じる」という気持ちと

「自分にとってこれは大きな問題で、自分が関わっていきたい問題だ」という考えが合致した瞬間、

使命感や天命という言葉に変わるのかなと思います

少なくとも僕の周りで仕事を頑張っている人の多くはこのような気持ちを持っている人しかいません

 

 

僕の指向性はおそらく「ローカル」「知らないこと」「文化」とかなのだと思います

小学校の頃から知らないところに行くのが好きでしたし、落ちている物、特に箱とか中身が見えないものとかを見つけると中身を確認せずにはいられませんでした。

高校でピント来たのは国語の授業で習った「セメント樽の中の手紙」。そのまま大学ではプロレタリア文学を卒論にまで昇華させました。

プロレタリア文学の多くは労働者が書いた手記。どローカルな文学なのです。

自分のこれまでを振り返った時に「後付け」という言葉ではごまかせない自分の指向性が浮かび上がりました

 

僕はこれから問題意識を探っていく必要があるのだと思います

そしてどうやらこの問題意識は、モヤモヤを一つ一つ丁寧に言語化することで明確になるのではないか思います

 

「なぜこのことについてモヤモヤと違和感を持つのか?」を面倒臭がらずに掘り下げていきたいと思いました

 

 

 

 

後期

ヒッチハイクをした時に、あまりにいい出会いばかりだったので

「自分は本当にいい縁を引き寄せる運だけは持ってるなあ」と感じたことがありました

あの時、三条大橋で先生に出会ったことも引き寄せた縁なんだろうなあと思います

 

僕は結構寂しがりやで人間関係とかは自分から作るようにしていたのですが、

最近は「意外とボ~ッとしていても向こうからやって来てくれるかも??」と

人間関係に対してだらずになっています

よく考えたら「友達作りのために友達を作る」こともおかしいもんね。