じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

異物感を受け止める

上海のスターバックスにふと立ち寄るとひたすらゴミ箱を漁ってQRコードが付いたレシートを集めているおじさんがいました

それも受け取りカウンターの真横のゴミ箱で。スタッフにもお客さんにも目に付くようなところでした

 

僕から見ると明らかな異物でしたが、注意どころか誰も気に留めてすらいませんでした

お洒落なカフェテリアで場違いなおじさんがゴミ箱を漁っているのに??と思いながら、

これが大陸の寛容さかな?と、一方で思うところもありました

 

同じくスターバックスで今日も先生といくつかの話をしていました

 

先生は僕に、

1 自分は海外に来て本当によかったと言うこと

2 日本の学校教育における「国際人」という概念の曖昧さと、その言葉を規定することの難しさ

3 日本の現状を知るためにもっと多くの人が海外に目を向けてほしいということ

ということを話してくれました

 

 

2 日本の学校教育における「国際人」という概念の曖昧さと、その言葉を規定することの難しさ

についてなのですが、僕は「国際という言葉を意識していない人」のことかな~?と今日考えていました

・いちいち海外に行くのに壁を感じないこと

・やりたいことがあるなら日本でも海外でも関係無く希求できること

 

例えば錦織圭選手は一流のテニスプレイヤーとして最高の環境を帰厩して海外に行きますが、

もし日本で全て最高の環境が揃うとすれば行く必要はないはずです

自分のやりたいことを海外を言い訳にしなかったりする人が交際人ということのエッセンシャルなのかなと思いました

 

現在の教育では国際人の育成という教育目標はとても普遍的なものですが、

実際、その目標を達成するために何をするのか、の段階で英語力の向上を主軸にしていることが多い気がします

だけど言語は道具であって、それをどう使うかの人の育成が大切なのにそこまでの追求ができていないのが現状だと思います

 

 

3 日本の現状を知るためにもっと多くの人が海外に目を向けてほしいということ

これは先生が二日間、繰り返しおっしゃっていたことですが、僕は違和感を持ちました

 

「海外に行って視野を広げよう」という言葉はありふれています

海外に対する固定概念が変わって、日本の現状がわかって、その後何に繋がるのかがわかりませんでした

「中国に行ってみて、意外と空気が綺麗で、インフラが整っていて、食べ物が美味しくて、お洒落な人が多いことがわかりました」

知らないことが知れてよかったね、というレベルの捉えが帰国後どう活きるのかなあ?と思いました

それが昇華して「知らないことはできるだけ知ろう」というスタンスに変われば個人としてはプラスなのですが、

もっと大きな単位でのプラスは微々たるものだとも思います

 

 

今日の記事のタイトルは「異物感を受け止める」ここに繋がります

 

中国やフィリピンに来て、これらの国の異物への許容量の広さをとても感じています

日本だったらきっと嫌悪の目で見られるだろうなあと思う、ゴミ箱あさりおじさんなども特に意識されている様子はありません

 

僕が3週間海外にいて一番大事だなあと思っていることは

「イレギュラーやマイノリティーを認め、異物であることを自覚すること」です

予定調和の大団円は楽ですが、一方でイレギュラーやマイノリティを排除しようとします

「こうあったらいいよね」という価値観が、

「ここはこうあるべきだ」「これはこうじゃないといけない」という常識の押し付けになったとき、

大多数が「そうあるべきじゃない」と思うものや人はないがしろにされてしまいます

 

 

ここ数日心に残るのがこの間の記事にも書いた「自己責任と社会問題の線引き」についてです

ニートや引きこもり、熟年離婚や自殺などが自己責任として語られることが多いように思います

 

でも一方で、その人達の生まれる時代が違えば、その人たちが適合する社会だったかもしれないわけで、

そういう意味では、全ての人を許容できない社会構造の問題とも言えるように思います

 

しばらく働いた派遣での夜間勤務。多くの人がいわゆる社会不適合っぽい人たちだったのが

本当に今でも印象に残ります。この人達がもっと生き生きと生きられる社会ってなかったのかな?と思っていました

 

 

僕も保育園から始まり多くの日本人がそうするように就職までストレートに進むことができました

あまりにスムーズな人生、多数派であることが正しいことであると疑うことなくここまで来ました

だけど社会に出た中で気づいた自分の異物感と、それまでの多数派であった自分とのギャップに苦しみました

「自分は周りみたいに器用に生きられないのかな?」と思う一方、

「周りの人たちのように上手に生きたい」という欲求が高まりました

 

本当に最近まで仕事を辞めたことに対して、自己責任であるという罪の意識だけを持っていたように思います

もちろん自分で選んだ道で、それまでの経緯も含めて自己責任であるということを認めざるを得ないのですが、

一方でリスクを犯させない、マイノリティへの風当たりの強い社会の問題でもあるという側面に気づいたとき

気持ちが楽になり、社会構造というものに目を向けることができました

 

自分ができるだけ異物であるということが大事で、

自分にとっての異物感を受け入れていくということが重要で、

もしできるならそういった価値観を日本で主張し続けていきたいと思ったことが今日の収穫です

みんなと同じじゃないからダメだと悩んでいる人が少しでも減ればいいし、

僕もそんなことにもっと早く気づきたかったと思うからです

 

これまで僕は個人として「こうしたい、ああなりたい」という理想を持つことはあったのですが、

自分の力を社会に還元したいという気持ちを持ったのは初めてでした

 

先生の話に違和感を持ったり、それは僕は同意できない、ということもあったのですが

先生の「こういう形で還元したい」という心に感化されたのだと思います

こういう関わりが持てたことが本当に幸せだと思います

 

 

 

追記

ちなみに今だに、日本の現状を知るために「世界に出る」ということの必要性はあんまり感じていません

だってニュースやインターネットで世界のことも日本のこともある程度わかりますし。

それよりもっと根本的にクリティカルシンキングを鍛えるような教育が必要だろうと思います

「なんで?」「だからなんなの?」という問いかけを常に持ち続ける姿勢が大切です。打倒「べき論」です。

 

今、僕がブレイクスルーしたいのは

「バカにされたり、怒られたり、嫌われたりするべきじゃない」「お金は使いすぎないようにするべきだ」あたりですね

なんでダメなのかを突き詰めた結果、あんまりダメな理由が出てこなかったからです

でも固定概念のせいで、どうしても避けてしまいがちなことでもあります。全く合理的ではありません