じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

過剰な努力は承認欲求でしかないという話

ここ最近の僕の生活

 

6:50 起床

7:00 朝食

7:20 1時間目の教室で自習

8:00-16:00 授業

16:00-18:00 その辺うろつく

18:30 夕食

19:00 宿題&なんか書く

 

 

日本にいるときはもっと勉強漬けになる予定だったのですが、

どうやらこれが僕に適切なペースのようです

 

仕事にせよ、サークルにせよいつも最初にかなり頑張って、

その後すぐにペースダウンするのが毎回でした

(フィリピンに来て早々、友人にFacebookで「ペースダウンするん早ない?」と突っ込まれていました)

 

 

ペースダウンの理由はやる気がなくなるというだけなのですがこの習慣のバックグラウンドには、

頑張っている僕を見て欲しいという承認欲求が働いているように思います。

必要以上に頑張りすぎることは他人へのアピールでしかないと思っています。

Twitterで「新入社員が早朝出勤するのはアピールでしかない」と書いてあるのを見ましたが、その意見に僕も賛成です

 

 

必要以上に頑張っても、他人から褒めてもらったり感謝してもらったりしないと、その努力は継続できません

自分の持続可能なペースを掴んで出来るだけオンとオフをなめらかにシフトできるようにしていくことが僕にとっては大切です

放っておくと頑張りすぎてすぐに撃沈してしまうので、自分の手綱を自分でしっかりと握っておくイメージです

 

 

 

フィリピンに来てすぐ僕は必要以上に頑張っていました

その日学んだことを英語で記事にまとめたり、

必要以上に宿題を貰ったり、

あまり必要に感じていないけど英語リスニング付きの英字新聞を読んだりしていました

 

 

その努力は他人へのアピールであまり有効ではない努力でした

他人より頑張っている僕、他人とは違うことをしている僕を

口では言わないにしても見て欲しかったり自分の精神安定剤にしたりしていました

 

 

イングリッシュオンリーポリシーも最初はそんな気持ちで始めたように思います

周囲が母国語を喋っている中、自分は英語のみで生活しているという状況に

少なからず優越感を覚えていたことは間違いありません

 

今でもその思いは消えず、一方でその優越感や他人と比較してしまう思考を打ち消したくてしょうがありません

だって他の語学学校ではルールでイングリッシュオンリーポリシーを定めているところもいて、そこに行けば英語のみを使うことなんて当たり前のことですから

そういう学校を選ばなかった僕に責任がありますし、そういう学校の中で優越感に浸るのは井の中の蛙でしかないのです

 

 

他人と比較した時に優越感を覚えるのは気持ちがいい、けれどその競争に入ってしまうと自分より上の人なんか山ほどいて、結果として自分のためにならないという言葉を僕はアドラー心理学の中で学びました

 

 

フィリピンに来て本当にそれを実感しています

自分より英語が喋れない人を見て安心したり、モチベーションが上がる。その後、自分よりむちゃくちゃ英語を喋れる人に出会って凹み、モチベーションが下がる。こんな不安定な状態では継続することはできません。

 

それよりも圧倒的に自分の成長だけを見ていたほうが確実に継続ができます。だって毎日、成長していることは間違いがないので

 

これからも自分に適切なペースで、自分のためだけに生活して行きたいと思います