好きなことを他人に認められることの危うさ
昨日僕はストリートフードが好きなことに気づきました
今日そのことをlyleに話すと、普段毒舌な彼女ですが「フィリピンのローカルを好きになってくれて素直に嬉しい」と喜んでくれました
このように他人に好きなことが認められた時に、
好きという気持ちが強化される一方で、固定化されてしまうということもあります
つまり、他人の期待に応えて過剰に自分の好きを追求してしまうということです
アドラー心理学でも、「属性付与」かなんかそんな言葉で同じ意味の言葉がありました
「あなたはいい子だ」、「あなたは私のことを好きだということを分かっているよ」などという他人からの評価によって自分の考えを固定化させてしまうということです
「あなたはいい子だ」という言葉は、
「私はあなたをいい子であると認識している」ということで、
「いい子」から逸脱することに抵抗を生じさせます
僕の場合では、
「あなたがフィリピンのローカルを好きになってくれて嬉しい」という言葉が、
「あなたがもしフィリピンのローカルを好きでなければ嬉しくない」という裏返しとも捉えることができ、
自分が本心からローカルを愛せなくなった時に他のものに移行することに抵抗を感じてしまいます
そうならないように気をつければいいだけの話ですが、「他人の評価なんて関係ないし、自分の思い通りにするよ」と即座に移行することは難しいです
僕の最終目的は「幸せに生活している」状態であるということで、
そのツールとして「好きなこと」があるわけです
だからその「好きなこと」が好きでなくなった場合は
すぐさま撤退しなければ、幸せでなくなってしまいます
僕は、他人に認められても認められなくても幸せに生活している状態を続けたいです
書きながら「かなり難しく考えすぎかな?」とも思いました
Lyleは単純に喜んだだけで、別に僕の嗜好を固定しようなんて意図はなかったはずです
ただ一度、「○○マニアである」とか「××に精通している」、「△△担当」などといった自意識が芽生えてしまうと、そのセルフイメージを崩しにくくなるというのも真実だと思っています
そういう意味で、僕は常にフレッシュマンの気構えでいようと思っています
知識や経験は増えるほど賢くなりますが、その分フットワークは重くなり、羞恥心も大きくなるように思います
フレッシュマンは失敗しても当たり前ですし、何も知らなくて当たり前。それゆえ好奇心旺盛で何事にも挑戦していけます
停滞せずに、これからもトライ&エラーを続けていきます