じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

周りに身を任せる勇気

先ほど、この記事を書いている時に

hira-jasorede.hatenablog.com

 

「周りに身を任せる勇気」「周囲を信じる勇気」という言葉が自然と出てきました

「周りに身を任せる」「周囲を信じる」という言葉と『勇気』という言葉が合体したのが自分の中で新鮮で、そして今の自分の考えに合致しているように思いました

 

いつも見切り発車でタイトルを考えて、内容は勢いで書いているので

よくこうやって新たなアイディアが浮かんできます

 

 

 

そういえば、このブログのタイトルが「じゃ、それで」なのですが

これはフィリピンに行く前、確か派遣のバイトでヤマザキパンの工場で夜中ずっと北海道蒸しパンとかマーラーカオとかのカップを型にはめ込んでいるときに考えていました

 

 

その辺りから僕は、

・イレギュラーや欠陥があることを前提に、その時の流れや偶然に身を任せよう

と考えていたのだと思います

 

確かその時には、まだいくつか候補があって、それは忘れたのですが

ヒッチハイクで出会う人たちが本当にいい人ばかりで、

「やっぱりこれだ」と確信を持って「じゃ、それで」というタイトルにしました

 

結構このタイトルは気に入っていて、

人任せというか、向こう見ずというか、フットワークが軽いというか、

無駄なこだわりがないというか、ノリがいいというか、

 

「流れに身を任せても、自分はいいご縁に巡り会える運命っぽい」という根拠のない自信にぴったりでした

 

 

 

でも、そう確信する前の僕にとって、

「周りに身を任せる」「周囲を信じる」ことってすごく抵抗がありました

そもそも根拠のないものを信じるということ自体理解ができなかったのです

 

今でも、周りを信じる、周りに身を任せることに対して根拠なんかないですし、

「なんとかなるやろ」という気持ちと、周りが助けてくれたという経験の二つだけです

 

でもその二つだけで周りに身を任せるには十分すぎるぐらいです

 

自己責任という言葉の支持は強いです

 

「自分でやったことの責任は自分で取りなさい」とか

「周りに迷惑をかけてはいけません」とかいう言葉は

「とりあえずやってみよう」という気持ちを奪っていきます

 

しかし自分の責任を自分が全て背負うことは本当に可能なのでしょうか

誰にも迷惑をかけずに生きることは可能でしょうか

そして困っている時に、本当に誰も助けてくれないのでしょうか

そう考えると「自己責任」という言葉の虚構性に気づきます

 

 

 

周りを信じるためには自分を信じることが必要条件です

「最悪助けてくれなくても何とか生きてはいるだろう」という微々たる自信です

この自信を持てた時に初めて周りを信じることができますし、行動力も増します

 

「周りに身を任せる勇気」の大切さに気づいて行動している僕ですが

未だに半疑になることもあります。これからも修行ですね