じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

旅の目的は理想のすみかを見つけること(自分の特性と折り合いをつけるために)

この土日、ドゥマゲテに行き、

僕の旅の目的は「自分が住むのに理想の土地を見つける」ことだったのだと気づくことができました。

 

これまで僕はいくつかの旅行をしてきました。

あまり観光地には興味がなくて、それよりも地元の人達が集うことに重点を置いていました。

あまりそのことを自分の中で深掘りしたことはなかったのですが、

今回のドゥマゲテ旅行で表題の通りのことに気づきました。

 

尾道向島やドゥマゲテを訪れた時、映画でどこかわからない西洋の海に面したレンガ造りの家々を見たとき、「こんなところに住めたらいいなあ」と考えていました。ただこれまでは住むという発想がなかったように思います。

でも何かしらの方法を模索していけばそれが不可能ではないということに気づきました。

同時に僕が観光地に興味を持てないのは、そこに住めないということが前提にあるから、という理由があるのかもしれないことに気づきました。(綺麗な海、山、観光地用に整備された場所はどこも同じじゃん、というひねくれた思いもありますが)

 

 

 

これまで僕は、無計画・無目的に旅行をしてきました。

とりあえず適当に回ってみたらなんかしらに出会うだろう、という行き当たりばったりな旅行でした。

この気持ちはそのままで、ただこれからは「自分が住みたいと思う場所を探す」を目的に旅行をすることができるようになりました。

 

 

「小さな経済圏」という言葉を最近意識しています。

大金や高価な物を求め続けるのではなく、

幸せに生きるために自分の身の回りのものから必要分だけを得ていくということです。

持続可能な幸せを追求するということです。

「これさえあれば僕は幸せだ」という物事を自覚することができて初めて可能となる生き方です。

僕の場合、それがドゥマゲテや向島のような場所でならできると感じました。

ただまだ腰を据えてそこで生活ができるか、と言われるとわかりません。

好奇心が強くて、今だに一つの場所に留まるということについては自身がありません。

多分、それはこれから一生続くであろう自分の特性です。その気持ちに無理に折り合いをつけて腰を据えて生活すると、それはそれで幸せではなくなるのでしません。

 

だからこそ僕は、僕にとっての「理想の土地」をいくつも持つことが必要だと思うのです。いくつも拠点を持ってそこで生活ができれば、と思うのです。

 

 

 

(以下は、自分の「好き」についての考察です)

僕は色々なところに行くのが好きです。

地元の人が集う場所、好む食べ物、景色など知る人ぞ知るといったような物事を体験することが大好きです。

 

「自分はローカルなものが大好きだ」と自覚するようになったのは、

本当につい最近のことだったのですが、自分のこれまでを振り返るとその断片はたくさんありました。

昔から地元の自分が知らない場所を探すために歩き回っていましたし、

大学時代は暇な時間は自転車で気の赴くままに走り回っていました。

そこで地元の客でギリギリ営業してそうな食堂などを見つけると入ってみたり、

売店があれば変なものを買ってみたり、誰も通らなさそうな小道に入ってみたりすることが好きでした。

旅行に行っても観光地にはあまり興味が持てませんでした。ここフィリピンでは沢山の観光地がありますが、僕はそれよりもストリートフードを食べたり、スラムに行ってみたり、地元の人の生活が直に見えるような場所に行くことを好みました。

 

「これ、誰も注目してないけどむっちゃいいやん!」というものを見つけることが好き、だという感覚がベースになっているように思います。

一つは、「誰もしていない、知らないことをしたい」という逆張り的発想であり

一つは、「自分が知らないことを経験したい」という強い好奇心です。

 

観光地は「間違いなく」良いのですが、この「間違いなく」という確定性に魅力を感じません。だってその場所の評価はもう決まっていますし。

 

それよりも良いか悪いか、美味しいか不味いかわからないといった「不確定」を自分の手で明らかにしていきたいんですね。

自分の感覚だけがそのものの評価に強い影響力を持つ、というか、自分がいいと思ったらいいし、悪いと思ったら悪い、と判断できる状態が好きなのかもしれません。