じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

タイ旅行3(トゥクトゥクとディナークルーズ)

寺での小休止を終えた僕は、これまたお金をケチり徒歩で1時間ほどの電車の駅まで歩くことにした。

その途中、綺麗な宮殿のような舞台のような建物があったので写真を撮っていると強面のおじさんが声を掛けてきた。

僕はとっさに写真撮影禁止だったのかと思い、カメラを下げたがどうやら違うらしい。

 

そのおじさんは流暢な英語で僕に観光のススメを説いてくれたのだ。

どうやら土日限定でいくつかの観光名所を三輪バイクで案内してもらえるツアーがあるというのだ。それも10バーツ。

何度も聞き返したが10バーツ。「It costs 10 バーツ」というのだからそもそも聞き間違えようがない。

 

そんなものがあるならば利用しよう、ということで早速その三輪バイクを呼んでもらった。

これまた愛想のいいおじちゃんが「後ろに乗れよ」らしきタイ語で僕を乗せ勢いよく出発した。

 

 

最初に行ったのは、巨大な黄金の仏がいる寺院で、これに至っては運転手の説明も熱かった。

「マジですげえぜ」「40バーツの入館料はかかるけど安いもんだぜ」としきりに推してくる。

それだけ推された一方で、いざ到着して入館するとその大仏様は大工事中で建材に囲まれその姿はほとんど見えなかった。

そのためか入館料は取られなかったが、払ってもいいからその運転手をそこまで熱くさせる大仏をしっかりと見て見たかった。

 

その後もいくつかの寺院を巡ったが、そのほとんどが金ピカすぎた。僕には眩しすぎた。

後半の方に至っては、なぜか案内してもらっている僕の参拝すら作業化していた。

 

 

その途中で運転手は旅行会社に立ち寄る。僕が明日チェンマイに行くにも関わらず何の計画もないことを心配してのことだった。

止めるなり「計画立ててこい!」と言って僕はその旅行会社のオフィスに行くことになった。

面倒なことになった、と思いながらも、この旅行会社との出会いがこの度の方向性だけでなくタイという国に対する印象を定めるのに決定的なものとなった。

 

 

オフィスに入ると、愛想のよいおじさん、ニッキーが迎えてくれた。

とりあえず事情を話すとチェンマイのワンデイツアーがあるとのことだったのでそれに応募をすることにした。

話しているうちにどんどんと打ち解けていき、僕は他のツアーにも申し込んで見ることにした。

よって、この日の夜にディナークルーズ、翌日がチェンマイワンデイツアー、最終日が水上船マーケットを見に行くツアーとなった。

 

その時に出されたバナナがかなり美味しかった。正直言ってタイで食べた何よりもバナナを含めた果物が美味しかった。

ツアーを組み立て,、外に出ると雨が振りに降っている。そんな中、三輪バイクツアーは再開した。

次に連れていかれるのは、年に一度開催されているという国産スーツのプロモーションだという。

ここタイでは質の高いカシミアのオーダーメイドスーツが他国と比べ安く購入できるのだという。

会話の節々に「ファクトリー」「プロモーション」「ガバメント」という言葉が混じっていたので、

大きな工場敷地内を利用した大規模のイベントをイメージして、スーツなんぞ興味がなかったけれど連れて行ってもらう事にした。

 

すると三輪バイクは小さなスーツ屋の前で止まる。僕が頭上に疑問符を浮かべていると運転手が「ここだ」とサムズアップをする。

僕は「やってしまった」と思った。大規模なイベントなら冷やかしも上等だろう。しかしこんな小さなスーツ店の念に一度のイベントとなれば、

入るにしてもある程度、購入の意思がある者の入店に限られる。僕は迷った。雨の中、濡れながら運転してくれた運転手に今更「入りません」というのは憚られた。

 

そうこうしているうちに店の守衛が待っていましたとばかりにドアを開ける。僕は退路を断たれた。

覚悟を決めて入店すると客は僕だけに対して暇そうな店員が10名程度。狭い店内で視線が僕に注がれた。地獄だった。

 

早速、望まれぬ接客が始まる。とりあえず上部だけは会話を合わしたものの買う気がないのに相手の時間と労力を奪っては逆に申し訳ないと思い、買う気がないことを伝えた。

当然だが相手は「買う気がないのに来るはずがない。きっと値段を気にしているのだ」と思いを巡らせて来る。

勢いよく電卓を叩き僕に見せる。5万バーツ!日本円で20万円!いらないどころか買えない。無理だ。力なく僕は謝ると相手は値下げ交渉の駆け引きだと勘違いしてさらに電卓を操る。

 

ちなみにタイではどこの商人もなぜか値段を直接言わない。みんな電卓を叩き、こちらに見せて来るのだ。

これはこのスーツ会社でも旅行会社でもタイパンツを買ったこじんまりとした衣服店のおばちゃんでも同じだった。なぜそんな回りくどいことをするのかは知らない。

 

 

話を戻すと、まだ相手一人の空回り値段交渉は続いていた。僕は本当にいらないのだ。ようやく僕に買う気がないことに気づいた相手は、もはや目の前の得体のしれない外人を客と見なさなくなったのか逆に親しげに喋りかけてきた。

それもまた店の重厚な雰囲気にそぐわない下世話な話だったので僕と他の店員たちは同時にやれやれという顔をした。

 

ようやく地獄のような店内から抜け出し、恨めしそうに運転手に一瞥をくれた後、出発点に戻りツアーは終了となった。

会計の際に、「2時間だったから…200バーツ!」と言われ

「ん?10バーツじゃなかったか?というか分あたり10バーツとか、10分あたり10バーツとかに換算しても200バーツにはならない。どんな計算なんだ?」

と思いながらも、それなりに満足できたし、そもそもチップを渡そうと思っていたので何も言わずにお金を渡す事にした。

 

 

 

時間はすでに昼時である。そういえば昨日のパッタイ以来何も食べていない。思い出すと急に空腹感を覚えた。

近くに丁度いい店がなくセブンイレブンが見えたので入って手頃なパンを買って食べた。この時のパンは何の印象も残っていない。

 

 

夜はディナークルーズの前に旅行会社のオフィスに寄らないければならなかったので、結局カオサン通り付近をうろつく事にした。

昼のカオサンを見てみたかったのと、その付近は未開拓だったからだ。

歩くと様々な街の様子が見えてきた。フィリピン同様、小さな屋台が無数にあった。フルーツ売りや謎の惣菜売り、魚や肉などはフィリピンと同様の売られ方だ。

街を歩く人たちを見るだけでも楽しい。店番は客の目線も気にせず昼飯をガツガツ食べているし、他の人はそれを気にするそぶりもない。

何やら独り言をつぶやく老人や、やたらに狭く細い路地をわざわざバイクで通ろうとする人。

人間らしい営みがそこにあった。

一方でこの街には恒例のホームレスが多いようにも感じた。それも生気を全く感じさせない人たちがたくさんいた。

果たしてその原因は分からなかったが、外国人が毎晩騒ぎまくっているカオサン通りの裏路地に地元のホームレス達がいるという事実は皮肉な事のように感じた。

 

 

 

時間も頃よく僕はオフィスに戻った。ニッキーはしきりにバナナを進めてくれるが今食べるとおそらくバイキング形式のディナーを存分に楽しめないだろうとの思いで丁重に断る。

クルーズ船の出る港までは旅行会社の社長が送ってくれることとなった。着いてからもまだ時間があるとのことでビールを2杯ご馳走になって彼とは別れた。

 

と言ってもディナークルーズはすごい人で最初に予定していた時間のものには乗ることができなかった。というか第二便があること自体が予想外だった。

全員が一度に乗れないことが前提なのだ。なぜ時間を元から分けないのか、との疑問は残ったままだった。

 

第一便を逃した僕は周囲をうろつく事にした。中でも港に併設されたショッピングモールで開催されてた日本の伝統文化に関する展示会は面白かった。

ここタイでも夜店はやはり夜店で、フィリピンのものと大差なかった。だからこそ面白く感じられた。

 

 

第二便の時間だ。これに乗れなければもはや返金をしてもらおう。そう考えながら待っていると乗ることができた。

乗ってから気づいたが、ディナークルーズに一人で参加するのは異色のことだろう。その事に乗るまで僕は気がつかなかった。

美味しいものを食べて、夜景が見えたらそれで結構だと考えていたが、周囲に幸せそうな家族とカップルに囲まれて辟易するしかなかった。

ただ料理はほとんどが美味しかった。トムヤムクンなどの癖のある辛みがある食べ物を除いてだが。

ディナーショーも兼ねたクルーズツアーは大音響を垂れ流しながら運行した。

 

クルーズ船が港に着き次第、僕は真っ先に船から降りた。

時間は第二便になったことが仇となり、10時を過ぎていた。

急がねば電車の終電を逃してしまうのだ。そうとなればまたタクシーを使う羽目になる。またぼったくられかねない。

最寄りの駅までかなりの距離があるため、そこまではタクシーを使う。

目の前のタクシーに飛び乗り行き先を告げる。「タクシンまで急いでくれ!」

それから5分前後で目的地、サファんタクシンに到着する。

構内に駆け上がり、券売機に行くがあいにく小銭を持ち合わせていない。この駅の券売機は札が対応していないのだ。

 

受付まで走り、20バーツ札を突き出しながらお姉さんに問う。「空港までの切符をくれ!」

お姉さんは微笑みながら幾ばくかのコインを僕に手渡してきた。

おかしい。切符がない。もしくはこれのどれかが切符なのか。

動揺している僕にお姉さんは呆れた顔で「小銭に崩しただけだから券売機で切符を買わないとダメよ」と諭す。

タイに来てまだ二日目の僕は札ならまだしも、コインにはまだ慣れていない。よもやその時の僕の財布には、ペソとバーツのコインが乱雑に押し込まれていたからなおさら混乱を極めた。

 

 

無事、電車に乗るがここからもまた試練がある。乗り換えが二回あるのだ。電車内に電光掲示板があるわけでもないので、僕は到着する駅とその数を数えておかなければならなかった。

たまに止まらない駅があったり、路線変更にも関わらず同じホームから出発するなどよく分からないシステムをなんとか乗り越え、僕はスワナプーム国際空港に到着した。

 

 

僕は到着する以前から今日はここを宿にしてみようと決めていた。

思えばクーラーもあるし、トイレもある。喉が乾けば無料で水も飲める。申し訳程度にクッション性のある連なったベンチは、寝床としては寺の大理石の何倍もマシである。

特に気にもしていないがチェックイン待ちの客も少なからず同様の寝方をしていたので僕だけが目立つということもあるまい。

 

僕は翌日のチェンマイ行きに備え、チェックインカウンター付近のベンチで大々的に横になった。

しかしここは寒すぎる。そして明るすぎる。なぜここを選んだのか、と自分で自分を恨んだが動くのも億劫に感じられた。

チェックインを済ませたら別の場所に行くのだ、と心に決めて待っていたがいつまで経ってもチェックインが始まらない。

僕は仕方なく、その極寒ベンチで眠りにつくことにした。

 

起きるとチェックインが始まっていた、と同時に僕はものすごくショックなことに気づいた。

昨日カオサン通りの服屋で150バーツにて購入したタイパンツの股の部分が裂けているのだ。

いつからこの惨劇が始まっているのか知らないが、少なくとも僕が大股を広げて眠りについている間には事は起こっていたのだろう。

僕のベンチの周りだけ待合客がいないのが意味深なように感じられた。