じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

タイ旅行2(初めての寺泊まり)

スワナプーム国際空港を降り立ち、早速トラブルが発生した。

タイに国籍を持たない僕はイミグレーションカードを書かなければならないのだが、まず宿泊地が決まっていない、否、ない。

これは空欄で出してもいいのかもしれないのだが、シンガポールの空港で、決まっていないと空欄で出したときに、

検問のお姉さんにピシャリと「決めてこい」と追い返されてしまったことが脳裏に過ぎり、

カオサン通りの中の適当な宿を検索して形式上そこに泊まる形で提出をした。

 

しかしトラブルはそこからだった。どれだけ検索をしても住所がタイ語でしか表示されない。

このミミズの這ったような字、もといアラビア文字のように複雑な字の書き方を一文字すら知らなかった。

それでも書かねば検問すら通過できない、入国すらできずに4日も空港にとどまるという悪夢が頭を過ぎったが、

そんな映画『ターミナル』のような生活を送るほどの活力は僕にはなかった。

気合いを入れてこの複雑怪奇な文字を住所欄に書き入れ、検問に向かう。

僕の当たった検問員は、とびきりシビアな雰囲気が醸し出ていて緊張が走る。

僕の下手くそなタイ字を見た検問員のお兄さんは、「うむ」と力強く頷き、ドスンとハンコを押した。それで良かったのか、検問員。

 

 

何はともあれ入国を果たした僕は、必要最低限な分だけ換金をしておく。

思ったよりもレートが低く、1バーツ=4円。これではなかなか贅沢はできない。そもそもするつもりもなかったが。

SIMカードは8日使い放題で240バーツほど。これは上海よりは安かった。というよりかなり安いのではないだろうか。

 

準備は整った。すでに電車やバスなどの安い交通機関は止まってしまっている。

そんな旅行者を待ち受けるようにいかがわしいタクシードライバーが僕を待ち受けていた。

 

タイの空港のタクシーシステムは、機械から番号札を発行してもらい、該当番号の駐車場にとまったタクシーに向かう。

僕が初めに引いた番号の駐車場にはセダン型でなく、大きなバン型のタクシーが止まっていた。

大概、大きいものは高い。そんな固定概念丸出しでもう一度、券を発行してそちらに向かうと、

それを見ていたタクシードライバー達が僕のわからないタイ語でやたらと騒ぎ立てる。

「お前、最初の件に、のれ」ということが言いたいらしく、僕は「同じ値段なのか?高いんじゃないのか?」と疑心暗鬼の目を向けると

「セイムプライス!セイムプライス!」と同じ値段であると主張した。仕方なく僕はバンの方に乗ることにした。

 

 

カオサン通りまでは車で40分ほど。その間、リリーフランキーが歳を食ったような風貌の運転手がしきりにタイ語と癖のある英語でコミュニケーションを求めてきたが残念ながら1割も意味が汲み取れない。

それでも頑張ってそれなりに英語で返していたつもりだったが、運転手の反応は「オッケーオッケー!」というだけの理解しているのかどうかわからないレスポンスで僕は返事する気力すら失ってしまった。

この道中、検問に捕まりかなり眩しいライトを警察官から当てられたが、運転手が「ニッポジ(日本人)、ニッポジ(日本人)」と謎の日本語で返すと、警察はわかったのかわからなかったのかはさておき通してくれた。

なぜタイ人通しなのに日本語らしき言語で伝えたのか、なぜ警察はそんな言語で良しとしたのか、僕がテロリストだったらどうするつもりか。様々な疑問が生じたが、僕の持つ唯一のタイ語のレパートリー「サワディーカップ」だけでは、どう工夫してもその疑問をぶつける文章は作れなかったので黙っていた。

 

カオサン通りは混み合うとのことで少し手前で降ろされた。タクシー代は800バーツ。この時スッと渡してしまったが、後から調べると平均は300バーツぐらいらしい。

まんまとリリーフランキーに騙されてしまった。僕はこの事実に気づいた時、リリーフランキー出演の映画『凶悪』を思い出していた。

 

 

何はともあれ、カオサン付近に着いた。ここは僕の調べによると昼はバックパッカーの聖地。そして夜は夜店などがひしめくお祭り騒ぎの通りとなるのだという。

カオサンの少し手前で降ろされた僕は、その見立てに違わず大勢の若者達がバタバタと倒れている様子を見て心をときめかせた。もうすぐカオサンなのだ。

 

いざカオサンに着くと、いささか時間が遅すぎたか人は多かったものの、事前情報の「溢れんばかりの人口密度」というわけには行かなかった。

それでも周囲はどんちゃん騒ぎをする男女、タイの焼きそばパッタイを掻き込む男。怪しげな薬を売り歩く商人などでひしめいていた。

その殆どが集団客ということで、個人客の僕は入る余地もない。こんな時はお酒の力を借りるに限る。最寄りの酒屋に寄りタイビールChangの大瓶を飲み干す。

即座に酔いが回り、僕は夜のカオサン通りを練り歩いた。

「Laughing Gus(笑気ガス)」や酒を売るものはたくさんいるが、そもそも笑気ガスは違法だし、酒はこの時間は販売禁止のはずだ。

そんなことは御構い無しで、普通に違法行為がまかり通っている。

 

僕はひとまず夜店屋台を物色し始めた。パッタイとフルーツシェイクがかなり多いと見た。

僕はその中でとりあえずパッタイを食べることにした。

店のおばさんに食べたいという意思を伝えると、路上にはみ出た机に案内されると、向かいには酩酊した白人がパッタイやら春巻きやらをかき混んでいる。

それは食事というよりは摂取と言ったほうが適切なような気がした。

 

僕の目の前にもパッタイが届く。目の前の白人があまりにくい散らかすので僕のスペースはギリギリ紙皿1枚分しかなかったがなんとか食事に着くことができた。

麺が春雨に近くそれ自体はあっさりしているものの、味付けは甘辛く、油っぽい。そのバランスがちょうど良くいくらでもいける。

具は焼きそばそのままでキャベツ、もやし、鶏肉などが麺と一緒に炒められている。

机上にトッピングがあり、おそらく醤油と唐辛子、ピーナッツが細かく砕かれたものなど、数種類のボトルが置かれていた。

僕はピーナッツを山ほどかけてパッタイを完食した。

その後もカオサンを練り歩き、サソリの串刺しを見つけたが、その時は夜の色に合間ってあまりにも不気味に見えたその甲殻類を購入することができなかった。

 

練り歩くのも疲れ果て、路肩に座り一息ついているとあからさまに怪しいおばさんが近寄ってきた。

聞けば風俗の案内人らしく、断ったのにも関わらずあまりにもしつこい。

話を聞くと、店に寄って見るだけでもいいからとのことだったので、社会科見学のつもりでついて行くことにした。

 

おばさんはカオサンから細道に入り、これまた盗賊でも出そうな怪しげな通りをどんどん進んで行く。

僕は、もしやどこかでおばさんの仲間にホールドアップでもさせられるのではと、密かにVISAカードと携帯だけをパンツの中に仕舞った。

そんな心配を他所におばさんは大通りまで僕を導いたのだった。

おもむろにタクシーを止めるおばさん。ちょっと待て、もちろんタクシー代はお前が出すのか?と聞くと当然のように「あんた持ちだよ」と笑顔で答える。

馬鹿馬鹿しい、と日本語でいいながら踵を返すと、おばさんは「割り勘でいいから」と言い出す。

とは言ってもその割り勘でも往復「120バーツ」ほどするのだ。それならば美味しいパッタイがたらふく食べられる。

無視してカオサンに戻る僕の背中越しに、下手くそな英語で「バッドボーイ!」という叫び声が響いた。

どちらかというとそっちが「バッドウーマン」ではないのか。と思ったがこれ以上関わりたくなかったので黙ってその場を後にした。

 

カオサンに戻ったが、相変わらずのどんちゃん騒ぎ。正直、もう夜のカオサンはいいかな、と感じた。

この所、こういうどんちゃん騒ぎやクラブ、バー、整備されきった観光地などに魅力を感じなくなっていた。

どこも一緒じゃねえか、という頑なな思いが自分の中にできつつあった。

フィリピンであってもそれは同じで美しい海や綺麗な夜景のためだけに遠出する気にはなれずにいた。

実際、モアルボアルという美しい海を持つ場所に行った時ですら一度海に足を付けたのみであとは全く海に近寄りすらしなかった。

その帰りにふらっと立ち寄った小さなマーケットの方が僕には魅力的に映った、

 

 

 

 

 

時間はすでに4時過ぎ。そろそろ眠くなり始めていた。何しろこのところ僕は4時起き、10時寝、という生活を送っていたのだ。

もう24時間も活動していることになる。

予定通り、僕は付近の寺で休むことにした。しかしいくつか回った寺では入ることすらままならなかった。

厳重な警備の元、ショーケースの中のトランペットを見つめる少年のように熱い眼差しで寺内部を見つめる僕は、警備員の目には不審者としてしか映らなかっただろう。

カオサンから離れ、何かのミュージアムの前を通り過ぎた。中の駐車場らしき場所で数人のタイ人らしき人々が集っている。それに炊き出しのようなものを振る舞っている!

もしやここならば一晩の宿を借りられるばかりか炊き出しにありつけるのではないかと考えた僕は警備員に交渉を図った。

しかし英語の通じない彼とタイ語の話せない僕の間の言語はジェスチャーしかなく僕の熱意は伝わらなかった。

泊められないよ返され、これまたジェスチャーで「あっちの方に行け。多分泊まれるっしょ」的なことをタイ語で優しく諭された。

その眼差しからは「何で外人のお前が炊き出しをねだるのか。なぜ海外に来てまで野宿なのか。あほなのか」という侮蔑の気持ちがひしひしと伝わってきた。

 

僕はその指示に素直に従うことにした。しかし警備員が指した方向をいくら進めども寺院は出てこない。よもやあの警備員騙しやがったな、と思ったところ突如大きな寺が出現した。

タイの寺はどこもそうなのだが金ピカだ。侘び寂びがなくて日本人の感覚からすれば有り難みが感じられないぐらいの装飾が施されている。

例に違わず僕の見つけた寺もその金ピカだった。

時間は最早7時前。体力の限界にきていた。ここで断られたら横の芝生で寝てやろうとまで考えていたが、すんなりと入ることができた。

早い時間にも関わらず多くの信者が参拝に来ていて、僕も入ることを許されたのだ。

ただその反面、多くの信者の目の前で横になるわけにもいかず、目立たない場所で三角座りで小休止をとるだけとなった。

何はともあれ、寺での宿泊?という命題は果たされることとなったのだ。