タイ旅行1(出発!)
フィリピンセブ島生活も終盤に差し掛かっていた僕は、行ってしまえるうちにアジアの国をできるだけ回っておこうと考えていた。
貯蓄が心もとないという理由で航空券が安いタイに行くことに決めた。海外に出てしまえればどこでもいいという、海外滞在者らしからぬ決定理由だった。
航空券を取ってしまえば後はノープラン。とりあえずSNSにタイに行くから面白いことがあれば教えて欲しいと書き込んでおく。
いくつかの書き込みを見ながら、やりたいことを絞っていく。今回の旅では、二つ、試みることに決めた。
一つはできるだけ色々なものを食べてみること、もう一つは宿を取らないこと。
と言っても元々食べ物に対しては関心が高い。これまでの旅行でも、目標を決めずとも色々と食べてきた。
二つ目の目標は、別に自分からホームレスになりたかったわけではなく、海外旅行者にとって最も重要な宿を取らずに旅行をしてみたらどうなるだろうかということを試してみたかった。
言わずもがな宿代をケチったという裏の理由もある。
初めはバンコクだけの予定だったが、友人からチェンマイという都市を進めてもらいすぐに航空券を取った。
語学学校におけるタイ人の友達にも質問責めをする。どうやら寺であれば無料で泊まれるらしい。すぐに宿問題は解消した。
日程は金曜日の夜から火曜日の朝にかけて。火曜日が祝日なので、この日程であれば月曜日1日のみを欠席にするだけで済む。
金曜日の授業が終わり次第、ボディーバッグに日程分の着替えとケータイバッテリー、財布のみを突っ込み、空港行きのバンに乗り込んだ。
多くの学生は学校から空港までタクシーで行くのだが、それだと300Pほど掛かってしまう。
窮屈さを我慢すればバンであれば50Pも掛からない。時間の都合が付けばバスも使えたが、あいにく時間が合わなかった。
何はともあれバンに乗るためにアヤラモールに向かう。ところがジプニーを乗り間違え真逆の方向行きに乗ってしまう。
乗る前に確認をしたのだが、どうやら「AYALA」の「LA」の発音が悪かったようで伝わっていなかったらしい。
僕はまだ「L」と「R」の違いをはっきりとつけることができないでいる。
日本人の僕には微々たる違いでも、英語圏の人達にとっては意味が汲み取れないぐらいの違いになることをこの時学んだ。
ジプニーが違う方向に進んでいることに気づき、すぐに運転手に確認する。
運転手も事前の確認があった手前、申し訳ないと思ったのか、事細かにアヤラモールに向かうジプニーの番号と待機場所を教えてくれた。
無事、ジプニーを捕まえ、アヤラモールのバンが待つ場所に急ぐ。何しろ時間を浪費してしまったので、あてもなくとりあえず急いだ。
運良く出発前のバンに乗り込み、すぐに出発した。
車は直接空港には向かわない。空港のあるマクタン島の「ガイサノ マクタンアイランドモール」が終点だ。
そこからはタクシーなりバイクなりを使って向かわねばならない。
しかし意外と時間があったので僕は30分程度の空港までの道のりを歩いて行くことにした。
マクタン島を歩いたことはなかったし、もしかしたら面白い店や食べ物が見つかるかもしれないと思ったからだ。
思った通り狭い路地は、ベイカリーショップ、サリサリストア、BBQ店、コリアン経営らしいスーパーマーケットなどがあった。
セブ島では見られない、というものはなかったがこのような街並みは人の営みが豊富で歩くだけで楽しい。
夕方といえどかなり暑い。汗だくになりながら空港に向かう。
途中、空港への車を規制する検問所があり、徒歩で入れるものかと懸念を持ったが、守衛は汗だくになりながら徒歩で空港まで歩く、それも外国人という見世物を楽しむかのように茶化してきただけだった。
と言っても僕としてもそのようなノリは嫌いではなく5分ほど談笑をして再び空港までの道を歩いた。
無事に空港に搭乗時間2時間前に到着した。帰りも歩くことを想定して、来た方角と出入口を確認してチェックインカウンターに向かう。と言ってもそんなもの帰国後覚えているはずがない。
チェックインカウンターではフィリピン人の男性スタッフ1人と女性スタッフ2人が、暇を持て余して仲良く談笑していた。どうやらスマホゲームで盛り上がっているようだった。
僕はパスポートを差し出し反応を待ったが、この3人なかなかスマホゲームから意識を切り替えられない。そんな彼らに苛立ちを覚えないのは外国人というフィルターあってこそのことかもしれない。
ようやくパスポートを受け取ってもらい、搭乗券の発行中、男性スタッフが受付をしている女性スタッフを指し「この子、可愛いと思う?」と話しかけてきた。
意思に関わらず「可愛いと思わない」と答える意味もなかったので「可愛いと思うよ」と答えておいた。
すると彼らは死ぬほど盛り上がる。そこからしばらく会話が続いた。
「フィリピンには何しに来たの?」『留学だよ』
「何の勉強?」『英語だよ』
「そうなんだ!でも英語十分に喋れるじゃん!」『本当?それはうれしい!」
この時、僕はネイティブに褒められて有頂天になったが、
後日、これはネイティブのお世辞だと知ったことと、卒業時にもらう僕の評価が「Low Intermediate(中の下)」という評価だったことから自らの実力を再確認することとなる。
別れ際、僕は彼らに「グワッポ(美男)」「グワッパ(美女)」と挨拶ともならない挨拶をして別れると、また彼らは死ぬほど盛り上がっていた。
彼らのこういうノリが大好きなので僕もご機嫌になって持ち物点検ゲートに向かった。
持ち物点検も難なく済ました僕は、かなり時間が余っていることに気づく。
夕食兼待機場所としてコーヒーショップに向かい、ドーナツとカフェラテをすすりながら、この日電子書籍で購入した見城徹の『読書という荒野』を読みふけった。
この本がきっかけで、僕は沢木耕太郎の『深夜特急』という、人生で初めて読む本格的な紀行文に出会うこととなる。
搭乗直前になり、今更ながらドーナツだけでは心もとないことに気づき、売店に飛んで行く。
大方のスナックはどうやら韓国製のもので、ハングルが記されていた。海外に出て気づくのはこのような身近な商品は韓国製がとても流通している。
僕はその中からポッキー的なお菓子を買う。日本でも有名なロッテ製だ。ロッテは在日韓国人の重光武雄氏が1948年に日本で創業をして成功。
のちに韓国でもロッテグループを発足する。これもその直前にたまたま読んだ深澤潮の『海を抱いて月に眠る』という本で得た情報だった。
そんなこんなで運命を感じながらこのロッテ製のポッキー的お菓子を飛行機内で味わって食べた。
飛行機内ではできるだけ寝ることに徹した。タイに着くのは深夜1時。そこから夜のカオサン通りを彷徨こうと考えていたからだ。
ちなみにフィリピンに限ったことではないかもしれないが飛行機内はかなり寒い。
友人が「ブランケットを買わせるために寒くしているんだ」という冗談を以前行っていたが、僕はこの冗談がこの時ばかりは笑えなかった。
深夜1時30分。予定通り飛行機はタイ・バンコクのスワナプーム国際空港に降り立った。この時僕は、この日程中、二晩をこの空港のベンチと床で過ごすとは想像していなかった。