自殺から考えるオーストラリアでの暮らし方
空港から学校まで送迎してくれた男性スタッフが繰り返した「目的がないとすぐに流されて遊び呆けてしまうよ」という言葉は予想以上に僕の頭にこびりついていた。
正直、僕はこのオーストラリアで何がしたいか未だわかっていなかった。
周囲の学生たちはすでに仕事を得ている者も多く、まだの学生たちもとりあえず仕事を得るための履歴書作成などに奮起している。
一方、僕は放課後はシーサイドに繰り出しベンチに寝転びながら夕方まで読書をするか物思いにふける生活をしていた。
前職の経験を踏まえ、やりたくもない仕事をしたくはないと考えていた。そのためにこの街をもっと知らなければならないと思っていた。
一方でホームステイは一ヶ月で打ち切られる。それ以降は自分で家を借りねばならず、そのためには金がいる。いつまでも無職というわけにはいかないのだ。
そんな中で僕の心は揺れていた。こちらでできたマッサージ師の友人は僕を誘ってくれる。
歩合制だが、一日平均約100ドル(1万円程度)の儲けがあるそうだ。
とりあえず儲けが良いところで働いて、それからのことはまた考えるということでも良さそうだと考えたりもしていた。
正直、何がしたいかわからないまま宙吊りになるというのが不安だったのだと思う。
今の状態がすでに宙吊り状態なのだが、そんなことは気づきはしない。
今週の水曜日、ジョセフィーナといつものように夕食を食べていた。
土曜日に友人の葬式に出なければならない、と彼女は僕に言った。
その時のその友人についての会話はそれだけで、まあ彼女ぐらいの年齢になると友人が亡くなるということもあるだろう、とだけ考えていた。
その後、彼女と共に暮らす娘ポーラとジョセフィーナが会話しているところに僕は同席していた。
彼女は帰って来て夕食を食べるポーラに先ほど同様、葬式の話を切り出した。しかしこの話には続きがあったのだ。
彼女の友人の死因は自殺だった。
ジョセフィーナは、友人は金もあったし、家族も幸せそうだった。車も家も持っていたのになぜ自殺をしたのかと嘆いていた。
僕はセブの学校でLylieと似たような会話をしたことを思い出していた。贅沢な暮らしが必ずしも僕達を幸せにするわけではないのだ。
そう思った時に僕はごく自然に、無理に金のために働きたくもない仕事に就くのは辞めようと思ったのだ。
セブで当たり前に持っていたこのこの感覚を、いざ仕事を見つけなければならないという段階になって僕は忘れていたのだ。
仕事を選ぶにしては、僕はこの街のことを知らなさすぎる。
どんな人がどんなことをして、それが仕事になっているのか。そこに僕がやりたいことがあるのか。あるとすれば僕が入る余地があるのか。
ワーキングホリデーでここに訪れた人たちの多くが、「どんなことをするのか」よりも「どうやって仕事を得るか」に躍起になっている。
その流れに僕も流されかけていたことに気づいたのだ。
この選択は幾らかの制限を僕にかけることになるかもしれない。
そう簡単には仕事にありつけることはないだろうし、周囲と違う選択は自分を不安にさせるかもしれない。
それでも長い目で見れば自分のためになるはずだと思う。思うしかない。それに僕は前の仕事のようなことは二度と繰り返したくはなかった。
運良く昨日僕は中古の自転車を購入することができた。これから街にどんどん繰り出すことができる。
金と気持ちが尽きるまではできる限り、「やりたくないことはやらない」ポリシーを守りたいと思う。