じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

好きなことは書くことと歩くこと

「自分の旅を一人でできていない点について、私はこの上なく不快を感じていたし、とにかくそれだけは許されないことだった。」(クロサワ・コウタロウ『珍夜特急2 シーズン2』)

 

 

この気持ちはフィリピンでの生活から僕がずっと感じている気持ちと似ている。2ヶ月を超えた海外生活もずっと学校という枠内で生活しているだけで、それは日本で生活するのとそんなに変わらない。あと2週間少しでそれらの枠がなくなることが、楽しみでもあり不安でもあった。

 

学校という枠があるおかげで全く不便な思いをしたことはなかったし、それが一方で自分の力で生きているわけではないという不快感に繋がっていた。

 

ここに来て僕には迷いが生じていた。この英語留学の目的はあくまで英語力向上だ。よって、さっさと接客業のアルバイトでもなんでも見つけて接客などから英語を学ぶことは可能だ。一方でその経験が何になるというのか、という気持ちもあった。将来、接客業の仕事に就こうとは思わないし魅力も感じない。これでは長続きはしないだろうし、何より楽しくない。そんなことをして何になるというのかという気持ちだ。前の土曜日に履歴書を送った日豪プレスからは連絡は未だない。おそらく一次試験は通らなかったと見ていいだろう。では次は何をするかーーとこれまで繰り返して来た逡巡を今日もまた考え続けるのであった。

 

 

朝からそんなことを考えながら僕はシリアルを食べ、ジョセフィーナの作ってくれたサンドウィッチをカバンに押し込み学校に向かった。何はともあれ勉強だ。

 

 

いつも通り学校のカフェテリアでラップトップを開き、昨日の日記を綴る。

時間になるとクラスへ向かう。これもいつもの繰り返しとなっていた。

人間はわがままなもので、毎日の繰り返しの中で努力を継続することが苦手な生き物だ。僕も例外ではなく、この繰り返しにどうメリハリをつけるか考えていた。

 

 

この日、僕は少し街をまめに巡ってみようと考えていた。これまで徒歩でも自転車でもざっくりと回っただけのこの街にはまだ僕が知らない魅力があるのではないかと思ったのだ。

バス停を軸に自転車から降りて歩くと気づかなかったものがいくつか見えてくる。例えば日本の戦国時代の鎧や刀が展示されたミュージアムがあった。いくら侍や刀というものが一部の外国人に好まれているからといってこんなニッチな博物館がやっていけるのだろうかと思った。興味を持ったが入場料が10ドル、つまり今の僕の10日分の生活費に値したので入館は遠慮しておいた。

 

さらに歩くとバックパッカーズという捻りのないツアー斡旋会社を見つけた。その前で呼び込みをしていたパトリックという男に声を掛けられた。

「どこから来たの?」

「日本からだよ」

「ワタシ、パトリック、トイイマス」

パトリックは驚いたことにわりと上手な日本語で自己紹介をした。

日本人旅行者の多いケアンズでは、こうやって自己紹介ぐらいの日本語を喋れる現地人は多かった。ちなみにホストファザーのジョンは僕と夕餉をともにするときは合掌をする。巨体の彼が夕食に向かって「いただきます」をするのは少し可愛らしい。

 

パトリックは僕にスカイダイビングを進めて来た。確かに以前から興味はあったが何しろ高額だ。ざっと観光地価格を見ると3万円弱はする。ただパトリックによると2万円弱でいけるツアーもあるらしい。大丈夫なのか。

 

ただ僕はここでこんなに簡単に安いツアーがあるのならもっと安いものもあるはずだと思い即決はしかねた。

 

 

その後もあてもなく歩き回るが、最終的にはいつもの海沿いに行き着く。どうしても歩き回るのに疲れるとここに行き着いてしまう。少しの時間、寝そべりながら読書をすると小雨が降って来たので帰宅を余儀無くされた。

 

 

 

帰宅途中、僕はなぜこのケアンズでの生活を楽しめないのかを考えていた。

それはおそらくここにフィリピンでの楽しさと同じものを求めているからだ。

いい意味でも悪い意味でも雑多で、不確定要素の多い生活を僕はここに求めてしまっているのだ。

ケアンズは観光地として出来上がっている街だし、そのような楽しみ方を求めるのは本来お門違いだ。ではここに馴染む生活ができるのかと言われると少し自信がない。

これまで僕は綺麗な海、雄大な自然、綺麗な街並みというものにあまり心が揺れることはなかった。それよりもドキドキするような不確定要素を孕む、ふとすれば身の危険を感じるようなそんな野生的な土地が自分には合っているような気がした。

それならばそのような場所に行ってしまえばいいではないか、と僕は気づいた。オーストラリアにもそのような場所はあるかもしれない。

今度は学校や寮に住むわけではないし、苦労することもあるだろうけれどきっと楽しい生活になるだろうと思った。

僕はひとまず明日学校で、オーストラリアの街についてもっと調べてみようと思った。

 

 

 

 

帰宅すると食卓にはケーキや風船、ご馳走が並んでいた。そういえば今日はトムの誕生日だ。朝、ジョセフィーナとポーラから聞いていたのを忘れていた。と言ってもまだ役者は揃っていないらしく、僕は自室で待つことにした。

 

しばらく自室でまどろんでいるとリビングの方からトムが夕食を食べている音がしたので僕もお供することにした。僕がリビングに向かうと同時にジョン、ジョセフィーナが帰宅しみんなでハッピーバースデーを合唱し、夕食を食べ始めた。

 

 

今日の夕食は、フィリピン料理の中で僕が一番好きな「フンバ」、豆のトマト煮、昨日のカレーに茹でたブロッコリーだった。僕がフンバを食べまくったのは言うまでもない。これは日本でいう角煮だ。というより僕は角煮との相違点を見つけ出すことができない。あえていうとすればかなり脂身が多いことぐらいか。フィリピーノ達はこの脂身を避けて食べるらしく、丸ごと食べていた僕に若干引いていたのを思い出す。味覚と食欲に関してはまだまだ十代だ。

豆のトマト煮はポーラが作ってくれたらしい。ダイエット中の彼女は期間限定でベジタリアンになっていた。そんな彼女が試行錯誤の上にたどり着いたメニューがこれらしく、確かにこれはかなり美味い。

食後はトムのケーキ、キャロットケーキの前で記念撮影をした後、人数分に切り分け、僕も一切れいただいた。はっきり言ってこれはかなり美味しい。人参の味もしっかりとするが、それが柔らかいスポンジの食感に馴染んですごく自然な甘みがした。クリームもおそらく人参を含んでいるためとてもあっさりとしていた。それ以外にもスティッキーライスというライスケーキをいただいた。タッパーに収まっていたそれは最初見たとき、その焼き目からキャラメリゼされたプリンのように見えた。ナイフで切り分け少しだけいただく。完全に米が潰れているわけではないので、少し粒の細かいおはぎのような感じだ。これもあっさりと甘くて美味しかった。

 

左からジョセフィーナ、ポーラ、トム

f:id:hira-jasorede:20180628122425j:plainスティッキーライス

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この家庭は本当に食文化が豊かだと感じる。ジョセフィーナは毎日、食べたことのないようなメニューを出してくれるし、ちょくちょく出てくるスナックについてもその種類は豊富だ。ジョンはたまに可愛らしいチョコレートを出してくるし、食卓には10種類ほどの乾き物が常に置かれている。基本的に好みの味があるというよりは、食べたことがないものを食べて見たいという好奇心で食べ物を食べている僕としてはかなりありがたい環境だった。

そういえばこの家は至る所に蟻が行列を作っている。日本にいてはちょっと信じられない数だ。僕はここに来て、食べ物にたかる蟻を躊躇なく払い落として食べることができるようになっていた。

衛生的な部分で感じる衛生観念についてはできるだけ郷に入れば郷に従うようにしているのだ。いちいち驚いていてはいつまで経っても馴染めないし、その環境で生きている人たちに失礼な気がする。それに自分の適応範囲が広がることは素直に嬉しく感じる。

 

 

 

食後、僕はかなり早めに床に入った。なぜかここ最近とても眠い。風邪や体調不良の類ではなく、単純に自転車での登下校で疲れているのだと思う。明日のことを考えなくていい生活をしている僕は毎日自分の体力をスマートホンのバッテリーだと思って消費し切るようにしている。スマホのバッテリーは中途半端に使っては充電することを繰り返すと劣化するという。僕の体もできるだけ1日で体力を使い切って、食事と睡眠で充電するというイメージだ。そういえば小学生の頃はそんな生活をしていた気がする。日中は全力で体を動かし、明日があることなど考えていなかった。明日どうするかなど明日考えればいい、という発想すらないぐらい今を生きていた。いつの間にかそれができなくなっていたのは自分が変わったからだろうか。

 

精神的に病むのは過去のトラウマや未来への不安に苛まれることに起因する。鬱の赤ちゃんなど見たことがない。昔から「今を生きる」ということが、無駄なストレスから解放される手段なのだと言われてきた。でも大人になるにつれて、重荷としての過去に縛られて、まだ来ない未来に不安を覚えて憂鬱になる。

それでも何かに夢中になっているとき、それらから解放されていると思う。僕の場合、こうやって日記を綴っているとき、知らない街々を歩いている時、人と楽しく喋っている時、面白いゲームをしている時、憂鬱な過去や不安な未来を忘れることができていた。そういえば教師をしている時は学級通信を書くときが一番夢中で時間を忘れている瞬間だったかもしれない。僕は自分の言葉を文字にするのが好きなのだと今気づいた。

 

一方で夢中になれない時、何かの作業をする片手間に過去や未来のことを考えてしまう。盛り上がるパーティで酒を飲んでいるとき、自転車や車に乗っている時などがそれに当たる。自分自身では好きだと思っていたことでもこうやって振り返ると好きではなかったのかもしれないと思い当たる。

 

 

「楽しい」という感覚は、その瞬間ではなく後から気づくものだとどこかの偉い学者が言っていた。それが正しいとすれば、今こうやって振り返ったときに「あの時夢中になっていた」と思えることこそが自分にとっての「楽しいこと」ではないだろうか。

僕はそのようなことを追い求めたいと思う。そういうものこそ自分が成果を出せるものだ。