じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

逡巡の結論

この日は不思議の夢を見た。

 

僕は日本のどこかで旅をしている。ヒントはなかったが、どうやら瀬戸内海沿いらしい。僕はなぜか「鶏山公」という旅館らしきところへ、UFOキャッチャーをするのが目的の旅をしている。ちなみに「鶏山公」という場所や名前に全く見覚えはない。どうやらその旅館への行き方を知らないらしい僕は、それでもどうやらもう後一歩というところまで出ているらしく、田舎のバスターミナルでバスの運転手に必死に聞き込みをしている。どうすれば「鶏山公」にいけるのかと。僕は運転手が指差したバスに乗り込む。そこで目が醒める。どうやらまだ午前5時らしい。

 

 

この意味のわからないこの夢は、どこか懐かしいような、心が穏やかになるような、そんな気持ちにさせた。そういえば昨日のトムの講義も、王が自分の見る夢の意味を逡巡する話だった。僕にも家来がいれば高圧的に聞きただし、困らせてみたいものだが残念ながらそのような者はいない。

 

僕はこの「鶏山公」という言葉を忘れないうちに検索してみたが、熊本の居酒屋「鶏山」や中国の鶏龍山についてしか出てこない。ここで、瀬戸内海沿いの何処かに本当に「鶏山公」という旅館があったならば運命めいたものでも感じて、感慨にふけることができたのだがそんな偶然が起こるはずがない。

僕は、それでもこの不思議な夢を味わいながら二度寝に入った。

 

 

次に目覚めたのは7時半。まだ誰も起きてきていないようだったが空腹を感じ、僕は一人、シリアルを食べることにした。この日は9時からトムと教会に行く約束になっていたが、トムはまだ起きてきていなかった。

 

 

それでも朝食を食べ、ごそごそと自室で何やらとしているうちにリビングも騒がしくなり家族が起きてきたことを察する。僕もリビングに行くと、トムがみたことのない果物を皮むきしている。いつものごとく、興味深げに「それはなんだい?」と問うと、ポポという名前の果物であることがわかった。

半切れーーと言ってもかなりデカいのだがーーをもらうとそれを頬張る。甘みと少しの苦味というか癖がある。だけどかなり美味しい。トムが中のザクロのようなタネを食べていたので僕もいただいたが、わさびのような味がした。

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ニュージーランドの近く、コックアイランドで生まれたトムは幼い頃、豚に人参の餌をあげるときに自分もかじっていたらしい。すると翌日、腹痛になることがあったそうでその原因は人参に潜む寄生虫らしい。そんなときポポの種は腹の中の寄生虫を殺す薬になったそうな。

 

ポポを食べ終わった後、僕はコーヒーをすすりながらトムの出発の合図を待った。

 

 

 

時間も頃合いとなり、トムの「カム!」という合図のもと僕たちはトムの愛車スバル・フォレスターに乗り込む。僕は一応、これからプロテスタント教会に行くのだし、事前情報をトムから得ておこうと思った。

 

 

「トム、そもそもプロテスタントってなんなんだい?」

「それはいい質問だ。昔、クリスチャンは政府と合体して強力になったんだ。そし

 て多くの人を罰した。それにプロテスト(抵抗)したのがプロテスタントさ」

「そんな過去があったんだね。他にはどんな特徴があるの?」

「僕たちプロテスタントは聖書に最も忠実なんだ。聖書に真実が書かれているから

 ね」

「どんなキリスト教の宗派でも聖書に忠実だと思っていたけど、差があるんだね。

 知らなかったよ」

 

「殆どの教会は、今日みたいな集会を開くのは日曜日なんだ。だけど僕達の教会は

 あえて土曜日に開くんだ。なぜなら聖書に書かれているからね。聖書にどれだけ

 忠実かが大事なんだ」

「だから、トムは昨日も聖書をもとに喋っていたんだね。かなり熱い講義だったけ

 ど、プロテスタントならではのものだったんだね」

 

そんな会話をしているうちにトムの通う教会に到着した。どうやら既に始まっているらしい。

教会の集会での立ち居振る舞いがわからない僕はトムの一挙手一投足を真似ようと思った。まず、トムは教会に入る前にサンダルを脱いだ。もちろん、僕も脱ぐ。そして中に入る。すると僕達以外の信者はみんな靴をしっかりと履いているではないか。そういえば脱いだ場所には他の靴もなかった。

気を取り直し、ひとまず席に着く。講義は集会場の前面にスライドショーが映し出され、そこには聖書の一部らしき文章が映されている。読んでいくとどうやら昨晩、トムの授業で取り扱った箇所らしい。僕は知らぬまま、予習をしていたのだ。なんと敬虔なものか。

 

しかしブリティッシュの英語に慣れない僕は殆ど聞き取れず、前に映し出される聖書をヒントになんとか解釈しようとするがこれは僕にとって無理難題である。

 

映し出される聖書と交互に問いが映し出される。

「私たちの希望とは何か?」

「神は私たちの希望を知っているか?それはなぜか?」

などと言った質問である。それに対し、昨晩のトムよろしく敬虔なプロテスタント達が挙手性にも関わらず御構い無しに発言していく。僕は後座に座ったのだが、前の方はかなり白熱しているようだ。

 

 

しばらく講座を聞いていると、トムが急に席を立ち会場から出て行った。そこに僕は一人取り残されたのだが、この直後、信徒によるお布施回収が始まったのだ。僕はこのとき「もしや」と思った。トムはこのお布施回収から逃げたのではないか、と。僕はこのタイミングで抜け出すこともできず、信者ではなかったが申し訳程度のお布施を払った。

 

お布施を回収し終わると全員が起立する。どうやら最後は歌を歌い、解散という運びのようだ。僕もなんとなく歌を口ずさんでいるといつの間にやらトムが戻ってきていた。

僕は彼への疑念を振り払うように、昨晩、トムが「僕の人生の目的はシェア(共有)だよ」と言っていたことを必死に思い出していた。

 

 

 

合唱が終わるとトムの車に戻る。この後は貧乏な僕のために古着屋に行ってもらうことになっていた。というのもフィリピンでの生活に合わせて冬服を持ってきていなかった僕は冬服をいくつか買い揃える必要があったのだ。

4件ほど回ってもらい、僕は1ドルのワークパンツ、2ドルのアウター、少し値が張ったが15ドルのジーンズを買った。オーストラリアプライスにしてみれば驚愕の安価だと言えよう。

(僕を古着屋へと先導するトム)

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(オーストラリアンサイズのズボン。こんなサイズがゴロゴロ売られていた)

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(多くの古着屋は他の中古商品も扱っている)

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その後、家に戻った僕達は昼食を食べ各自部屋に戻った。

 

 

 

実は一昨日の逡巡を経て、昨日僕は卒業後の身の振り方について一つのアイディアを思いついていた。それはふとしたきっかけで思い出したものだった。

 

 

話をフィリピン・セブの語学学校に戻す。マンツーマンの講師としてキャロルというお母さん的先生がいた。彼女には大分英語力を鍛えてもらったのだが、それ以外にも一つお世話になったことがあった。それは彼女がカナダとオーストラリアに親族を持つという経歴によるもので、要するに彼女の叔母がオーストラリアのメルボルンにいるというのだ。僕はキャロルからその叔母を紹介してもらい、住所と電話番号を書いてもらい、彼女からはメルボルンの叔母に連絡まで取り次いでもらっていた。それを僕はすっかり忘れていたのだ。

 

それが昨日、筆箱を漁っているときにそこに突っ込んだそれらのメモを目にすることで思い出されたのだ。

ということで僕は卒業後、メルボルンに行こうと思っていた。かなり他力本願になっていることは承知の上、今思いつく限りの面白いことといえばこれしかないという気持ちになっていたのだ。

 

 

そして生まれた新しい課題。どうやっていくかだ。飛行機で行くのが時間的には早い。だが、それでは面白くないし、そもそも時間については無制限といっても過言ではないほど余っているのだ。しかし寝台列車やバスは以外と値が張ることも分かっていた。優雅に豪州の大地を電車の旅、というのはとても魅力的だが何しろケアンズからメルボルンの中間地点であるブリスベンですら2万6千円程度するのだ。そんな贅沢をしている余裕はない。時間はあって、金はない。選ぶべき選択肢は少しずつ絞られた。

では徒歩か?馬鹿げている。それは無理に決まっている。ヒッチハイクは魅力の一つだが、ケアンズブリスベンが属するクイーンズランドメルボルンが属するヴィクトリア州では禁止されているというのだ。見つかれば20万程度の罰金が課されるという。そんなリスクを負うつもりはない。

最悪、自転車という手はあるがそうなるとすれば野宿用の装備をいくつか揃えねばならない。テントや寝袋は、南に下るにつれ寒くなるオーストラリアでは必須だろう。それにバックパックはいいとして、キャリーバッグはどうするのか。様々な問題をはらむこの選択肢は、最終手段としておこう。

 

 

 

そんなことを考えているうちに、僕は一つの情報に行き当たった。

その名も「リロケーションシステム」。

説明すると、豪州各地にあるレンタカーショップの持つシステムで、別の都市に回送が必要な車を代わりに客に貸し出し、その都市までのレンタカー代を無料または格安とするというものだ。

例を挙げるとすれば、ケアンズにあるレンタカーA支店にあるフォレスターが、来週までにブリスベンのB支店へと回送する必要があったとする。その時に普通はスタッフがA支店からB支店まで運転して行くのだが、同期間にケアンズからブリスベンまでのレンタカーを必要とする客に貸し出すことで、客にB支店まで運転をしていってもらうということだ。

 

これはかなり画期的なシステムではないだろうか。ここまで気持ちのいいウィンウィンの関係はなかなか見たことがない。幸い時間にはいくらでも融通の利く僕は、この方法でケアンズからメルボルンまで、途中乗り継ぎがあったとしてもかなり格安で移動ができるはずだ。

調べによるとレンタカーショップによってはガソリン代も一定額、または全額負担してくれるところもあるようだ。これはありがたい。

 

 

 

僕は豪州に来て以来の「卒業後」の落とし所を意外なところから見つけ出したことで一気に肩の力が抜けた。何も見えなかった未来に一つの道筋が生まれることがここまで人の心を穏やかにさせるものか。

 

 

メルボルンからのことはメルボルンで考えれば良い。それに幾人かの友人達や家族がオーストラリアに遊びに来てくれるという知らせも僕の心を明るくしていた。是非、来てもらった暁にはリロケーションシステムを用いて豪州の大地を駆け抜けたいものだ。

 

 

 

 

 

この間の逡巡をひとまず落着させ、僕は朝の夢のことを考えていた。

夢の中の町は、全く知らない瀬戸内海沿いの下町にも関わらず、どこか懐かしく、長い間、胸焦がれていたような感覚に陥る。気候が暖かくて特に目立ったものはないけれど魅力を感じるその街は僕の理想を具現化したような街並みだった。

結局、海外に出て来ておいて最後に憧れるのは日本なのだろうか。

 

それに「鶏山公という旅館でUFOキャッチャーをする」というのもどことなく示唆に富んでいるような気がするのは僕だけだろうか。

昔、家族でどこかの綺麗な旅館に泊まったことを思い出す。もしくは北海道のキロロにあるホテルのゲームセンターを思い出す。社会人になってから車中泊をしながら回った四国・中国地方。全部を思い出せるわけじゃないけれど、尾道の対岸にある向島や、夏目漱石『坊つちやん』好きの僕には堪らない松山・道後温泉などは僕にとって最高の土地だった。この気持ちはきっとホームシックというものなのだろう。たまには郷愁に浸るのも悪くないと感じた。というよりフィリピン以来飲んでいなかった酒をわざわざ自室に持ち込んで一人で飲んでいる時点で、自分から浸りにかかっているようなものだ。

そんなことを考えながら、この日は眠りについた。