【4日目】ジンジン→チリダース
【朝食】ティムタム、洋梨、コーヒー
【昼食】ミートパイ2つ、フィッシュフライ
【夜食】ビール3杯(XXXX BITTER)、ホットドッグ
順調に南下している証拠か、あまりの寒さでほとんど熟睡できなかった。7時半頃、日が差して少しは気温が上がってきたころに活動を開始した。
起き抜けにティムタムをかじりながら、湯を沸かす。車内の気温と湿度を上げるために窓を閉め切って少し多めのお湯を沸かした。洋梨とコーヒーを食し終え、暖房をかけるべく車を始動させた。
昨日、カウチサーフィンを申し込んでいた人から断られてしまったのだが、この不運が意外な方向で功を奏すことになった。
標識に載っている次の町の名前は「Childers」とある。ガソリンの量的にはそこが次の給油ポイントとなりそうだ。
ジンジンから約100kmほど、車を走らせチルダースの郊外と思われる場所でガソリンを補給した。その後、しばらく田園エリアが続いたためチルダースを通り過ぎたように思った。しかし標識には「チルダース 5km」と書かれている。先程給油した場所はどこだったのだろうか。
そんなこんなで8時過ぎにチルダースに到着した僕は時間潰しを兼ねて町の散策をすることにした。するとこの街の作りが洋風でレトロな街だということに気付く。これは僕好みだ。
オーストラリアでは小さくてレトロ、そして洋風であるというのが僕の街を好きになる上での一つの基準となっていた。
歴史ある街なのか、ミュージアムがいくつか点在している。初めに見つけた「ファーマシーミュージアム(薬局の博物館)」は、ハリーポッターにでも出てきそうな、細部まで作りこまれた「薬局」になっていた。
その後、インフォメーションカウンターを見つけたので入った。ここも昔の建物を改装したような雰囲気で、一階が案内所、二階が「バックパッカーズメモリー」とある。一応、トラベラーズの端くれである僕は先に二階に上がることにした。
二階に上がると、受付のお姉さんが陽気な声で迎えてくれた。しばらくここまで来た経緯などを話した。どうやらここは絵や写真が飾られているギャラリーのようだ。
奥に行くと大きな絵が飾られている。15人の国籍の違う人達が集合写真のように並んでいる絵画だ。説明書きを読むと「2002年にこの建物の火災で亡くなった旅行者達」とある。
この時まで気付かなかったが、以前この建物はバックパッカー達の宿だったらしい。それが、2002年の火災を経て今、被害者を奉るための施設となっているのだ。
遺族から故人への供物が入ったショーケースを見たとき、僕は衝撃を受けた。日本語の寄せ書きが書かれた色紙があったからだ。15人の死者の中に日本人がいたのだ。寄せ書き一つ一つを読んでいる間に、なぜか僕は落涙しそうになった。故人を亡くした家族や友人が、彼を失った後懸命に生きている姿がその寄せ書きに表れていたからだ。僕はしばらくの間立ち止まり、今生きていることに感謝をした。
急に僕の中で一つのアイディアが浮かんだ。この博物館、もしくはこの街でボランティアでもいいから働けないだろうかと。意外なところに日本人との関わりを見つけ、もう少しこの街のことを知りたくなったからだ。
早速僕は受付のお姉さんーーシェリーというーーに相談してみた。しかし反応は良くない。ここで働くならば半年はいなければならないらしい。僕は一階のインフォメーションカウンターで相談してみることにした。受付のお姉さんは僕の提案を遮ることなく聞いてくれ、「博物館に直談判をしてくれ」と提案してくれた。僕は直談判するかどうかは別にして、ひとまずこの街を回ってみることにした。
最寄りの博物館は、「ミリタリーミュージアム」とある。入館すると爆音の通知音が流れ、かなり驚いた。
しばらくしておじいさんが現れた。
「あんた、入館するのか?」
「いえ、実は財布を車に置き忘れてしまって…。入り口の展示物だけ見せてください。」
「…。あんた、日本人か?」
「あ、はい、そうです。」
「じゃあ、日本人に関する展示物だけ見せてやろう。ちょっと来なさい」
「え、いいんですか!ありがとうございます!」
そんなこんなで僕は入館料を払わずに博物館に入れていただいた。一応、日本人エリア以外はあまり見回さないようにした。
奥に行くとタンス二つ分ほどの軍事物や写真が飾られている。中でもオーストラリア人兵士を斬首する瞬間の日本人兵の写真が印象的だった。
日本人エリアを堪能したので僕はお礼を言って出て行こうとすると、おじいさんは無愛想に「全部見てけ」と言ってくれた。僕はありがたく博物館を回らしてもらうことにした。
このミリタリーミュージアムは展示物が所狭しと飾られている。それも多くがショーケースに入っていないため臨場感がある。僕はこの時、「この博物館で働かせてもらえないか」ということを考えていた。入館料5ドルも払っていないことだし、良い言い訳になりそうだった。
展示物を見回すとおじいさんと、もう一人のスタッフが何やら作業をしている場所に戻り、その旨を伝えた。返答の全てを理解することはできなかったが、結果的には明日ならば来ても良いということだった。他にわかったことは、この大量の展示物のほとんどがおじいさん、アレンの所有物で、もう一人のスタッフ、マッシルはその孫だということだった。 カウチサーフィンのホストに断られていなければ、ここに数日滞在することもなかっただろう。結果オーライである。
僕は明日、再訪することを約束して二人と別れた。再度、ウロウロしながら施設に出たり入ったりして時間を過ごした。
ここで僕はまた別のアイディアが浮かんだ。日本語を教える代わりに食べ物をもらうというアイディアだ。これは何日か前にユキノさんと喋っている時に出た案だったが、未だに実行していなかった。お金を介さずに物と物、もしくは物と何かを交換するということを試してみたかったのだ。
シドニーで車を返した後にしようとここ数日考えていたのだが、ここチルダースなら人も優しいしできると踏んだ。そうと決めたら準備をしなければならない。
まずはスーパーに行きダンボールを貰う。英語でダンボールは「カードボード」という、らしい。首尾よくダンボールを入手したら、次はマジックインキをどこかで借りねばならない。僕はインフォメーションカウンターのお姉さんに、博物館でのボランティアワークを入手したことの報告ついでにマジックを借りることにした。
報告に上がると、お姉さんは自分がした提案にも関わらず「awesome!」と驚いていた。まさか本当にボランティアワークが手に入るとは思ってもみなかったらしい。
気前よくマジックを貸してくれたので、僕はスムーズに作業に取り掛かることができた。
先程入手したダンボール一面に
I TEACH JAPANESE
YOU GIVE FOOD
と書いた。FOODの横に小さく「OR SOMETHING」と後から付け加えた。
お姉さんに読めるかどうかを確認してもらい、無事許可をいただいたので早速街に繰り出した。
最初はスーパーマーケットの付近で行ってみた。ここなら食べ物を持っている人がいるだろうと思ったからだ。しかし人通りがあまりないので、できるだけ人通りが多い場所に変えた。
しばらくすると僕の横にミートパイを持ったおじいさんが座ってきた。このおじいさんとはただ会話をするだけだったが、その半生を聞くことができて楽しい時間となった。
ギャレーという名のおじいさんはイギリスで生まれ、オーストラリアへの移住募集が1962年に出された時にこちらに来たらしい。それからオーストラリアの軍人として務め、今はここチルダースに住んでいるのだという。
ギャレーは軍人という過去を思わせないほど柔和な態度と表情で僕に接してくれた。ミートパイを食べ終えた彼は犬の散髪に行くといって帰ってしまった。
間髪を入れずに夫婦と思しき二人が僕に食べ物が入った紙袋を差し出して、立ち去ろうとした。これではただの物乞いになってしまうので立ち去り際に僕は「こんにちは」と「さようなら」を教えて去った。あまりに一瞬のことで名前も写真を入手できなかった。
その後、しばらく声をかけ続けていると女性が小走りに僕に近づき、ミートパイを差し出してきた。
「ほら、これ!」
「ありがとうございます!日本語教えさせてください!」
「じゃあ『サンキュー』って日本ではなんていうの?」
「『ありがとう』です」
「そうなんだ。『ありがとう』ね!」
「そうです。あ、僕の名前はヒラと言います」
「私はキム。よろしくね。じゃあ、私行くからね。ヒラ、『ありがとう』!」
「『ありがとう』、キム!またね!」
僕たちは最後に写真を撮って別れた。先程の夫婦やキム達の去り方を見ると、どうやら僕は物乞いか何かに間違えられているらしい。確かに身なりは貧相だが、できれば相応の日本語を教えたい。そう思っている時に、ブロンドの男性がタッパーを持って近づいてきた。
「ハイ!魚食べられる?」
「もちろんです!これ、もしかすると僕にですか?」
「そうだよ。僕はベジタリアンだからね」
この男性は爽やかに笑って僕の横に腰かけた。差し出されたタッパーにはフライドフィッシュが入っている。
「では、遠慮なくいただきます!お礼に日本語を教えさせてください!」
「そうだね、じゃあまずは自己紹介の仕方を教えてよ」
「自己紹介ですね。まずは名前の名乗り方ですね。『私の名前は』…えっと」
「ああ、僕はクリス!」
「僕はヒラです!じゃあ、『私の名前はクリスです』ですね」
「ワタシーノォナマーエハァ…」
そんなやりとりをしながら僕たちは日本語を教えあった。
「なあ、ヒラ。俺の彼女はすごいセクシーレディなんだよ。セクシーレディって日本語ではなんて言うんだ?」
僕はこの時、色々候補を頭に浮かべたがどれも酷いものだった。これらをクリスが日本で披露すると大惨事になってしまうため、僕は「いい女」と訳しておいた。そういえばセクシーレディでも普通に伝わるではないか。
「なるほど、『いい女』ね…早速彼女に伝えておくよ」
最後に僕たちは目の前のお店の店長に声をかけて写真を撮ってもらった。
これで夫婦とキムから貰ったミートパイ2つとクリスから貰ったフライドフィッシュを頂いたことになる。昼飯とするには十分、否、普段の粗食を思えば断然グレードアップしている。この辺りで打ち止めにしておこう。
僕は店の前を借りて声かけをさせてくれた服屋の店主にお礼を言いその場を離れた。なぜか店主は僕が帰ることを残念がったため、また夜も来ると約束してしまった。
車に戻ると車に張り紙がしてあった。
しまった、駐禁か?しかし、ここは1日止めていてもいい場所のはずだ。
そう思って張り紙を見てみると今日行われるイベントの案内だった。いまいちなんのイベントか分からなかったが、せっかくなのでいってみることにした。
チャージとして2ドル払い、僕はパブとダンスフロアが合わさったような店に入った。そこで数杯ビールを飲みながら僕は気持ちよく酔った。生演奏があったり、ビンゴがあったりと楽しい時間だった。みんながどんちゃん騒ぎをしている中、僕もキャロルという老婦人と談笑していたが6時になると、「立って立って!」と急き立てられた。
すると電気が切られ急に黙祷が始まった。なんに対する黙祷なのか残念ながら分からなかった。
パーティの最盛期は御歳72になるというキャロルの誕生日会だ。僕も一緒に踊らせてもらった。この旅で初めてオーストラリアの人たちと個人的なつながりが持てた。ドーン(ダック)、キャロル、エンディーその他にも沢山の人に親切にしてもらった。
その後、場所を移し初ビーフストロガノフと初ピンボールなど、初めてのチルダースの夜を存分に満喫したのであった。(現在進行形)