じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

【ダーウィン3日目】オーストラリアの地獄の門から逃げ帰ったら満天の星空が見れた件

【3日目】ノーマントン→バーケタウン→ヘルズゲート→グレゴリー(836km)

 


前日にノーマントンの中央分離帯で寝たにも関わらず8時ぐらいまで一度も目覚めずに熟睡することができた。

 


僕達は目覚めるとノーマントンの船着場に向かい、そこで火を焚きコーヒーと紅茶を淹れた。それに合わせてパン、コーンフレークを食べ朝食を済ませた。

 

 

 

朝食後はノーマントンのミュージアムに併設された公衆トイレで洗い物などを済まして、ミュージアムの前のモニュメントである巨大ワニと写真を撮った。

 


僕はこの、自分の4、5倍もありそうなワニのモニュメントを見てえらく誇張されたサイズだなと思っていると、直前でモニュメントとともに写真を撮っていた夫婦が、これが本当のサイズなのだと教えてくれた。

 

 

 

1900年代初頭にノーマントンに実際いた「krys the savanna king」というワニは大きさ8.1mもあるらしい。それを女性ハンターが撃ち殺したそうだ。その記念碑としてこのモニュメントがあるらしい。

 


僕もベタにワニの口に入り込んで「食べられた~」といった趣の写真を一枚撮っておいた。

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撮影を終え、ユキノの運転で車を前に進める。次の給油ポイントはバーケタウンという街だ。ケアンズからダーウィンへの道は、極端に街の数が少なく、次の街すなわち給油ポイントとなる。昨日はチラゴーから580km先のノーマントンまで一切街がなかった。

 

 

 

 


昨日の悪路ルート27とは打って変わり道はかなり状態が良かった。たまに未舗装の道もあるものの、それほど深い溝もなく、安心して運転することができた。

 

 

 

運転開始から約二時間で給油ポイントのバーケタウンに到着した。そこで給油を済ませ、僕は格好をつけてユキノにアイスを奢ろとしたが現金のみの扱いとなり、すごすごとアイスを冷凍庫に返す羽目となった。

 

 

 

給油を済ませ、ルート27で車に付いた砂を綺麗に掃除してくれているユキノを横目に僕は車を眺めているとあることに気づく。どう見ても右側前輪のタイヤの空気が減っている。

 

 

 

ガソリンスタンドから空気入れを借りて、空気を入れてみたがあきらかに抜けて行く。パンクだ。

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それでも悪あがきしたい僕達は少し時間を置いて空気が本当に抜けているのかを見てみようと思った。昼食をとり再びタイヤを見ると見事に先ほどよりもへこんでいる。2度目だが改めて確信した。パンクだ。

 

 

 

そういうわけで一度目にガソリンを入れたガソリンスタンドに併設されている車修理屋に行き、修理を依頼した。

 


体の大きい「ザ・オーストラリアン」と言った風貌の修理人は「心配すんな」と何度も言って僕達を励ましながら様子を身始めた。

 

 

 

 


僕達は修理をしてもらう40分程度の間、街を見回った。古く、小さな街だがパブやブッチャリーなどがあり面白い街だ。ミュージアムに行くとアボリジニに関する展示品がたくさんあり、この街がアボリジニと関わりのある街だと分かる。そんなことをしているとちょうど良い時間になり修理屋に戻った。

 

 

 

 


戻るとヒュンダイの近くに数人の街人たちが集まっていた。よく見るとそのうちの一人はミュージアムで暇そうに時間を潰していた男ではないか。ミュージアムの次はこんなところで油を売っていたとは。やはり暇な男だったようだ。

 

 

 

修理人は僕達が悪路を走ってきたことを見通しているらしく、ルート27で傷ついた部分の修理もついでにしてくれていたようだ。とてもありがたかった。

 


何よりありがたかったのは、それらの修理費をパンク修理代に全てまとめてくれていることだった。なぜなら僕達がヒュンダイを借りる際に入った保険ではパンク以外の単身事故は保障されないからだ。

 

 

 

そういうわけで悠々とパンク修理費を払い、国道1号ダーウィン側へ進んだ。

 


次の目的地が記された道路上の表記にある地名が見えた「HELLS GEAT」とある。直訳すれば「地獄の門」だ。こんなに少年心を揺さぶる地名はなかなかなかろう。

(上から二つ目がオーストラリアの地獄の門

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しかし一方でこのようにも思った。「まさか地獄の門なんていう地名があるわけない。きっと『ヘルズ』とかいう場所の入り口なんだ」と。

 


そんな思いを抱きつつ僕達は一路ヘルズゲートへ向かう。バーケタウンから150kmほどの距離だ。

 


ヘルズゲートに向かう際、僕達の進行方向に地面から生えたような巨大な雲が立ち上るのが見えていた。あまりに大きく、地面に近すぎるためにユキノは違和感と好奇心を抱いていたが僕は特に何も思っていなかった。

 

 

 

しかしヘルズゲートに到着する5km直前ほどになるとその雲の正体がわかった。火事だ。それも広大な草原が燃え盛っているのだ。遠くから見たあの雲の正体は火事の煙だったのだ。

 


道路のすぐ脇には燃えさかる炎。横を通るだけでかなり熱い。そんな様子を興奮しながら見ていたが、「ヘルズゲート」という地名を思い出し少し背筋が寒くなった。これが地獄への門か、と。

 

 

 

そのまま2kmほど走るとヘルズゲートに着いた。パース直前にたくさんあった砂漠地帯の給油ポイントのような場所だった。

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僕達はここで給油を済ませて、レストラン受付のお兄さんにヘルズゲートの地名の由来を訪ねた。ちなみにオーストラリアの給油ポイントの多くはガソリンスタンドとレストランやコンビニがセットになっており、こちらのレジでお金を払う仕組みとなっている。

 


すると意外なことにヘルズゲートという地名は本当に「地獄への門」だったらしい。

 


いわくヘルズゲートから先は本当に荒れた道で、橋のない川を三本渡らなければならない。それに川の水は膝丈ほどまだあるのだ。路面状態も悪く350kmほどの距離だが五時間以上かかるらしい。

 

 

 

そんな話をしているとレストランの娘さんやおばあさんも寄ってたかって僕達にこの先の道がどれほど恐ろしいかを説いてきた。

 


それに周囲のダーウィン方面からこちら側に来た人たちもその道の悪さについては表現しかねると言った感じで顔を歪ませていた。

 


多くのドライバーがそれでも四駆の巨大なピックアップカーだったため渡れたがヒュンダイではかなり厳しそうだ。

 

 

 

僕達はかなり迷ったがバーケタウン側にだいぶ引き返し別の道に行くことにした。

 

 

 

僕達が進んできたのは国道1号。これで後、500kmもすればノーザンテリトリー州に入れた。しかしまた140kmほど国道1号を戻り、途中で南側に舵を切ることによってルート84へ乗る。そしてA2という主要道路に乗り、スチュワートハイウェイまでたどり着くという寸法だ。

 

 

 

そうと決まれば急いで戻らねばならない。もう午後四時になっており、今日中にルート84の給油ポイントである「プラネットダウン」までは行っておきたい。そのためには割と急がねば日が暮れてしまう。そうなればまたワラビーを轢きかねない。そんなわけで僕達は一路プラネットダウンへと向かった。

 

 

 

途中で行きにはなかったガラスの飛び散ったものが道路に落ちていたり、その真横にアボリジニのおじさんが座っていたりと、明らかにその「悪意」が伝わってくる嫌がらせを受けたがなんとか無事に国道1号を進み、ルート84に入った。

 

 

 

実は僕はこの「プラネットダウン」への訪問を楽しみにしていた。名前からしてロマンチックだが、きっと名付けた人があまりの空の広さと星の見え方に「プラネットの真下にいる」と思って付けた名前なのではないか、つまり夜空がかなり綺麗なんじゃないかと期待したのだ。

 

 

 

しかし行けども行けどもプラネットダウンは出てこない。車を走らせ続けるといつのまにかプラネットダウンの次の街「グレゴリーダウン」に着いてしまった。

 

 

 

 


着いてしまったものは仕方がない。その辺りの人達にガソリンスタンドがあるか尋ね、パブに併設された目立たないガソリンスタンドをなんとか見つけ出し給油を済ませた。そのパブがどう考えても僕好みのレトロで楽しげな場所だったのだが予算のことを考えて泣く泣く見送った。

 

 

 

 

 

 

ガソリンを満たし今日の停泊地を決めて駐車すると、この寒いのに半袖短パンのおっさんが話しかけてきた。

 


「おい、あんたらこんなとこで何やってんだ?」

「今日はここで車中泊をしようと思ってるんです」

「なんだって、それはもったいない」

「もったいない?」

「この先の橋を少し行ったところに綺麗な川があるんだ。俺はそこでしばらくキャンプをしてんだよ。あんたらも来ないか?」

 

 

 

僕はこのどうみても怪しいおっさんの誘いに乗るか迷ったが、着いて行くのも面白い、誘いに乗ることにしてみた。ユキノもどう見てもこの半袖半パン親父のことを不審に思っている感じだ。

 

 

 

暗い中、親父が言った方向に車を進めると親父が言った通り橋がある。そしてその橋のかなり下に無数の灯りが見えた。一瞬家の明かりに見えたがそれは沢山のキャンパーバン達の灯りだったのだ。僕達はあの親父が言っていたことが嘘ではなかったと少し安心した。

 

 

 

 


橋を渡りきり、ヘアピンカーブを左折すると橋の下のキャンプサイトに降りるための坂があった。その坂を下りきったところで小さなトーチが揺れている。どうやらあの親父が僕達を誘導してくれているようだ。なんて親切な親父だ。その誘導に従い僕達はヒュンダイを親父のキャンパーバンの近くに停めた。

 

 

 

親父達はニュージーランド在住で、ここグレゴリーという街で開かれるフェスタに向けて一週間の滞在をしているらしい。この時期は毎年オーストラリアに来ているのだという。

 

 

 

僕達は親父達のキャンプファイヤーで暖を取らせてもらいながら、車に付いているコンロを貸してもらいパスタを作った。今日の終わりにパスタを食べられるなんて僕もユキノも想像していなかった。ここに来て思わぬ幸運に恵まれたようだ。

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僕達は今日のヘルズゲートで道を確認しておくことの大切さを学んだ。そういうわけで親父やその妻、キャンプファイヤーに誘われて集まった老夫婦達に地図を見せながら明日のルートを確認した。

 

 

 

その後、早めに解散して僕達はフリーのシャワーを浴びに行った。ホットシャワーと聞いていたが冷水しか出なかったのには参った。

 

 

 

 

 

 

 


そういえばここ数日は天気に恵まれ、毎日満天の星空を仰いでいるが、ここグレゴリーダウンの夜景はちょっと特別だ。目立つ建物が平屋のパブぐらいしかないので180度の夜空のパノラマが広がっている。こんな場所はこれまで見たことがなかった。そしてこんな僻地に次の土日にはフェスタで何千人という人が集まるというのだから驚きだ。

(見にくいが、下の明かりはパブ、上の光は星)

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ダーウィンまで残り1400kmほど。残り二日無事たどり着けるか若干雲行きが怪しいが、明日の朝は早くに出発することにして今日は早めに就寝した。