【パース6日目】ダーウィンからパースまでのガソリン代を計算したの巻(計4,225km)
世界一美しく孤立した街パースは、オーストラリア一天気のいい街としても名高い、らしい。
らしいというのは僕が滞在している間、雨が降っていることの方が多く、その異名に若干の違和感を覚えているからだ。
そんなパース生活1日目(正確には昨日が初日だが)ももちろん雨だった。
朝食にコーンフレークと昨日のあまりのマンゴークリームロールを食べ、ユキノが余らせたコーンフレークも食べた。
洗い物やゴミ捨てなども済ませてまずは僕達の大量の荷物を車で宿まで運ぶ。
距離制限はあったものの、なんとか制限内でレンタカー会社と宿までの距離を収めることができそうだったからだ。
そんなわけで細心の注意を払いながら道を間違えないように道路を進む。車で走ってみるとパースはいかにも美しい。
スワンリバーのほとりに立つ高層ビル群やカラフルなモニュメント、歴史的な趣のある教会やミュージアムなどは街を流すだけでも目に焼きつく印象深さを持っている。
そんな街を通り過ぎ、無事に本日の宿オールドスワンバラックスに到着する。ここもおそらく古い建物を改装したものだろうという古さ、いや古めかしさが漂っている。
ピークシーズンの現在は普通に泊まれば25ドルするオールドスワンだが、airbnbで運良く一泊14ドルの値段で予約ができた。
そこで受付を済ませて荷物を預け終えると再び車に乗り込んだ。ついにレンタカー会社に車を返却しに行く時だ。
往路同様、細心の注意を払いながら無駄な距離を走らないように向かう。途中でガソリンを満たし、無事にアポロレンタカーに到着した。
借りた時とは違い、この日は僕達以外の客はおらずスムーズに返却作業は進む。
ここで一つ問題が起きた。渡したガソリンのレシートのうち一つだけ購入物、つまりガソリンを買ったという記述がないため返金されないと言われたのだ。それも限りなくエンプティに近い時に給油したサンドファイアでのレシートだった。
僕はしばらく抵抗を続けたが、返金が不可能なことも同時に理解していたため引き下がることにした。
(今回の旅のレシート群)
(ダーウィンからパースまでのガソリン費用は$1197.34)
そんな一時があったアポロレンタカーを後にして、街に帰るためにバスに乗り込んだ。
バスで行き先を英語で伝えていると、ふいにアジア系の男性ドライバーが日本語で話しかけてきた。
「てか、どこいくんすか?」
「えっ、日本の方?」
「そうです、そうです。どこ行きたいの?」
「いや、この…場所…」
僕はグーグルマップを見せながら場所を示す。
「ああ、ここね。僕、最近ドライバーになったばかりだから慣れてなくてね。でも分かるよ。料金はとりあえず一人4.8ドルね。できたら二人一緒にちょうだいね。」
なかなかの早口でまくし立てられながら僕達は運賃を払いバスに乗った。ドライバーからほとばしる癖のようなものを感じながら。
おそらく年齢は50過ぎ。その年齢で最近になってドライバーになったという彼の境遇を酒の席でゆっくりと聞いてみたい気持ちになった。
そんなことは実現するわけでもなく、僕達は目的地で下車。そのまま電車に乗り継ぐ。
なんとパースではバスチケットで2ゾーンまでなら電車も同じ運賃で乗れてしまうことができる。こんなお得なサービスを知らず、僕は前回わざわざバスと電車にお金を払っていた。
バスがやたらと高いと思ったが、電車もついでに乗れるならむしろ安いくらいだ。
そして無事にパース駅に到着。チェックイン時間に近づいていたため、そのままオールドスワンに向かった。
チェックインを済ませて部屋に入るとなかなかカオスな空間だった。
六人部屋のはずが空きのベッドが一切見つからない。先に入っている3人の男女が荷物を豪快に広げて全てを使っているようだ。
以前、ダーウィンで僕たちとシンガポールの友人が四人部屋に三人で入居しているときに、「ここに勤勉な外国人が入ってきたら気まずいだろうなあ」と話して笑っていたが、どうやら僕たちがその立場になってしまったらしい。
長逗留をしているらしいエストニア人3人の部屋からは吐瀉物の香りが漂っていたため早めに外に繰り出したくなった。
その中で荷解きをして、ユキノと街を歩くことにした。まずは腹ごなしだ。
以前パースに僕が一人で滞在しているときに唯一、外出したのが日本食レストランの「たか」という店だ。オーストラリアで外食をすると2桁ドルはしそうなものだが、ここはカツ丼をラージサイズで食べても一桁ドルに収まる良心設計なので良く使った。
ここで僕は旅中、念仏のように唱えていた唐揚げを食べ、ユキノはジンジャーポーク丼(豚生姜焼き丼)を食べた。
昼食を済ませると街をぶらぶらと歩くことにした。以前気づかなかったが、ここはどうやら割とおしゃれな街らしい。
オーストラリアでは初めてユニクロやナイキなどのお店を見つけた。
建物もヨーロッパ感が漂うものが多い。
そんな街中にあるポストカードショップで絵葉書を購入した。祖父母用と前職場の人に向けてだ。
前の職場を辞める際に、一人の先生に手紙を出すと約束をしながらこれまでなかなか出す気持ちになれなかった。
去った者がそんなものを出してどうするという気持ちもあったし、出す勇気が出なかったというのも本音だ。
でもこのダーウィンからパースの旅中に自然と出そうという気になれた。それはようやく気持ちの上で過去を清算することができたからに他ならない。
あまり気持ちのいい辞め方ではなかったし、これまではどちらかというと前の職場と言えば悪い思い出が先立っていたが、なんだか最近は楽しかった思い出や嬉しかった記憶が蘇ることの方が多い。
過去を辛いもののままにしてしまっては記憶に縛られたままだ。それは何よりも精神衛生上悪いことで、捉え直していかなければならない。悪いこともあったけど、良いこともあった過去の記憶ならば良い記憶に焦点を当てれば良い。
そして今回手紙を書いた先生はそんな良い記憶の中に出てくる先生の一人で、間違いなく僕の過去を捉え直す上でとても大切な人だった。そんな先生に感謝の気持ちを込めて手紙を綴った。
手紙を書いたのも、ペンで文字を書いたのも久しぶりすぎて手が震えそうになったが何とか書ききることができた。こういうのは勢いが大切。
手紙は途中まで宿で、仕上げは図書館に出かけて書いた。
この図書館の発見も偶然だった。ユキノが女子っぽくカフェに繰り出したいと言ったのでカフェを探したが、作業ができそうな場所が全然ない。
騒がしい場所か、上品過ぎる場所かどちらかしかなく、その中間がないのだ。
そういうわけで寒さに足をしびらせながら歩くこと30分ほど。カフェが入店している市立図書館を発見した。
手紙を書き終えると、そのまま翌日からのシェアルーム探しを始めた。
そしてタイミングよく、これから部屋の下見をすることができることになった。
下見するシェアルームは一週間$85。光熱費とネット環境も込みなのでかなり安い。
その代わり市内からは電車で10分ほど乗らなくてはならず、また駅からも割と歩かねばならない立地にあった。
働きに出るユキノはまだしも、僕は家に引きこもるだけなので問題はない。
早速電車に乗り込み、家に向かう。
(その途中で手紙を投函。我ながら怪しい)
家は高級な住宅街の中にある割と歴史的趣を感じる一軒家だった。
早速お邪魔すると日本人オーナーが迎えてくれた。どうやら他のシェアメイトも日本人のようだ。
僕は衛生面はそこまで気にしないのでネット環境だけ確認して後は御構い無しだったが、オーナーは驚くべきことを言う。
「宿代は週$70で構いません。安く設定し過ぎると逆に人が来ないので、相場に合わせて表示しているだけです。」
ここに来る以前に、家賃を値切るか値切らないかでユキノと話していたがそんな必要もなかったようだ。そんなわけで僕たちは1ヶ月にしておよそ2万3千円という驚くべき安さの宿を手に入れてしまった。
帰りに祝勝会と称して再び市内で日本食レストランに寄る。僕はカツ丼を食べた。別に「勝つ」とかけるような寒いことをしたわけではない。
宿に戻ってからライティングをする気満々だったが、再び睡魔が襲ってきたためこの日は9時には就寝をした。明日から頑張ろう。