仕事をアイデンティティにしない(神谷美恵子『生きがいについて』)
神谷美恵子『生きがいについて』から抜粋。(長いから太字だけでも読んで)
- 神谷美恵子『生きがいについて』
- 仕事をアイデンティティにしない
- 褒めてはいけない・褒められてはいけない
- 純粋にやりたいことをやることにする
- 嫌な仕事を無理にやることは誰のためにもなっていない
- 世の中が真暗になり、すべての人生計画が破壊されてしまった。
神谷美恵子『生きがいについて』
生きがいをうしなったひとは 、自己との関係もそれまでとは変ってくる。
ふつう家庭や社会の中で 「りっぱに 」生きているとき 、大ていのひとは自分の値打とか 、自分の存在の必要性とかについて 、なんとはなしに自信を持って暮している 。
そういうひとの行動の大部分は 、他人から期待されている役割を果たすだけのものであり 、その社会的役割がそのひとの自我のほとんど全部を占めていることが多い 。
しかし 、たとえばもしこういうひとたちがひとたびらい(注:らい病)にかかって 、ひそかに名前を変え 、行方をくらまして療養所にはいったとしたらどういうことになるであろうか 。
入園者は以前の生活で支えとなっていたものをみなはぎとられ 、裸の自己に対面することになる 。
これは少し極端な例かも知れない 。しかし 、何かのことで生きがいをみうしなうような状況にあるひとは 、大ていの場合 、孤独のなかで 「自己そのもの 」と相対することを余儀なくされると思われる 。
しかもその自己とは 、生存目標をうしない 、統一原理をうしなった存在であったから 、これほど無力でみじめなものはない 。
自己に対するこの深刻な嫌悪の泥沼から 、どうやってひとは這いあがるのであろうか 。
自己へのにくしみのあまり自殺してしまうひともある 。
酒や麻薬や享楽に耽溺するひともある 。
どうせこんなものさ 、となれあいの形で 、すべてを浅くごまかして暮して行くひともある 。
発見した自己をそっとかくし 、再び仮面をつけて生きて行くひともある。
きびしく自己をみきわめ 、あるがままの自己をなんの自己弁解もなく 、うけ入れるほかなくなるひともある 。
いずれにしても 、ここでひとが自己に対してどのような態度をとるかにより 、その後の生きかたに大きなひらきが生ずることであろう。
神谷美恵子『生きがいについて』から引用
仕事をアイデンティティにしない
要は「仕事を辞めた時に自分に残るアイデンティティがあるのかどうか」ということで、これを拗らせ始めると一夜だけでは終わらない。
自分以外の何かに自分の価値を任せてしまうことによって、自分の価値が第三者から簡単に変えられてしまうことになる。
褒めてはいけない・褒められてはいけない
教育現場では自尊感情を高めるためには褒めることが大事だと言われているけれど僕はそうは思わない。
褒められる → 頑張る
という構図は簡単に
褒められない → 頑張らない
に変わってしまうからだ。
頑張ろうと思うモチベーションは「自分がやりたいからやる」というところから湧き出るべきであり、
第三者の評価をそこに加え始めると、
純粋な「自分がやりたいからやる」という気持ちから
「他人に褒められたいから・怒られたくないからやる」という気持ちに変わってしまう。
「他人に褒められたいから・怒られたくないからやる」という気持ちで仕事をしていると、(評価者としての)会社を辞める選択肢がなかなか生まれづらいのでは。
純粋にやりたいことをやることにする
そんなことを考える最近。
報酬の見合わないライティング依頼に断れない時に3つの傾向があった。
- クライアントが高く評価してくれる
- 自分が面白いからやっている
- 単純に報酬が高い
どれも原稿を書く時のモチベーションを与える要因であることに変わりはないが、やはり継続することができるのは「自分が面白いからやっている」という依頼だけ。
それでも無理に依頼を続けて起こるのは原稿の品質低下であり、
それは結果的に誰のメリットにもなっていない。
嫌な仕事を無理にやることは誰のためにもなっていない
されども生きるためには仕方なく嫌な仕事、しんどい仕事でも続けている人がいる。
大企業に勤めることができたからそれを手放せない人もいる。
それでも思うのは嫌な仕事を無理にやることは誰のためにもなっていないということ。
自分の代わりはいくらでもいるし、楽しんでその仕事ができる人にその枠を与えるべきなんだと僕は考える。
世の中が真暗になり、すべての人生計画が破壊されてしまった。
これは「らい病」の患者が、その病気を宣告された時に感じた気持ち。
『生きがいについて』を読んでいると、いつもならあまり目に入らなさそうな箇所が、今日はなぜか目に入った。
急に、数年先、数ヶ月先、数週間先に目を向けて生きていることの空しさを覚えて、とりあえず美味いものでも食べにいこうと思った。(了)