【パース149日目】「ハット・リバー公国」(豪州唯一の独立国家)に行ってきた話
ハット・リバー公国はオーストラリア唯一の独立国家。
ユキノが「ハット・リバー公国」についての話を職場で聞いてきたことをきっかけに、「ハット・リバー公国」へ赴くことを即断。パースシティーから約600kmをレンタカーで駆った。
ハット・リバー公国に行くまで
日帰りで往復1,200kmの旅行ということで、レンタカーショップが開店する8:00にお店に到着する。
借りた車はコレ。ハット・リバー公国直前に20km程度のオフロードがあるということで不安が否めない僕たち。
ケアンズ→ダーウィン間の悪路「ルート27」で地獄を見た僕たちからすると、地図上の実線以外はできれば走行したくはない。
そんな失敗があったとて4WDを借りるわけでもなく、TOYOTAのエアリス?をコスパ重視で借りちゃう僕たち。
そんなわけで8:00過ぎに予定通り出発。
ちなみにケアンズからハット・リバーの道中には
などなど見所があったりする。ただ僕は毎度のごとく自然にほとんど興味を持てない。そんな僕が久しぶりに興味を持った「ハット・リバー公国」。やっぱり独立国家という響きはカッコイイ。
独立の経緯についてはWikipediaを参照。
1969年10月、西オーストラリア州政府が小麦の販売量割当を決定した際、ケースリーの農場に割り当てられた販売量が十分なものではなかったため、他の5つの農場と連携し政策に反対し、西オーストラリア州総督のダグラス・ケンドルーに法案撤回の請願書を提出した[1]。しかし、請願書は無視され、さらに州政府が地方の農地を取り返す権利を認める法案の審議が進められたため、ケースリーは「経済・土地が奪われる危機に瀕した際には分離独立することが出来る」という国際法の規定に基づき独立の準備を進めた[1]。
カースリーは「販売量割当の修正または52万オーストラリア・ドルの補償金が支払われない場合、オーストラリアから独立する」と西オーストラリア州政府に最後通告するが、これに対する返答が得られなかったため、1970年4月21日に自身が所有する75平方キロメートルの土地を「ハット・リバー公国」としてオーストラリアからの独立を宣言した[1]
そんなわけで約6時間30分くらいの行程を法定速度を守りながら向かう。
パースシティからハット・リバー公国へは1号線と60号線の2つのルートがある。1号線は内陸・60号線は海側を通る。
(一般的には1号線の方が太いというイメージではあるが、往路60号線、復路1号線を通った結果、どちらにもそこまで差がないということが判明)
先ほど紹介した「パースに来たら一度は行きたい」的存在のランセリン・ピナクルズは華麗にスルーしつつ一路、ハット・リバー公国へ向かう僕たち。
これまでワラビー×3を道中殺めてきた僕だが、今回は道路を横断していたリザードを踏み潰してしまうこととなる。
パースからハット・リバーに向かう道中で街らしき街は「Geraldton(ジェラルトン)」と「Northampton(ノーザンプトン)」の2つのみ。ジェラルトンの方はまだ大きいがノーザンプトン自体は西部劇に出てきそうな小さな街であるので給油は確実にジェラルトンでしておきたいところ。
ちなみにこの日は最高気温36度とかなり暑かったが、ラウンドトリップ中、燃費のことを気にしてクーラーを付けず、オフロードの土埃のために窓も開けれなかったあの頃を思い出すと、全く気にならなかった。
60号線はパースから350km程度走らせると1号線と合流する。
海沿いの道をあえて走った時に気づくのが、白い砂浜が売りのランセリン以上に広い「白い砂浜」が各地に点在していたということ。60号線から見える海が「インド洋(Indian Ocean)」であることにGoogleを見て気づく。
そんなわけでハット・リバー公国前最後の街「ノーザンプトン」を通過して少し行ったところで標識「PRINCIPALITY OF HUTT RIVER」を発見。
そこを左折してしばらく行ったところでいよいよオフロード。ただ乾季の西オーストラリア州ではオフロードも崩れておらずコンパクトカーでも余裕で通過することができた。雨季だとまた違ったかもしれない。
ハット・リバー公国に到着
しばらく広大な小麦畑に囲まれたオフロードを走り続けるとついにハット・リバー公国に到着。見た目はちょっと広いキャンパーサイトのような雰囲気だった。
車の止める場所がなかったため木陰に駐車して僕はトイレに向かった。外でユキノが女性と話しているのを聞きながらゆっくりと用を足した。
トイレから出ると隣の建物の看板に「Government Offices」と書かれていることに気づく。言わばハット・リバー公国のホワイトハウスか。
その中に入ると先ほどユキノが話していた女性がカウンターで待ち受けてくれていた。後ほど、この女性が皇女であるということが判明した。
ハット・リバー公国は独立国なのでガバメントオフィスで入国審査も行わなければならない。入国料は4ハット・リバードルだ。ただし今回は「1ハット・リバードル=1オーストラリア・ドル」ということで「4オーストラリア・ドル」を支払う。というかハット・リバードル持ってない。
パスポートに入国印と(なぜか同時に)出国印を押してもらい、僕たちは念願のハット・リバー公国に入国を果たした。
独立未承認のハット・リバー公国の出入国スタンプがパスポートに貼られていると、オーストラリアを出国する際に審査官に怒られると噂で聞いたが、そこまで審査官が暇だとは思えない。
どうやらオーストラリアン・デイのこの日、皇女しかこの街にはいないようで、皇女が色々と説明をしながらハット・リバー公国を案内してくれることとなる。
これまでの歴史や中国から来た芸術家が彫刻や銅像を作成していったことなどを丁寧に教えてくれた。とりあえず暑かったのと、ものすごい早口だったのと、僕の英語力がかなり稚拙だったことを含めて内容は3割程度しか入っていない。
そんなこんなでハット・リバー公国を歩き回っているといつの間にか1時間が過ぎていた。ただ歩くだけなら10分程度で終わりそうな施設を思いもよらずかなりの時間見回っていたらしい。
ただ帰りのことも考えるとあまり長居をするわけにも行かなかった。時間はすでに午後の3時過ぎ。今から直帰をしても10時を過ぎてしまうだろう。それにこの後にまだ回りたい場所があった。
ハット・リバー公国を後にする
皇女に別れの挨拶をすべく僕たちは先ほどのガバメントオフィスに向かう。しかし皇女は留守だ。公務をほっぽり出すほどの大きな事件でもあったのかもしれない。
ハット・リバー公国で購入したジュースの代金もまだ払えていない。これでは飲み逃げになってしまう。それにお土産も購入したかったし、何と言っても皇女と一緒に写真を撮りたいと思っていた。
そんなわけで諦めの悪い僕はユキノを車に残し、「Excuse me」を連呼しながら公国内を探し回った。すると家屋から物音がした。そこがどうやらハット・リバー公国の皇居ということとなるらしい。
そこから少し慌てた様子で出てきた皇女は「モニターを見ていなかったのよ。」と僕に何度か繰り返し述べた後に僕に用件を訪ねた。
僕はジュース代とお土産代を払いたい旨と写真を一緒に撮りたい旨を伝え、無事にその想いを伝えることができた。
ハット・ラグーン(ピンクレイク)が近い!
ハット・リバー公国からすぐ近くにハット・ラグーンまたの名をピンクレイクと呼ばれる塩湖がある。
この塩湖は名前の通り、バクテリアの影響でピンク色になっている。せっかくここまで来たのだからというわけで、このハット・ラグーンも見ていくことにした。
元々はハット・リバー公国の最寄り街であるノーザンプトンを経由して再びインド洋側に向かう予定だったのだがそれではかなりの迂回ルートとなってしまう。
そういうわけで皇女に教えてもらったノーザンプトンを寄らずに最短距離で行くことができるルートを通って僕たちは向かう。
しかしこの最短ルートにもリスクが伴った。
ノーザンプトンを迂回するルートは、1号線とチリモニーロード(州道?)、グレモニーロードから成るために大回りではあるが舗装された道路となる。そのため悪路ルート27のように未舗装道路を通る心配はない。
一方でハット・リバー公国からハット・ラグーンまでの最短ルートである「OGILVIE ROAD」はGoogleにすら乗っていない農道。もちろん舗装されているわけがない。
ただ迂回する時間が惜しいことと、皇女の自信に満ちた「雨季じゃないから大丈夫」という言葉に励まされ僕たちは最短ルートを選んだ。
実際に走ると確かに皇女が言った通り、地面は乾燥しており、ほとんど車が走らないのか轍もない平坦な未舗装道路となっていた。
見渡す限りの小麦畑は、ハット・リバー公国を出た現在でももしかすると彼らの土地なのかもしれない。
公国から30分程度走行していると無事に舗装道路のGREY ROAD(グレイロード)に出ることができた。ここからは一直線でハット・ラグーンまで行くことができる。
グレイロードを走らせて30分程度のところでついに僕たちはハット・ラグーンに到着する。思った以上の景色に僕は少し感動した。ユキノは塩湖に落ちている枝を見て「鳥が死んでいる」と呟いていた。
塩湖は部分的に水たまりができているような形で、水面に空が反射して美しい。滞在時間30分程度だったが、公国にも勝らんばかりの思い出となった。
塩湖は素足で入るとかなり痛いのでサンダルを履いた方がいい。
帰路600kmの道のり Greenoughの奇妙な木
ハット・ラグーンから出たのが4時30分頃。ここから僕たちは一路パースまで急いで帰らねばならない。オーストラリアのナイトライドは夜行性の動物たちがひしめき合っていて危ないのだ。
そうは言うもののパースとノーザンプトンの中心に位置するジェラルトン近くまで行けば、Greenough(グリーナフ)というエリアでは面白ものが見られる。
海沿いの丘陵地帯であるこの地では西側のインド洋から吹く風が東に向けて街を通り過ぎていく。グリーナフの国道1号線沿いには何本もの木が立っているのだが、この木が風の影響を受けて全て東方向に傾いているのだ。
その中でも特に目立つのがこの木。「Leaning Tree(寄りかかる木)」やら「メリーゴーラウンド」やら「Wajarri」やら色々な名前が付けられている。
最初にも述べたようにパース-ハット・リバー公国間にはランセリン・ピナクルズなど色々な見所もあってなかなかいいドライビングロードだと思う。(ピナクルズには行こうと思ったが営業時間が夕方5時30分までだということだった)