【肩書きを捨てよう】いつまでも「何者でもない」自分でいいじゃない
どうも、森島です。
「自分のアイデンディティを肩書きやスキルで決めない」というテーマで今日はブログを書きます。
自分に肩書きを設けるのは甘えである
「あの人は先生だからいい人そう」
「ずっとアルバイトしてるらしいよ。ちょっと変なんじゃない?」
なんて他人からレッテルを貼られることは良くあることですが、それは問題ではないです。
無意識に自分から肩書きに収まろうとしているということは甘えではないのかと思っています。
「20代サラリーマンだから給料は〇〇円が妥当」
「先生だから振る舞いはちゃんとしないと」
こんなふうに自分の今の肩書きに生き方を寄せて行ってしまうことが実は一番危険で、人生の可能性を狭めていっていると思うのです。
無職になって感じた「何者」でもない心地よさ
何度も何度も何度もブログに書いたことなのですが、僕が「自分を肩書きやスキルで決めてはいけない」と感じたのは無職になってからでした。
退職してすぐにヒッチハイクをしたのですが「何も無い自分にこんなにも優しくしてくれるなんて」という経験の連続。
保育園児(3歳くらい?)から先生(26歳)を辞めるまで何らかの肩書きを持ち続けていた僕が何者でも無くなった時、初めてそのままの自分を受け入れてもらった感覚を覚えました。
先生として振る舞うことによって得ていた信頼感は僕に対する信頼ではなく、先生という社会的立場に対する信頼感だったということに気づいたのです。
べき論を捨てよう
「先生だから礼節を重んじるべき」的な、職業上求められる(そして自分自身が型にはまっていく)姿勢ってどんな仕事にもあるんじゃないでしょうか。
そんなべき論って公と私で使い分けられればいいのですが、なかなかそうも行きません。
気づかないうちに自分を型にはめて苦しくなっている人って多いんじゃないかな、と思います。
僕もWEBライターとか駆け出しプログラマーとか、そういう肩書きは辞めます。
生き方を広げて、何者でもない生き方をします。
他人からの期待も、自分からの期待も裏切ります。
そうすることでもっと楽に、柔軟に生きられると思うから。
まとめ
今回はこちらの記事を読んで思ったことを書きました。大事な視点をくれてありがとうございます。