じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

【パース162日目】Outback Jacks(ステーキ屋)で1kgの肉を喰らう

以前から気になっていたOutback Jacks(オーストラリアのステーキ屋さん)の1kgステーキチャレンジ

f:id:hira-jasorede:20190211233917j:plain

 

ついに本日チャレンジをする運びとなった。

 

 

チャレンジ以前

「今日行っちゃう?」と軽い流れで決まったOutback Jacksの1kgチャレンジ。

 

すでに朝食は済ませた僕だったが、そうとなれば1kgチャレンジに全てをかけるべく昼間は抜く。

 

 

という算段だったが普通に美味しいオムライスを作って食べてしまった。

 

そんなこんなで「普通に朝昼食った奴」状態でユキノの仕事終わりを狙い、パース市内に繰り出した。

 

先に街に着いた僕は「とにかく食欲をそそらせなければなるまい」としてスーパーマーケットColesに向かう。普通に買い物もしつつ視覚と嗅覚で食欲を誘うパンコーナーに佇み、ユキノとの合流を待つ。

 

無事、合流を果たした僕たちはパース中心から少し外れた夜の街ノースブリッジ(North Bridge)へと向かった。目当てのステーキ屋Outback Jacksはそこにある。

 

入店

チャイニーズニューイヤーのためか中華飯店の前でがなる獅子舞に耳をやられながら、その10mほど隣にあるOutback Jacksについに入店。

 

以前、ここでアンガスビーフを食べたことがあったがその時に接客をしてくれたコロンビア人のウェイトレスが僕たちを覚えていてくれた。

 

さて成功すれば無料で1kgもの牛肉を食べられるのだが、失敗するといくらになるのか。

100ドル、いや、以前食べたステーキが270gで34ドルだったことを思えば200ドルはするのかもしれない。

 

そんな逡巡のアテは外れ「失敗しても40ドル程度で構わない」とコロンビアンウェイトレスは僕に言い放った。

 

「バカな」と思った。天下の台所Colesでもミンチ肉500gで5ドルはする。レストラン価格で1枚肉1kg40ドルなど普通に赤字ではないか。

 

しかしそもそも僕にはチャレンジ失敗の文字など頭になかった。ただ食うのみ。

いよいよチャレンジ

待つこと15分程度。

 

キッチンの方から鐘を鳴らす音が聞こえてくる。直感的に気づく。

 

「ヤツだ」

f:id:hira-jasorede:20190211233909j:plain

 

ビュッフェでしか見たことがない巨大な金属プレートの乗せられてきたステーキは、確かに1kgの貫禄を備えている。

 

側に控えるフライドポテトと「今まで凍って候」と言わんばかりの野菜たちは、まるで豊臣秀吉を天下人たらしめた「二兵衛」

 

僕は直感で悟る。「敵は両サイドにあり!」

 

冷めて硬くなる前の肉を短時間で完食するのはおそらく可能。問題はその後のフライドポテトと(不味そうな)野菜たちだ。

 

ウェイトレスが僕に1kgチャレンジのルールを説明する。

  • パートナーに食べてもらわないこと
  • 食べられなかったフライドポテトをポッケに隠さないこと
  • 30分以内に食べられなかったら40ドルを支払うこと

 

これは実際に僕が1kgチャレンジに挑戦している際の動画

動画(後日)

 

ウェイトレスがルール説明もそこそこにしてタイマーを起動させる。いよいよチャレンジ開始だ。

 

ステーキは確かに量が多いものの赤みのためにしつこくなく以外にサクサクと食べ進められる。問題と言うとミディアムレアで頼んだためか、筋がなかなか切りづらいところ。

 

それ以外は特に問題がない。

f:id:hira-jasorede:20190211233813j:plain

 

そこから順調に食べ進め、開始10分程度でステーキを食べきることができた。

やはり敵はフライドポテトと野菜の二者。僕は気合いを入れるかの如く、ズボンのボタンを外した。

 

次に取り掛かるのはフライドポテト。野菜は満腹でもなんとかなる、が、揚げたお芋を最後に食べる自信はない。

 

フライドポテトにあらかじめ用意しておいた各種ソースを付けて味変をしながら食べ進めていく。

 

フライドポテトを半分程度食べ終えた段階で徐々に胃袋のキャパシティが満たされていくことを感じ始める。やはり揚げ物は胃袋に来る。それもお芋なのだから。

f:id:hira-jasorede:20190211233837j:plain

 

なんとかフライドポテトを食べきった僕は、最も食べる気の起きない野菜に手を伸ばし始める。まだ開始15分程度。

 

ただ一言言うとすると、とにかく美味しくない。

冷凍からそのまま鉄板で熱されたのであろう野菜たちは水分をダバダバに含み、その水っぽさたるや。

 

水分量のためか、やたらと腹に溜まる不快感を覚えながらも食べ進める。

 

野菜も残り半分程度となった頃、僕の胃袋は痛み始める。明らかに限界に近づいていた。

 

マッシュポテトを美味しそうに食べるユキノを恨めしげに見ながら僕は脳裏でこう囁いていた。

 

「もうダメかもしれない」

「胃袋が破裂して死ぬのかもしれない」

f:id:hira-jasorede:20190211233848j:plain

そんな時だった。端的に言えばゲップが出た。

するとパンパンに膨らんでいた胃袋に若干の萎みを感じた。

 

「まだ行ける」

 

勝利を確信した僕はスタート段階と同じ程度の速度で残りの野菜を食べ進めた。

 

次々にオーディエンスが僕に声を掛ける。

「頑張れよ!」

「勝利を信じているぜ!」

「どこの国から来たの?」

「ムッチャすごい量!」

 

もはやウェイトレスは僕への信頼のためかただのうっかりさんなのか知らないが、タイマーを止めている。(なんで?)

 

僕はプレートを持ち上げて一気に残りの野菜を書き込んだ。

f:id:hira-jasorede:20190211233900j:plain

チャレンジの結果は…?

ついにやった。僕はついに1kgチャレンジを制したのだ。

誇らしげな顔で勝利を伝えると、ウェイトレスは口の中まで見せるようにと促した。

 

口の中を開け完食の意を伝えると「Congratulation!」と祝福してくれた。

 

これまで僕のチャレンジに気づいていなかったであろう斜向かいの団体客の方々も、何かを察してか拍手をしてくれた。

f:id:hira-jasorede:20190211233800j:plain

チャレンジ後

チャレンジ後、チャレンジ成功者のみに許される写真撮影をしてもらい、お腹が落ち着くと同時にお会計に向かう。

 

1kgチャレンジのレジェンドたちの写真が軒を連ねる掲示板には、すでに僕の写真が飾られていた。

f:id:hira-jasorede:20190211233650j:plain

f:id:hira-jasorede:20190211233745j:plain

 

ウェイトレスが僕に話しかけてくる。

 

「すごかったわね。まさか食べられると思ってなかったわよ」

「いや、僕も思ってなかった。もうおなかいっぱいだよ。」

「すごいね。どこから来たの?」

「今はパースに住んでるけど、元々は日本だよ」

「そうなのね。小さな国だけどテクノロジーがすごい国ね。いつか行ってみたい」

「ありがとう。いつか来れるといいね。」

 

そんな会話をしつつ、僕は重いお腹をさすさす家路に着いた。

 

【パース159日目】ペンバートン木登り・マーガレットリバー・バッセルトンに行く旅

2月7日時間は22:22

この日は1日掛けてパース(Perth)の南方にある

  1. ペンバートン(ペムバートン?)(Pemberton)のグロウセスターツリー(Gloucester Tree)
  2. マーガレットリバー(Margaret River)のボヤージャー・エステート・ワイナリー(Voyager Estate)
  3. バッセルトン(Busselton)

の3箇所に回ってきた。700km程度の行程だったが、目的地を3分割すれば1つ1つの運転は短く感じるためストレスが比較的に少ないドライブとなった。

 

 

ペンバートン(Pemberton)へ行く

前回の1,200kmハットリバー公国ドライブの10日後となるこの日、パースの南側を攻めるべくペンバートン・マーガレットリバー・バッセルトンに向かうこととなる。

 

そもそもユキノが昨年から行きたいと言い続けていた「バッセルトン」に行くことが今回のドライブのきっかけとなる。一方でなかなか観光地に足の向かない僕は、バッセルトンの南方に興味の持てる要素を探していた。

 

そんな折に元シェアメイトから「53mのカリーの木の登れますよ」と聞いたことが、ペンバートンだかペムバートンに行くこととなったきっかけだ。

 

バッセルトンまでであればパースから200km。割とお手軽なドライブとなったものの、53mの木に登りたいという僕の懇願をユキノが認めてくれたため、パースから300km以上も離れた森の中まで車を飛ばすこととなった。 

 

いつもの通り、最寄りのレンタカーショップ(no birds...)で24時間レンタル($115+ガソリン代)をして8時にはパースを経つ。

 

前回のドライブはオーストラリアンデイのために空いていたものの今日は平日。道は混み合っており、1号線は市内を出てしばらくするまで40~60km/h程度のスピードでノロノロと運転をすることとなった。

 

パースからペンバートンまでの道は以外にもシンプルなもので、気をつけるべきなのは山中の道路に落ちる小枝くらいか。

 

ちなみに道中、通りがかるブリッジタウン(Bridgetown)という街は、モーテルにバー付きホテル、古びたインフォメーションセンターとミュージアム、田舎の味方IGAなどがひしめく代表的「田舎町」

もしこれが時間に余裕のあるラウンドトリップであれば、1日の滞在を願い出るレベルで良い雰囲気を醸し出していた。

f:id:hira-jasorede:20190208010941j:plain

ブリッジタウン



 

53mのグロウセスターツリー(Gloucester Tree)木登り

パースを出発したのが8:30頃でペンバートンのグロウセスターツリーに到着したのが12:35なので約4時間の行程

 

「どうせ巨木(ユキノは"キョギ"と呼んでいた)があるだけなんだからフリーパーキングがあるでしょ」

 

とタカをくくっていたもののキレイなトイレ・パーキングがあって、受付のおじさんに$13の徴収をされる。入場料なのか、駐車費用なのか、その両方なのか、その内訳はあまり分からない。

 

見てみるとグロウセスターツリーの大きいこと。その驚きよりも足を掛けると外れそうな杭の刺さり方に恐怖を覚える。

f:id:hira-jasorede:20190208011025j:plain

グロウせスターツリー(根元に人が登っているのが見える!)

 

何語を喋っているのか分からない家族連れが1組いるくらいで、その家族も数段登って記念写真を撮る程度。それはそうだ。見ただけで登るのが無茶でしかないということが分かる。

 

ただこんな森の中まで駄々をこねて来たからには登らねばならぬ。そう決心して何語か分からぬ家族が小休止をしている隙を見て登り始める僕。

 

しかし5m程度まで上がった段階で「これは無理だ」と悟りを開いた。

 

その時だった。先ほどまでのほほんと記念撮影をしていた家族たちが僕の下方から登り始めて来たのだ。杭の幅は約1m。どう考えてもすれ違いはできない。これでは引き戻すことができない。

子供達に距離を詰められる僕は諦めて53mの巨木を登り始めるのだった。

 

登り出せば慣れるという考えは甘く、全く慣れない。どころか下を見ると吸い込まれそうになる。永遠にも続くかのような木登りではあったが、動画を撮ってみると約7分程度しか掛かっていなかった。

 

グロウせスターツリー53mの登り下りを動画で撮影して見ました。お時間あればどうぞ。

youtu.be

 

 

頂上と頂上の少し手前には踊り場のようなスペース、見晴台があるためそこまで登ることができれば一先ず安心。

f:id:hira-jasorede:20190208012800j:plain

グロせスターツリーの見晴台から見える景色



 

頂上に登り切って心が緩んだのも束の間、驚くほどの強風が吹いて見晴台がギシギシと揺れる。その揺れに呼応して狂喜乱舞する子供達。なぜか叫ぶお父さん。

 

そんな阿鼻叫喚の中で頂上の雰囲気を楽しみ切った僕はおとなしく降りることにした。

 

その時に元シェアメイトの「降りる時の方が下を見ないといけないんで怖いんですよ」という言葉がこだまのように僕の頭の中に響いた。しかし意外にもそこまで怖くはなく、やっぱり登る時の方が恐怖感が勝るように思う。

 

登るときに恐怖で震えていた足が、帰り道では疲労で震える。足を踏み外すのではないかという危険と共に僕はなんとかグロウセスターツリーを降り切った。ちなみにその数分後、平均年齢5歳程度であろう三人兄弟達も凱旋する王者の風格で降り切った。そんなご家族と写真。

f:id:hira-jasorede:20190208011729p:plain

f:id:hira-jasorede:20190208011818j:plain

 

マーガレットリバーでワイナリー見学

次に向かうのはマーガレットリバー(Margaret River)というワイナリーが有名な街だ。美しいワイナリーの建物やワイン用のブドウ畑などを見学しつつ試飲を楽しむというのがマーガレットリバー流。

 

ちなみにオーストラリアの飲酒運転の縛りは割と緩く、1スタンダードドリンク(10グラム(12.7m))までであれば飲んだ後に運転をしても構わないという決まりになっている。

例えば

  • アルコール度数の低いビールは「375ml」までOK
  • ワインは「100ml」までOK

といったようになっているのだ。

 

そんなわけで試飲やむなし!といった気持ちでマーガレットリバーのワイナリーにガクガクの足で向かったわけである。

 

 

そういえばペンバートンに向かう方々、ペンバートンからマーガレットリバーに向かう道中で背の低い木が立ち並ぶファームを多く目にすることになる。これは後から知ることになるがワイン用のブドウ畑だ。

f:id:hira-jasorede:20190208011910j:plain

僕たちが行ったのは、ボヤージャー・エステート(Voyager Estate)という(おそらく)マーガレットリバーで最も人気なワイナリーだ。

 

着くや否や迎える広大な敷地面積に広がるブドウ畑。そして白を基調とした建物が青空に映えている。とても美しい建物となっていた。一先ずワインを提供している建物を目指すが、それまでに通る庭園やキッチンガーデンにローズガーデンなどがとにかく綺麗だ。(ブドウを1粒食べてみたらかなり渋かったです)

f:id:hira-jasorede:20190208011920j:plain

試飲は$9〜で3種類までのワインを選べるようになっていたが、これはもしかすると先ほどの飲酒運転ギリギリの量となっているのかもしれない。

 

ここで僕たちは庭園を回ったり、写真を撮ったりするなどをして試飲はせずに次なる目的地へと出発をした。

f:id:hira-jasorede:20190208012044p:plain

ボヤージャー・エステートは本当に庭園が綺麗でした



 

 

バッセルトンは千と千尋の神隠しの舞台らしい

マーガレットリバーからバッセルトンまでは大体1時間程度の行程。イルカが有名なのか街の一部にはイルカをモチーフとしたモニュメントやデザインが見られた。

 

海沿いに向かいフリーのパーキングに駐車。早速バッセルトンの目的地「バッセルトンの桟橋」に向かう。このバッセルトンの桟橋はジブリの某作品で舞台になったことで有名だそう。僕もあやかりジブリ映画を再現する。

f:id:hira-jasorede:20190208012205j:plain

f:id:hira-jasorede:20190208012250j:plain

地元の若者とカオナシを再現



 

ちなみに入橋料は大人$4で、バッセルトンの桟橋上を走る汽車に乗るためにはもう少し掛かる。僕たちは特に汽車には興味がなかったため桟橋上を歩いて見た。運良く(というかオーストラリアは連日)晴れ模様のため、海と空の青が美しく映えてくれた。

f:id:hira-jasorede:20190208013733j:plain

f:id:hira-jasorede:20190208012428j:plain

f:id:hira-jasorede:20190208012444j:plain

 

ここ数日間、中国ではチャイニーズニューイヤーのために連休。多くの中国人達が観光に来ていたことが印象に残った。そう言えば木登りの家族達はフランスからの旅行者だそうで「なぜ木登りに?」という勝手な疑問を持ったことも思い出した。

 

そんなこんなで本日、本格的な食事にありつくのがバッセルトン桟橋付近のレストランとなる。バッセルトンの桟橋チケットにレストランのクーポンが付いていたためだ。しかもビール・ワイン1杯無料/カフェでは(食べ物を買うと)ソフトドリンク無料

とありがたいサービス。

 

帰りの運転はユキノに任せ、僕はビールとワインを飲んだ。山ほどのフライドポテトは食べきれず持ち帰った。ピザは美味しかった。

f:id:hira-jasorede:20190208012654j:plain

f:id:hira-jasorede:20190208012635j:plain

帰り道はバンバリーに寄りつつ

帰りはバッセルトンとパースの間に位置するバンバリーという町に寄ることに。元シェアメイトがその近くのファームで働いていたらしく、西オーストラリアで卸されている多くのアボカドがそこで作られているらしい。

 

「(バンバリーには)ほとんどなんもないっす」という言葉を残してバリに発ってしまった彼の言葉からは、意外性を感じるほどに商業施設の集合地帯があった。

 

そこで僕たちは買い物と小休止をしパースまで帰る。

 

このオーストラリアで身についたものは、安全な運転でもマナーでもなく、ワラビーやカンガルーを轢かないためにちょうどいい速度の車を追尾する小狡さなのかもしれない。

 

パース生活のその後

最後に今年5月で締めくくるパース生活のその後を書いておく。

 

5月8日にパースを発ち、オーストラリアに思い残すことがないよう僕とユキノが回りたいと思う場所を回っていく。

具体的には、

  1. ウルル(エアーズロック
  2. ホバートタスマニア
  3. シドニーからケアンズまで車旅

の3つとなる。

 

ウルルはユキノの言葉を借りると「日本でいう富士山的なもの」でもしかすると外国人である僕たちの方が有難がって見に行くものかもしれない。

 

ユキノとケアンズで出会って以来「とりあえず行っておきたいよね」と話しつつも、移動の関係で寄れずにいた場所だ。

 

ホバートこそ何となく理由もなく行くというのがぴったりなのだが、離島が好きな僕としてはとても行きたかった場所。

 

シドニーからケアンズはオーストラリアを1周した中でも1番人との出会いがあって、点在する街の雰囲気が素敵で「再訪したい」という気持ちが強い。

 

ケアンズから始まったオーストラリア生活はケアンズで終わることとなりそうだ。

 

おそらくここまでが5月下旬には終わる。それから僕たちはドイツに行くことに決めた。

 

これまでカナダに行くと考えていた僕たちだったが、できれば稀有な経験をしたいということ・英語圏ではない場所で生活をしてみること・(カナダのWHに必要な指紋認証が厄介なこと)などを理由にドイツへのWHへと変更した。そんなわけでもう少し日本には帰らない予定に。

 

パースで思い残すことと言えば、(今日ユキノから聞いた)マチュピチュっぽい場所」に行くことくらいか。ちなみに「GOLDFIELDS」というらしい。片道9時間かつオフロードありまくりのためになかなか行くことが難しそうな場所だけれど、なんとか西オーストラリア州にいる間には行けたらと思う。(完)

【パース149日目】「ハット・リバー公国」(豪州唯一の独立国家)に行ってきた話

ハット・リバー公国はオーストラリア唯一の独立国家。

ユキノが「ハット・リバー公国」についての話を職場で聞いてきたことをきっかけに、「ハット・リバー公国」へ赴くことを即断。パースシティーから約600kmをレンタカーで駆った。

 

 

ハット・リバー公国に行くまで

日帰りで往復1,200kmの旅行ということで、レンタカーショップが開店する8:00にお店に到着する。

 

借りた車はコレ。ハット・リバー公国直前に20km程度のオフロードがあるということで不安が否めない僕たち。

 

ケアンズダーウィン間の悪路「ルート27」で地獄を見た僕たちからすると、地図上の実線以外はできれば走行したくはない。

hira-jasorede.hatenablog.com

 

そんな失敗があったとて4WDを借りるわけでもなく、TOYOTAのエアリス?をコスパ重視で借りちゃう僕たち。

f:id:hira-jasorede:20190203222748j:plain

今回借りた車


 

そんなわけで8:00過ぎに予定通り出発。

 

ちなみにケアンズからハット・リバーの道中には

f:id:hira-jasorede:20190203221042p:plain

ピナクルズ



f:id:hira-jasorede:20190203220559p:plain

ランセリン

 

などなど見所があったりする。ただ僕は毎度のごとく自然にほとんど興味を持てない。そんな僕が久しぶりに興味を持った「ハット・リバー公国」。やっぱり独立国家という響きはカッコイイ。

 

 

独立の経緯についてはWikipediaを参照。

1969年10月、西オーストラリア州政府が小麦の販売量割当を決定した際、ケースリーの農場に割り当てられた販売量が十分なものではなかったため、他の5つの農場と連携し政策に反対し、西オーストラリア州総督のダグラス・ケンドルーに法案撤回の請願書を提出した[1]。しかし、請願書は無視され、さらに州政府が地方の農地を取り返す権利を認める法案の審議が進められたため、ケースリーは「経済・土地が奪われる危機に瀕した際には分離独立することが出来る」という国際法の規定に基づき独立の準備を進めた[1]。
カースリーは「販売量割当の修正または52万オーストラリア・ドルの補償金が支払われない場合、オーストラリアから独立する」と西オーストラリア州政府に最後通告するが、これに対する返答が得られなかったため、1970年4月21日に自身が所有する75平方キロメートルの土地を「ハット・リバー公国」としてオーストラリアからの独立を宣言した[1]

ハット・リバー公国 - Wikipedia

 

そんなわけで約6時間30分くらいの行程を法定速度を守りながら向かう。

 

 

パースシティからハット・リバー公国へは1号線と60号線の2つのルートがある。1号線は内陸・60号線は海側を通る。

(一般的には1号線の方が太いというイメージではあるが、往路60号線、復路1号線を通った結果、どちらにもそこまで差がないということが判明)

 

 

先ほど紹介した「パースに来たら一度は行きたい」的存在のランセリン・ピナクルズは華麗にスルーしつつ一路、ハット・リバー公国へ向かう僕たち。

 

これまでワラビー×3を道中殺めてきた僕だが、今回は道路を横断していたリザードを踏み潰してしまうこととなる。

 

 

パースからハット・リバーに向かう道中で街らしき街は「Geraldton(ジェラルトン)」と「Northampton(ノーザンプトン)」の2つのみ。ジェラルトンの方はまだ大きいがノーザンプトン自体は西部劇に出てきそうな小さな街であるので給油は確実にジェラルトンでしておきたいところ。

 

 

ちなみにこの日は最高気温36度とかなり暑かったが、ラウンドトリップ中、燃費のことを気にしてクーラーを付けず、オフロードの土埃のために窓も開けれなかったあの頃を思い出すと、全く気にならなかった。

 

 

60号線はパースから350km程度走らせると1号線と合流する。

海沿いの道をあえて走った時に気づくのが、白い砂浜が売りのランセリン以上に広い「白い砂浜」が各地に点在していたということ。60号線から見える海が「インド洋(Indian Ocean)」であることにGoogleを見て気づく。

 

 

そんなわけでハット・リバー公国前最後の街「ノーザンプトン」を通過して少し行ったところで標識「PRINCIPALITY OF HUTT RIVER」を発見。

f:id:hira-jasorede:20190203222959j:plain


 

 

そこを左折してしばらく行ったところでいよいよオフロード。ただ乾季の西オーストラリア州ではオフロードも崩れておらずコンパクトカーでも余裕で通過することができた。雨季だとまた違ったかもしれない。

 

ハット・リバー公国に到着

しばらく広大な小麦畑に囲まれたオフロードを走り続けるとついにハット・リバー公国に到着。見た目はちょっと広いキャンパーサイトのような雰囲気だった。

f:id:hira-jasorede:20190203223132j:plain

 

f:id:hira-jasorede:20190203223104j:plain

車の止める場所がなかったため木陰に駐車して僕はトイレに向かった。外でユキノが女性と話しているのを聞きながらゆっくりと用を足した。

 

トイレから出ると隣の建物の看板に「Government Offices」と書かれていることに気づく。言わばハット・リバー公国のホワイトハウスか。

 

f:id:hira-jasorede:20190203223344j:plain

その中に入ると先ほどユキノが話していた女性がカウンターで待ち受けてくれていた。後ほど、この女性が皇女であるということが判明した。

 

f:id:hira-jasorede:20190203223422j:plain

パスポートにブラックライトを当てる皇女・シェリ

ハット・リバー公国は独立国なのでガバメントオフィスで入国審査も行わなければならない。入国料は4ハット・リバードルだ。ただし今回は「1ハット・リバードル=1オーストラリア・ドル」ということで「4オーストラリア・ドル」を支払う。というかハット・リバードル持ってない。

 

パスポートに入国印と(なぜか同時に)出国印を押してもらい、僕たちは念願のハット・リバー公国に入国を果たした。

 

f:id:hira-jasorede:20190203225254p:plain

ハット・リバーの出入国スタンプ

独立未承認のハット・リバー公国の出入国スタンプがパスポートに貼られていると、オーストラリアを出国する際に審査官に怒られると噂で聞いたが、そこまで審査官が暇だとは思えない。

 

 

どうやらオーストラリアン・デイのこの日、皇女しかこの街にはいないようで、皇女が色々と説明をしながらハット・リバー公国を案内してくれることとなる。

 

これまでの歴史や中国から来た芸術家が彫刻や銅像を作成していったことなどを丁寧に教えてくれた。とりあえず暑かったのと、ものすごい早口だったのと、僕の英語力がかなり稚拙だったことを含めて内容は3割程度しか入っていない。

 

そんなこんなでハット・リバー公国を歩き回っているといつの間にか1時間が過ぎていた。ただ歩くだけなら10分程度で終わりそうな施設を思いもよらずかなりの時間見回っていたらしい。

 

f:id:hira-jasorede:20190203224051j:plain

f:id:hira-jasorede:20190203224123j:plain

敷地内にあったチャーチ

ただ帰りのことも考えるとあまり長居をするわけにも行かなかった。時間はすでに午後の3時過ぎ。今から直帰をしても10時を過ぎてしまうだろう。それにこの後にまだ回りたい場所があった。

ハット・リバー公国を後にする

皇女に別れの挨拶をすべく僕たちは先ほどのガバメントオフィスに向かう。しかし皇女は留守だ。公務をほっぽり出すほどの大きな事件でもあったのかもしれない。

 

ハット・リバー公国で購入したジュースの代金もまだ払えていない。これでは飲み逃げになってしまう。それにお土産も購入したかったし、何と言っても皇女と一緒に写真を撮りたいと思っていた。

 

そんなわけで諦めの悪い僕はユキノを車に残し、「Excuse me」を連呼しながら公国内を探し回った。すると家屋から物音がした。そこがどうやらハット・リバー公国の皇居ということとなるらしい。

 

そこから少し慌てた様子で出てきた皇女は「モニターを見ていなかったのよ。」と僕に何度か繰り返し述べた後に僕に用件を訪ねた。

 

僕はジュース代とお土産代を払いたい旨と写真を一緒に撮りたい旨を伝え、無事にその想いを伝えることができた。

 

f:id:hira-jasorede:20190203224259j:plain

f:id:hira-jasorede:20190203225140j:plain

$5で購入したハット・リバー公国で使用できる切手

ハット・ラグーン(ピンクレイク)が近い!

ハット・リバー公国からすぐ近くにハット・ラグーンまたの名をピンクレイクと呼ばれる塩湖がある。

 

この塩湖は名前の通り、バクテリアの影響でピンク色になっている。せっかくここまで来たのだからというわけで、このハット・ラグーンも見ていくことにした。

 

元々はハット・リバー公国の最寄り街であるノーザンプトンを経由して再びインド洋側に向かう予定だったのだがそれではかなりの迂回ルートとなってしまう。

 

そういうわけで皇女に教えてもらったノーザンプトンを寄らずに最短距離で行くことができるルートを通って僕たちは向かう。

 

しかしこの最短ルートにもリスクが伴った。

 

ノーザンプトンを迂回するルートは、1号線とチリモニーロード(州道?)、グレモニーロードから成るために大回りではあるが舗装された道路となる。そのため悪路ルート27のように未舗装道路を通る心配はない。

 

一方でハット・リバー公国からハット・ラグーンまでの最短ルートである「OGILVIE ROAD」はGoogleにすら乗っていない農道。もちろん舗装されているわけがない。

f:id:hira-jasorede:20190203225459p:plain

ハット・リバー公国の皇女から頂いた公国周辺地図


 

 

ただ迂回する時間が惜しいことと、皇女の自信に満ちた「雨季じゃないから大丈夫」という言葉に励まされ僕たちは最短ルートを選んだ。

 

実際に走ると確かに皇女が言った通り、地面は乾燥しており、ほとんど車が走らないのか轍もない平坦な未舗装道路となっていた。

 

見渡す限りの小麦畑は、ハット・リバー公国を出た現在でももしかすると彼らの土地なのかもしれない。

 

公国から30分程度走行していると無事に舗装道路のGREY ROAD(グレイロード)に出ることができた。ここからは一直線でハット・ラグーンまで行くことができる。

 

グレイロードを走らせて30分程度のところでついに僕たちはハット・ラグーンに到着する。思った以上の景色に僕は少し感動した。ユキノは塩湖に落ちている枝を見て「鳥が死んでいる」と呟いていた。

 

塩湖は部分的に水たまりができているような形で、水面に空が反射して美しい。滞在時間30分程度だったが、公国にも勝らんばかりの思い出となった。

 

f:id:hira-jasorede:20190203224634j:plain

f:id:hira-jasorede:20190203224731j:plain

f:id:hira-jasorede:20190203224807j:plain

塩湖は素足で入るとかなり痛いのでサンダルを履いた方がいい。

 

帰路600kmの道のり Greenoughの奇妙な木

ハット・ラグーンから出たのが4時30分頃。ここから僕たちは一路パースまで急いで帰らねばならない。オーストラリアのナイトライドは夜行性の動物たちがひしめき合っていて危ないのだ。

 

そうは言うもののパースとノーザンプトンの中心に位置するジェラルトン近くまで行けば、Greenough(グリーナフ)というエリアでは面白ものが見られる。

 

海沿いの丘陵地帯であるこの地では西側のインド洋から吹く風が東に向けて街を通り過ぎていく。グリーナフの国道1号線沿いには何本もの木が立っているのだが、この木が風の影響を受けて全て東方向に傾いているのだ。

 

その中でも特に目立つのがこの木。「Leaning Tree(寄りかかる木)」やら「メリーゴーラウンド」やら「Wajarri」やら色々な名前が付けられている。

 

f:id:hira-jasorede:20190203224959j:plain

Leaning Tree

最初にも述べたようにパース-ハット・リバー公国間にはランセリン・ピナクルズなど色々な見所もあってなかなかいいドライビングロードだと思う。(ピナクルズには行こうと思ったが営業時間が夕方5時30分までだということだった)

101117@El Camino de Santiago/小袋成彬

2017年10月11日朝の8時、スペインでは日が登り始めてきました。

 

今、Camino de Santiagoの道を歩いています。

フランスのSaint-Jean-Pied-de-PortからスペインのSantiago de Compostelaという街まで800キロ弱を徒歩で歩き通すという30日ちょっとかけて歩く旅です。

 

小袋君に会社を辞めた時の話をしてほしいと言われて、その話はこんな話だったんだけれど、会社のカード式の社員証?あれで日々会社のゲートをくぐりながら、

ある時、その同じカードで自動販売機のところにカードをピッとこう、かざしてコーヒーを買った時に、

 

「ああ、これはなんか物を消費している主体であるはずの自分が実は消費されていっているんじゃないか」と。

 

社会という構造の中で自分がその中に取り込まれてね。どんどん消し尽くされていってしまうと、そういうような気がして。

 

それで「ああこれはまずいな」と思って。

今、じゃあ本当に何をしなきゃいけないのかって考えたときに、やはり何か物を作らないといけないなと思った。

 

という話を会社をやめるときに小袋君にして、その自分が消費されていっているという、社会に消費されていっているという感覚がすごく小袋君に響いたらしくてその話をしています。

 

今は旅の6日目でLos Arcosという街に向かって歩いています。さっき看板があって残り5.7キロくらいかな。

 

世界は広いですね。

 

こうして歩いて、ただ道を歩いて、何もない道だけど今自分の道を歩いているという気がします。

 

101117@El Camino de Santiago/小袋成彬

f:id:hira-jasorede:20190105235111j:plain


 

1月2日から今日の朝まで福岡の博多に友人と赴いていた。互いに怠惰なもので深夜まで酒を飲み動き出しは相変わらず夕方からだったけれどそんなペースが心地よく感じていた。

 

前々からその友人に薦められながら聞いていなかった小袋成彬の「分離派の夏」。最初に引用した「101117@El Camino de Santiago」を聞いてやはり何か綴らなければと思った次第で1ヶ月以上ぶりにブログを書いている。

 

価値基準をどこに置くのかという問題で、お金なのか人なのか自分なのかという問題で。そういうふうに振り返ることが自分ながらに青臭くもあるけれど自分に必要なことでもある。

 

この記事を書かない1ヶ月間、僕は毎日12時間以上PCに張り付いてライティングの仕事をしていた。ライティングは楽しいけれど自分の心はそこになく、自分が心から作りたいものでもない。どこかに違和感を持ち続けながらもその違和感を無視し続けてきた。

 

何がゴールなのかわからないから何かを頑張れるということがある。及第点を知るからこそ満足があって、要するに知足ということなんだけど、頑張るということが絶対的な正解として作られてきた考え方が知足をなかなか許さず、自分を許せないところがある。

 

今、以前教師として勤めていた舞鶴にいる。同市の祖父母宅を訪れるためだ。情けない話で電車が近づくたびに手の震えを感じていた。それだけ自分にとってこの街と教師時代の過去は忘れたつもりで心に残るものなのだと改めて思う。

 

教師時代より今の方が生き生きと生きることができている。しかし未だに商業記事のライティングというものに消費されている感覚がある。そんな感覚を持って「101117@El Camino de Santiago」を聞いた時に、博多に一緒に行った友人に「これは森島君だろ」と言われた時に、これは僕だと思った。何かを書き続けるべきなんだと思った。

 

もう1つ心に響く小袋成彬の曲は「Lonely One feat.宇多田ヒカル」。この曲の中に「これは誰でもそうなのか」という言葉がある。

 

この感覚を僕は持ち続けてきた。仕事が辛い時も、何か自分なりの答えを出した時も、表面的なやり取りをしている時にも「これは誰でもそうなのか」と思い続けてきた。

 

自分の悩みなんて他愛ないことで、些細なことで、誰でも感じていることなのかと。そう感じてしまうと途端に自分が書いた言葉がとても稚拙に感じ、その言葉を生み出した自分自身の小ささを感じてしまう。消費されているということを受容しつつ耐えられる人ばかりで、耐えられない自分は弱かったのかと。

 

みんなはどんなことを考えて生きているのだろうか。どこまでの辛さに耐えられるのだろうか。何を楽しみにしているのだろうか。何を得れば満足して生きられるのだろうか。

 

何食わぬ顔をして生きている人達が同じ事象が起こった時に僕と同じように感じるのだろうかと。自分は大げさすぎるのだろうかと。

 

「これは誰でもそうなのか」と思った瞬間、何かを書こう、作ろうという気力は失ってしまう。それでも書かなければならないと久しぶりにこの記事を書いた。

 

 

ついでにこの年末年始に帰国した時に考えていたことも記しておこうと思う。

 

人は使命感を得た時に変わることがある。これをするべき、こうあるべき、そんな使命感だ。特に被害者的意識を持った時にそれが使命感に繋がり、目覚めやすい。だけど使命感が自分のために結びつかないこともある。使命感を得て何かを表現した時にその全てを社会にではなくて自分に向けていたい。

 

変わらないで欲しいと思う人こそ、その変化を敏感に察するから変わった時に勝手に失望してしまうことがある。しかし他人が変わらないでほしいと思うことの傲慢さはよく分かっているからそんなことは言わない。

 

自分の変化なのか相手の変化なのか、久々に会ってみると噛み合わない人もたくさんいる。深い付き合いがあればあるほど昔のような関わりを期待してしまうからこそ、失望も大きい。個人にも人間関係にも新陳代謝が必要なのだ。

 

今、必要な人間というものは必ずあってそれはその時々で違うのだと、いつまでも同じ熱量では関わることができないのだと思う。

 

人にも物にも執着するからこそ勝手に失望をしてしまう。失望の原点は執着にある。自分があってほしい理想像を勝手に見立てて、そのイメージからズレただけで不満を持ってしまう気持ちは傲慢だ。

 

必要な時に必要な人は現れるし、時が経ってズレを感じても更に時が経てばどこかで会えるかもしれない。そう思って執着はしないことに決めた。

仕事をアイデンティティにしない(神谷美恵子『生きがいについて』)

神谷美恵子『生きがいについて』から抜粋。(長いから太字だけでも読んで)

 

 

 神谷美恵子『生きがいについて』

生きがいをうしなったひとは 、自己との関係もそれまでとは変ってくる。

 

ふつう家庭や社会の中で 「りっぱに 」生きているとき 、大ていのひとは自分の値打とか 、自分の存在の必要性とかについて 、なんとはなしに自信を持って暮している 。

 

そういうひとの行動の大部分は 、他人から期待されている役割を果たすだけのものであり 、その社会的役割がそのひとの自我のほとんど全部を占めていることが多い 。

 

 

しかし 、たとえばもしこういうひとたちがひとたびらい(注:らい病)にかかって 、ひそかに名前を変え 、行方をくらまして療養所にはいったとしたらどういうことになるであろうか 。

 

入園者は以前の生活で支えとなっていたものをみなはぎとられ 、裸の自己に対面することになる 。

 

 

これは少し極端な例かも知れない 。しかし 、何かのことで生きがいをみうしなうような状況にあるひとは 、大ていの場合 、孤独のなかで 「自己そのもの 」と相対することを余儀なくされると思われる 。

 

しかもその自己とは 、生存目標をうしない 、統一原理をうしなった存在であったから 、これほど無力でみじめなものはない 。

 

 

自己に対するこの深刻な嫌悪の泥沼から 、どうやってひとは這いあがるのであろうか 。

 

自己へのにくしみのあまり自殺してしまうひともある 。

 

酒や麻薬や享楽に耽溺するひともある 。

 

どうせこんなものさ 、となれあいの形で 、すべてを浅くごまかして暮して行くひともある 。

 

発見した自己をそっとかくし 、再び仮面をつけて生きて行くひともある。

 

きびしく自己をみきわめ 、あるがままの自己をなんの自己弁解もなく 、うけ入れるほかなくなるひともある 。

 

いずれにしても 、ここでひとが自己に対してどのような態度をとるかにより 、その後の生きかたに大きなひらきが生ずることであろう。

 

                   神谷美恵子『生きがいについて』から引用

 

 

仕事をアイデンティティにしない 

 要は「仕事を辞めた時に自分に残るアイデンティティがあるのかどうか」ということで、これを拗らせ始めると一夜だけでは終わらない。

 

自分以外の何かに自分の価値を任せてしまうことによって、自分の価値が第三者から簡単に変えられてしまうことになる。

 

 

褒めてはいけない・褒められてはいけない

教育現場では自尊感情を高めるためには褒めることが大事だと言われているけれど僕はそうは思わない。

 

褒められる →    頑張る

 

という構図は簡単に

 

褒められない → 頑張らない

 

に変わってしまうからだ。

 

頑張ろうと思うモチベーションは「自分がやりたいからやる」というところから湧き出るべきであり、

 

三者の評価をそこに加え始めると、

 

純粋な「自分がやりたいからやる」という気持ちから

「他人に褒められたいから・怒られたくないからやる」という気持ちに変わってしまう。

 

「他人に褒められたいから・怒られたくないからやる」という気持ちで仕事をしていると、(評価者としての)会社を辞める選択肢がなかなか生まれづらいのでは。

 

 

純粋にやりたいことをやることにする

そんなことを考える最近。

報酬の見合わないライティング依頼に断れない時に3つの傾向があった。

 

  1. クライアントが高く評価してくれる
  2. 自分が面白いからやっている
  3. 単純に報酬が高い

 

どれも原稿を書く時のモチベーションを与える要因であることに変わりはないが、やはり継続することができるのは「自分が面白いからやっている」という依頼だけ。

 

それでも無理に依頼を続けて起こるのは原稿の品質低下であり、

それは結果的に誰のメリットにもなっていない。

 

 

嫌な仕事を無理にやることは誰のためにもなっていない

されども生きるためには仕方なく嫌な仕事、しんどい仕事でも続けている人がいる。

大企業に勤めることができたからそれを手放せない人もいる。

 

それでも思うのは嫌な仕事を無理にやることは誰のためにもなっていないということ。

 

自分の代わりはいくらでもいるし、楽しんでその仕事ができる人にその枠を与えるべきなんだと僕は考える。

 

 

世の中が真暗になり、すべての人生計画が破壊されてしまった。

これは「らい病」の患者が、その病気を宣告された時に感じた気持ち。

 

『生きがいについて』を読んでいると、いつもならあまり目に入らなさそうな箇所が、今日はなぜか目に入った。

 

急に、数年先、数ヶ月先、数週間先に目を向けて生きていることの空しさを覚えて、とりあえず美味いものでも食べにいこうと思った。(了)

 

 

仕事をアイデンティティにしない(神谷美恵子『生きがいについて』)

神谷美恵子『生きがいについて』から抜粋。(長いから太字だけでも読んで)

 

 

 神谷美恵子『生きがいについて』

生きがいをうしなったひとは 、自己との関係もそれまでとは変ってくる。

 

ふつう家庭や社会の中で 「りっぱに 」生きているとき 、大ていのひとは自分の値打とか 、自分の存在の必要性とかについて 、なんとはなしに自信を持って暮している 。

 

そういうひとの行動の大部分は 、他人から期待されている役割を果たすだけのものであり 、その社会的役割がそのひとの自我のほとんど全部を占めていることが多い 。

 

 

しかし 、たとえばもしこういうひとたちがひとたびらい(注:らい病)にかかって 、ひそかに名前を変え 、行方をくらまして療養所にはいったとしたらどういうことになるであろうか 。

 

入園者は以前の生活で支えとなっていたものをみなはぎとられ 、裸の自己に対面することになる 。

 

 

これは少し極端な例かも知れない 。しかし 、何かのことで生きがいをみうしなうような状況にあるひとは 、大ていの場合 、孤独のなかで 「自己そのもの 」と相対することを余儀なくされると思われる 。

 

しかもその自己とは 、生存目標をうしない 、統一原理をうしなった存在であったから 、これほど無力でみじめなものはない 。

 

 

自己に対するこの深刻な嫌悪の泥沼から 、どうやってひとは這いあがるのであろうか 。

 

自己へのにくしみのあまり自殺してしまうひともある 。

 

酒や麻薬や享楽に耽溺するひともある 。

 

どうせこんなものさ 、となれあいの形で 、すべてを浅くごまかして暮して行くひともある 。

 

発見した自己をそっとかくし 、再び仮面をつけて生きて行くひともある。

 

きびしく自己をみきわめ 、あるがままの自己をなんの自己弁解もなく 、うけ入れるほかなくなるひともある 。

 

いずれにしても 、ここでひとが自己に対してどのような態度をとるかにより 、その後の生きかたに大きなひらきが生ずることであろう。

 

                   神谷美恵子『生きがいについて』から引用

 

 

仕事をアイデンティティにしない 

 要は「仕事を辞めた時に自分に残るアイデンティティがあるのかどうか」ということで、これを拗らせ始めると一夜だけでは終わらない。

 

自分以外の何かに自分の価値を任せてしまうことによって、自分の価値が第三者から簡単に変えられてしまうことになる。

 

 

褒めてはいけない・褒められてはいけない

教育現場では自尊感情を高めるためには褒めることが大事だと言われているけれど僕はそうは思わない。

 

褒められる →    頑張る

 

という構図は簡単に

 

褒められない → 頑張らない

 

に変わってしまうからだ。

 

頑張ろうと思うモチベーションは「自分がやりたいからやる」というところから湧き出るべきであり、

 

三者の評価をそこに加え始めると、

 

純粋な「自分がやりたいからやる」という気持ちから

「他人に褒められたいから・怒られたくないからやる」という気持ちに変わってしまう。

 

「他人に褒められたいから・怒られたくないからやる」という気持ちで仕事をしていると、(評価者としての)会社を辞める選択肢がなかなか生まれづらいのでは。

 

 

純粋にやりたいことをやることにする

そんなことを考える最近。

報酬の見合わないライティング依頼に断れない時に3つの傾向があった。

 

  1. クライアントが高く評価してくれる
  2. 自分が面白いからやっている
  3. 単純に報酬が高い

 

どれも原稿を書く時のモチベーションを与える要因であることに変わりはないが、やはり継続することができるのは「自分が面白いからやっている」という依頼だけ。

 

それでも無理に依頼を続けて起こるのは原稿の品質低下であり、

それは結果的に誰のメリットにもなっていない。

 

 

嫌な仕事を無理にやることは誰のためにもなっていない

されども生きるためには仕方なく嫌な仕事、しんどい仕事でも続けている人がいる。

大企業に勤めることができたからそれを手放せない人もいる。

 

それでも思うのは嫌な仕事を無理にやることは誰のためにもなっていないということ。

 

自分の代わりはいくらでもいるし、楽しんでその仕事ができる人にその枠を与えるべきなんだと僕は考える。

 

 

世の中が真暗になり、すべての人生計画が破壊されてしまった。

これは「らい病」の患者が、その病気を宣告された時に感じた気持ち。

 

『生きがいについて』を読んでいると、いつもならあまり目に入らなさそうな箇所が、今日はなぜか目に入った。

 

急に、数年先、数ヶ月先、数週間先に目を向けて生きていることの空しさを覚えて、とりあえず美味いものでも食べにいこうと思った。(了)

 

 

認められるように頑張るよりも認めてくれる人と付き合う方がいい

今月ついにライティングの給料が教師時代の給料を超えた。

それも無理せず、楽しく、のんびりと働いて。

 

 

 

ライティングの時に極力

  • 得意なテーマ
  • 自分が楽しい内容
  • 社会的に有益そうな案件

にこだわっていた。(3点目はそうでもない時もあったけれど)

 

すると働くことが楽しくなった。

毎日、6時半には目が覚めるようになった。

 

仕事が楽しいということは朝自然に目が覚めることなのかもしれない。

楽しく働けない仕事には全力は出せないし、自分にとっても相手にとってもあまりいいことない。 

 

だからこそ気持ちよく働けない依頼は断る

今日、8月末から継続的に依頼を貰っていたクライアントとの契約を断った。

色々な理由はあるのだけれど、何よりもただ折り合いが悪いということが一番だった。

 

断る時には率直に

「もう一緒に仕事がしたくないです。そう思ってしまったのであれば、一緒に仕事をすることはできません。」

と伝えた。

 

「まだまだライターの技術は完璧には程遠い」

「こっちも意味不明なことを言う馬鹿に使う時間はないんで。」

と言われて共用チャットルームから追い出されて終わった。

 

 

僕は不思議だった。

 

同じ報酬・テーマでも、

僕が書いた原稿で喜んでくれる依頼主もいれば

「完璧とは程遠い」と感じる依頼主もいる。

 

認められるように頑張るよりも認めてくれる人と付き合う方がいい

仕事でも友人関係でも何でもそうだけれど、

もう認められるために頑張ることはしようと思わない。

 

実家や祖父母宅では何もしなくてもただ居るだけで喜んでくれる。

ただ居るだけで喜んでくれる人と一緒にいることに精を出す方がよほど良いのでは。

 

 本当のブラック企業は飴と鞭が上手な管理職がいるらしい。

上手に貶して、上手に褒めるから部下は精神的に自立できない。

辞職の踏ん切りがつくほど酷い職場ならばブラックな環境は成り立たない。

「認められたい」という気持ちを逆手に取り、叱りと褒めを上手に使う。

そんな環境からは身を置こう。

 

どんな仕事でも自分の知識や技術に喜んでくれる人と一緒に仕事をすることがいい。

もしくは自分が朝、自然に目が覚めるほど楽しい仕事をすることがいい。

もしくは頑張らなくても認めてくれる人がいることがいい。