【9日目】カリカリ→カールトン(シドニー)
【朝食】りんご2つ、洋梨、キャサリンにもらったシリアルバー、コーヒー2杯
【昼食】バニラミルク、チョコアイス、ラクスマンのチャイ
【夜食】四川牛肉飯、CARLTON DRAUGHT
この日の朝、僕はこの旅の終わらせ方を決めた。もとい続け方と言っても良いかも知れないが。
それは今日シドニーで車を返し、別のリロケーションを利用してパースまで行くということだ。
ケアンズからシドニーまでの3000km弱は僕にとっては物足りない距離だった。しかしこのままシドニーを前に二の足を踏むことにも疑問を覚えていた。それならば別の遠いところへ目的地を変えざるを得ないというのが正直な事情だった。
実は昨日からシドニー発、パース行きのリロケーションがあることはわかっていた。昨日から迷ってはいたのだが、車を無料で使えるのはたったの6日間。有料期間を含めると8日間になるが、1日100ドルを貸し出し料金として取られる。それにシドニーからパースといえばオーストラリアの横の端と端だ。距離にして4000km弱。それを6日間ないし8日間で走破するというのはなかなか過酷なドライブだ。それに運転自体できたとしても、今回の旅のように気に入った街に泊まるといった悠長なドライブは許されない。そんな事情から昨日、即決するに至らなかった。
しかし昨日、パース行きのものがあると分かってから僕の頭の中はそのことでいっぱいになっていた。理屈の上では厳しいと分かっていながら、心は明らかにパース行きに向いていた。
そして今朝僕はついにパースに行くことに決めた。期間は迷わず6日間にした。一日650km程度、朝早くに出れば夕方には余裕でノルマは達成できる。こまめに休憩を取りつつ向かおう。
そういうわけで僕は朝食を摂り、シドニーへ向かった。残り120km程度だ。
シドニーに近づくにつれ、岩山が増え、久しぶりの海が見えてきた。確かハービーベイに行ったのが土曜日だから海を見るのはそれ以来だ。
都市に近づくにつれ車両も増え、荒い運転が目立つようになる。ハイウェイといえどバンでは運転がしにくい道だ。
何度か道を間違えながらようやくシドニー中心部に入るための橋がかけられたハイウェイに入る。急勾配の登り道を上がったかと思ったその瞬間、橋の向こうに大きなビル街が見えた。ここがシドニーか。
橋を渡る途中、かの有名なオペラハウスも見えた。そして僕はすでにシドニーの街に満足していた。
都市部にありがちな入り組んだ高架道路と、急になくなる左レーンに悩まされながらも僕はレンタカー会社に行き着く。まだ返せる状況ではなかったが、車を返すとなると今後の予定を組まねばならず、安心して止められそうな場所としてレンタカー会社を選んだ。
まずAirbnbで今日の宿を探す。明日向かう別のレンタカー会社の近くに$18で取ることができた。バックパッカー達の安宿でも$20程するそうなので良い買い物ができたようだ。
その後、ガソリンを満たすために最寄りのガソリンスタンドに行った。そこで10日間、僕を寒さから守ってくれた寝具などを整え、荷物を整理して、ゴミを捨てさせてもらい、改めてレンタカー会社に戻った。
車を止めてオフィスに入り、先客の対応が終わるのを待ち、受付カウンターに座っていた女性に声をかける。
「こんにちは、キャンパーバンを返しに来ました!」
「え?キャンパーバン?どこにあるの?」
「オフィスの前に停めてある車です。」
「ああ、あれは普通のバンよ。キャンパーバンじゃないわ。」
「そうなんですか?ずっとキャンパーバンだと思っていました。」
これが普通のバンだということは分かったが、キャンパーバンはどんなものなのか未だによく分かっていなかった。中にコンロと冷蔵庫、電子レンジに寝具があれば立派なキャンパーバンではないか、と何となく思っていた。
無事に車の点検も終わり、受付の女性は僕に帰るように促した。
「これで終わりよ。もう帰っていいわ。」
「ちょっと待ってください。ガソリン代が2回分保証されると聞いているのですが…。レシートもあります。」
「ああ、そうね。忘れていたわ。じゃあレシートを2回分くれる?」
僕は彼女にレシートを渡すと、高額な二枚分だけを手に取り後は僕に突き返した。
「その二枚では2回分満タンではないですよね?というかあのバンはフルタンクで何リットル入るんですか?」
「一回で60リットル。2回分だから120リットルね。でも他のレシートを合わせると120リットル分を超えてしまうの。」
「確か細かいものもあったはずです。ちょっと見てみます。」
そんなやりとりの結果、僕は120リットル分の返却を受け取れることになった。前の客は粘らずに帰ってしまっていたが、一応言ってみるものだと思った。
改めてガソリン代を計算してみるとケアンズからシドニーまで$580となった。2回分の返金で$180程度は返ってくるので、実質負担は$400。日本円にして四万円程度だ。
距離で言えば青森から沖縄ぐらいまでを走ったことになる。そう思えばなかなかリーズナブルに旅行ができたのではないか。
車の返却が無事に住むと僕は予約していた宿に向かうことにした。最早シドニーの中心部に繰り出そうとは思っていなかった。それよりも明日からの長距離ドライブに心が踊った。そのために今日は久々にちゃんとしたベッドで休息をしよう。
バスと電車を乗り継ぎ、電車に至っては三度も目的の駅を通り過ぎながらなんとか宿にたどり着いた。
オーナーはまだ帰っていないらしいが、電話をすると鍵が郵便受けに入っているとのことだ。僕は住所通りの家の郵便受けを探したがどこにあるかわからない。しかし住所はここであっているはずだ。
どう見ても異邦人が昼から他人の家を物色しているようにしか見えないだろうが僕は仕方なく広い敷地の中で郵便受けを探した。しかし見つからなかった。
何度か住所を確認するうちに、(これは偽のものだが)「5/24-29 Carlton Parade」と言った文字列が出て来た。ちなみに「Carlton」とは今日滞在する町の名前だ。
はじめのうち僕はこの文字列をこう解釈した。
「なるほど、五月二十四日から二十九日にここカールトンでパレードがあるのか。」
残念ながら鈍感な僕はなぜこの文字列が住所欄に記載されているのかをあまり考えていなかった。しかしそんな僕もあまりにオーナーの帰りが遅いので、この文字列がもしかすると本当の住所ではないのかと思い至った。
オーナーに確認すると案の定その通りだった。では最初に表示されたものはなんだったのか。そんなことを思いながらも駅からの道を逆戻りして、元来た方とは反対側の住宅街に向かった。
かくして表示された住所の場所には年季の入ったマンションが並んでいた。「5/24-29」とは、第5区画に「24号から29号のマンションがある」という表示だったのだ。
しかしこの後、このマンションすら間違いだという驚愕の事実が発覚する。これらの不運に最初は苛立ちもしたものの、自分を突き放して考えてみるとなんとも情けない男の喜劇を見ているようで思わず笑ってしまった。
指定された住所を改めて確認すると、最初に訪れた家の位置の近くになっていた。どうしてこうも場所がころころと変わるのか。最早苛立ちよりもこの状況を楽しむ気持ちで僕は住所が指し示す場所に向かった。
その場所にはまたしても少し古びたマンションが建っていた。門の外でタバコをふかしていたインド系の顔をした男二人に住所があっているか確認をして、部屋に向かう。もう分かっている人もいるかもしれないが、この部屋も間違いであった。
諦めて門から出て、男二人に話しかけた。
「どうやら場所を間違っていたようだよ。」
「いや、その住所ならここであってるはずだぜ?部屋の主には電話はしたのか?」
「したけど繋がらないんだ。」
「そうか…。なあ、そうだ。あんた茶は飲むか?タバコも良かったら吸いなよ。」
「え、いやそれは悪いよ。」
「いや、遠慮すんなよ。ちょっと待ってな。今淹れてくるからさ。タバコはここに置いとくぜ。」
男二人のうち、背の高い方が部屋にお茶を淹れに立った。僕はもう一人の体格ががっしりとした男に話しかけた。
「なんだか、申し訳ないな…。」
「いや、いいんだよ。ところであんたどこから来たんだ?」
「日本からだよ。あんた達は?」
「俺らはネパール。今は出稼ぎに来てるんだ。」
そう言っているうちに背の高い方が戻って来た。手には並々とチャイが入っている。僕が「チャイ」というと、「チア」と発音矯正された。
僕たちは互いに自己紹介をして、タバコをふかし始めた。背の高い方がラクスマン、体格ががっしりした方がロビンというらしい。
ラクスマンが言った。
「へえ、あんたヒラっていうのか。ネパールの言葉でも『ヒラ』ってあるんだぜ。なんだか知ってるか?」
「知らないな…。どういう意味なんだい?」
するとロビンが得意げに言う。
「ダイモン」
「ん?ダイモン?何それ?」
しかし繰り返し聞くうちに分かった。ダイアモンドだ。
「ああ、ダイアモンドか。良い意味だな。」
「そうだろ?ちなみにネパールではヒラって名前の人は大勢いるんだぜ。」
ロビンにかぶせてラクスマンが会話に入って来た。
「しかしあんた、災難だな。住所はここであってるはずなんだがなあ。しかし、なんであんたこんな普通の家に泊まるんだ?」
僕はAirbnbを知らない彼らの疑問に答えるために、その趣旨を説明したがあまりしっくりとは来ていないようだった。
「ちなみに俺らもここに住んでるんだ。今から友達の家に行くんだけどよ、3時間後に戻ってくるからその時にまだ連絡がつかなかったらここに泊まってもいいぜ。」
「それはさすがに悪いよ。初対面でそこまで迷惑をかけるわけにはいかないよ。」
「そんなこと気にするなよ。まあ、あくまで連絡が取れなかったらだけどな。」
ラクスマンは僕にそういって笑った。ロビンも心配そうな顔で困ったら連絡するようにと念を押した。
友達の家に行くという彼らと別れ際に写真を撮り、連絡先を交換しあった。この出会いのお陰で僕は、同じ場所を行ったり来たりするという哀れな喜劇も全てチャラになった気がした。
最後に男3人で硬いハグをして、僕達は別れた。
このネパール人達と一晩共にするのも面白そうだけどそれは最終手段にしておくことにしよう。
しばらく待つとオーナーが車に乗って現れた。場所はここであっていたのだ。ただ僕がちゃんと郵便受けを見ていないだけと言うなんとも情けない失態だった。
オーナーらインド人でナムといった。彼を飲みに誘ってみたが残念ながら断られてしまった。そういえばヒンドゥー教はお酒を飲むことを禁じていた気がするが、彼はどうだったろうか。
そう言うわけで僕は一人、カールトンの街に繰り出した。ちなみに僕が愛してやまないオーストラリアのビール「CARLTON」がこの地発祥だと言うことは知らなかった。今日はカールトンで「CARLTON」を大いに飲もうではないか。
酒を飲む前にまずは腹ごしらえをすることにして適当にその辺の中華料理屋に入った。四川牛肉丼を頼んだが、その名にふさわしく辛かった。中国旅行に行った時に恩師が四川人はカエルをよく食べると言っていたのを思い出した。
その後、昼から目星をつけていた「ロイヤルホテルカールトン」に併設されたバーに入った。もちろん「CARLTON DRAUGHT」を飲んだ。
ビールを飲みながら僕はとにかく無事にシドニーに到着したことに浸っていた。たった10日間だったが、ケアンズでの退屈な日々が嘘のように充実した旅立った。人や場所との出会いに恵まれていた。
サリーナのレトロなパブにはまた行きたい。アボリジニの友人に次会うときは一緒に釣りがしたい。チルダースではまたあのダンスホールでみんなと踊りながら飲みたい。ハービーベイに戻ってクリスティーナとケンに会いたい。そしてカリカリであの男の子と遊びながらご飯が食べたい。
思い出とは「また行きたい、また会いたい」と思いながら、もう戻れないもののことを言うのかもしれない。
今日驚いたのはシドニーに着いた頃、カリカリで一緒に仕事を探してくれたキャサリンが心配して連絡をくれたことだ。彼女には連絡を聞き忘れて、僕が伝えただけだったので、もう連絡は取れないかもしれないと思っていた。初対面の旅人に次の日まで気を配ってくれたことに僕は感謝の思いでいっぱいになった。
ハービーベイのクリスティーナと「自分が困っている時に誰かが助けてくれるという根拠のない気持ちを自信という」といった話をしていたけれど、今の僕はそんな気持ちだ。