仕事しにワーキングホリデーに来たわけじゃねえ(『深夜特急』『珍夜特急』の書評です)
沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだことがあるだろうか。著者沢木耕太郎がインドのデリーからロンドンまでを乗合バスで旅をする紀行文である。そして、これのオマージュらしき作品としてクロサワ・コウタロウの『珍夜特急』という本がある。こちらはシーズン1と2があり、1はユーラシア大陸を、2は南米大陸を著者クロサワ・コウタロウがバイクで縦断する紀行文だ。二番煎じ甚だしい題名のこの本、読んでみると『深夜特急』とは違う魅力がある。全く持って二番煎じではない優れた紀行文だ。
僕は今、オーストラリアのケアンズで英語の語学学校に通っている。それ以前はフィリピンのセブ島で英語の語学学校に二ヶ月間通っていた。この期間を合計すると二ヶ月と二十日だ。
僕はたったこれだけの期間の中で何度となく「なぜ僕は海外の語学学校にに来たのだろう」と問うて来た。「それは英語を勉強するためだろう」とヤジが飛びそうなのだ。しかし、それは少し違う。ここに来ると決めた時の僕は、とにかく次にすることが欲しかったのだと思う。だから仕事の傍ら、闇雲に次にしたいと思えることを探し、これだと思い選んだのが語学留学だった。そこにあまり具体的な理由はなかったように思う。後付けをする事はいくらでもできるのだけれど、あえてしない。
しかし、転職でも日本一周でもお遍路でも入信でもなく、語学留学を選んだのは感覚的に何か引っかかるところがあったのだと思う。
じゃあ、その「引っかかるもの」つまり、この留学に求めた目標とは何だったか。
それが分かれば苦労はしていない。
「なぜ語学学校に来たのだろう」という問いに明確な答えが出せないからこそ、この二ヶ月と二十日の間、ほぼ毎日考え続けて来たのだ。
沢木耕太郎は自身の旅の目標を「インドのデリーからフランスのロンドンまで乗合バスで行き、電報でその旨を伝える」と設定した。当初、やるべき事は明確なはずだった。しかし彼はロンドンに着いた時、友人にこのような電報を送っている。
《ワレ到着セズ》
旅の中で彼の目標は「ロンドンに到着する」というものではなくなっていた。「ワレ到着セズ」とは「私はまだ何も得ることができていない」ということの比喩なのだ。
クロサワ・コウタロウの『珍夜特急 シーズン2』の中で僕が最も好きなシーンは、第九巻のアルゼンチンのメンドーサで出会ったアリエルと別れるシーンだ。一ヶ月以上、生活を共にしたアリエルと別れ、ヘルメットの中で嗚咽する主人公の姿は落涙ものだ。
主人公クロサワは、別れ際のアリエルの「笑顔には違いないのだが、見方によっては悲しそうにも辛そうにも見え、何と言っていいのかーー至極複雑な表情」を見た時に、「自分の旅は十分役割を果たした」と納得をすることができた。そして彼は一刻も早く日本に帰ることをその時決めたのだ。
この二人の旅人に共通するのは「どこかに訪れる」という表面的な目標を途中で変え、「自分が何を得るのか」という内面的な部分に焦点化させて言ったという点だ。沢木耕太郎はロンドンに着いた後にもしばらく旅を続けているし、クロサワ・コウタロウは「アリエルの複雑な笑顔」を得たことによって帰国を決めた。
僕が海外に出てきて以来何か腑に落ちぬまま生活をしていたのは、この生活の果てに自分が何を得ているのかが分からなかったからだと気づいた。そしてそんなものは今の時点で分かるはずがない。つまり何かのきっかけで「これだ」と思うものに出会うまでは、この漠然とした不安を手放す事はできないのではないか。
僕はオーストラリアに来て以来、行動の軸を失っていた。フィリピンでは、その新鮮な気持ちが「英語を学びに来た」と断言させていたのかもしれない。
それはこの二人の著者で言うところの「ロンドンに行く」「南米を縦断する」と言うことと同義だと考えてよい。
だけど「英語を学びに来た」と言う度に綺麗事を言っている時のような心苦しさを感じていた事は確かだ。ただ僕はこの留学を経て「一年間留学して来ました」「豪州全土を回りました」なんて表面的な自慢で終わってしまう事だけは絶対に嫌だ。
他人に理解されなくてもいい、むしろ自分という当事者だけが納得できる出来事に遭遇して、心から到着したと思えるようになっていたい。
これからは「何がしたいの」と問われたら「そんなのわかんねえよ」と返そうと思う。無理に好きなことを探したり、規定したりすることもやめる。自分のアイデンティティを外側のものに依存しようとする弱い心の証だからだ。