じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

あてのない逡巡

今週は早朝から毎日雨が降っている。お世辞にも天候がいいとはいえない。自転車を買った手前、できるだけバスは使いたくないのだがいつも登校ギリギリになると降っているのか止んでいるのか微妙な天候になる。僕の自転車には泥除けがついていないのでいつも地面が濡れていると不愉快な水跳ねに悩まされることになる。いっそ土砂降りならば諦めてバスに乗るのだが、頑張れば乗れそうもない小雨だと毎日逡巡せねばならない。何しろバス代は片道3ドル20セントとなかなかに高値なのだ。

 

この日もそんな天気の中、雨は止んでいたので自転車で行くことにした。跳ね返る水はズボンとカバンを容赦なく襲ったが途中からもう諦めることにした。

 

 

 

この日の放課後は時間いっぱいまでオーストラリアのことについて調べていた。ケアンズに止まるにしても、どこかに行くにしてもあまりにも情報不足だった。ウェブサイトを眺めたり、ワーホリ経験者のブログなどを眺めたりしたがあまりしっくりくる情報はなかった。

季節の野菜や果物によって働く場所を変えるファーム従事者がいたり、貯金を切り崩しながら各地を一年間旅行して過ごすバックパッカー、離島のホテルで働く人など様々なスタイルがあるようだがどれも僕には馴染むような気がしない。

 

都市についてはどちらにせよ実際訪れて見なければ判断はできまい。ネットに上がっている情報のほとんどが観光地についてのレビューなのだから。元々観光地自体に興味がない僕には判断材料にはならない。

 

 

そもそも僕はこの海外生活に何を求めているのだろうかということが未だ定められずにいた。英語力の向上かと言われるとそれだけではない気がする。むしろそれは副産物的なものになってきているこの頃だ。

人との出会いを求める一方で、むしろ一人の時間を作ろうとしているところもある。僕は学校での出会いをあまり求めていなかった。社交的になって友人を作ったとて、その社交性を保つのが面倒だと感じていた。それになぜか学校での出会いがお膳立てされているようなものの気がして、自分の力で作った人間関係ではないような気がしてあまり積極的になれていなかった。

僕はもっと自分一人の行動の中で偶発的に生まれた人間関係を大切にしたいと思っていた。そう、フィリピンに発つ前にしたヒッチハイクで出会った人たちのような。もしくはフィリピンのサンフェルナンドの宿で出会ったクリス達のような、そんな出会いが自分の求めているものなのだと思っていた。

 

そう考えていると、自分のいま求めているものがだいぶ明確になってきた。

ヒッチハイクをしていた時の僕は、身分も金も他人に与えられる何も持っていなかった。そんな自分を支えてくれたという経験は、例えば仕事仲間に助けてもらった、とか同じ学校の生徒に助けてもらった、というものとは毛並みが違うように思う。

そのままの自分を認めてもらったのだという感覚だ。

 

 

 

 

 

タイのカオサンで酔って歩いていた時、急にこんな考えが浮かんできた。

僕の心は金銭に依存しているのだと。お金を使うことにかなり抵抗がある上に、誰かに自分の誠意を伝える時にお金を介することを前提に考えてしまう。例えば誰かにプレゼントをあげる時、高価なものじゃないとダメかなと考えてしまう。

それは高価なものをもらった相手は喜ぶだろうが、高価でないものだとしたらその人は喜ばないだろうかと考えると、一概にそうは言えないだろう。気持ちを重視する人もいるだろうし、価値に重きを置く人もいる。

なぜ僕はここまで物事をお金で考えてしまうのだろう。そこで出した僕の答えは本来の自分に価値を感じられていないということだ。自分ではなく、所有物に価値があると考えるからこそお金を使うことに抵抗があるのだろうし、ブランドものの服や高価な物を所有したがったのではないか。果たして物を所有することで自分の心に安静を取り戻せたかというとそんなことはなかった。求めているのは自分自身の価値を感じることだというのに、自分の外の物ばかりを飾り立てていたのだ。

 

だからこそ仕事を辞めて何もその人達に返せないことがわかりきっている僕を拾ってくれたヒッチハイクで出会った人達には心底安らぎを感じることができたのだと思う。

 

実を言うと、カオサンで自分がお金に依存しているのだと気づいた時かなりの自己嫌悪に陥った。俺はこんな嫌な奴だったのかと。心からお金なんて所詮、物でしかないんだと思たらどれだけ変わることができるだろうか、と。

 

それからと言うもの僕はお金とは何だろうかと考えた。お金が自分にとって大切なものであると言うことは変わらない。金より気持ちだと綺麗事を言うつもりはない。だけど今の僕は、なんだか偶像崇拝をしている狂信者のようだ。金の正体を知ることで少しはそれに対する見方が変わるのではないかと考えたのだ。なんだ、所詮金は金じゃないか、と。

 

 

それと同時に自己肯定感をどのように得て行くのかについても考えて行きたい。過度な所有欲を捨てて、自分の中身が豊かになるようにして行きたい。

ありのままの自分を認めると簡単に言うけれどそれが最も難しい。もっと面白いことをしたい、成功したい、幸せになりたいと考えてしまうし、それが不健全なことだとは思わない。だとすればどこで折り合いをつけるのがいいのだろうか。

 

ここまで考えると、いつも僕の頭はショートしそうになる。僕の頭の中のストレージは小さいのだ。

ただこれから自分自身と自分の所有物を分離させることが課題なのだと言うことがわかった。それと金という存在の正体を突き詰めることだ。

 

 

 

 

 

 

さてだいぶ迷走したが、本来の日記に戻ろう。

カフェテリアで調べ物をしていると、仕事を仕舞ったらしいバリスタの日本人の女の子が英語で話しかけてきた。

「何を調べてるんですか?」

「卒業後、何をしようか考えていてね。とりあえずざっくりオーストラリアのことを調べてるんだよ」

「そうなんですね。私はマナと言います。」

「僕はヒラ。カフェテリアの仕事はどうやって入手したの?」

「いや、これはボランティアなんだよ。ここで働いている学生全員がボランティア」

「え!そうなんだ。じゃあ給料も貰ってないんだね。バリスタのスキルはここで覚えたの?」

「そうだよ。仕事も朝と昼休みと放課後だけ。普段はヒラと同じ学生だよ」

「ずっとここのスタッフだと思ってた。卒業後は何か予定あるの?」

「一応、来週ツアーガイドの面接に行く予定。ケアンズのね。」

「ということはグレートバリアリーフのツアー?外国人相手なの?」

「そうだよ。ほとんど日本人相手になると思うけど、元々ダイビングが好きだし、ライセンスもあるからケアンズに来たんだ。だからツアーガイドの片手間にダイビングができるしね」

「それは理想的だ!僕はなんも決まってないよ。できたらローカルなこととグルメ的なこと、書くことを兼ねられたら楽しいんだけどね…。この間、日豪プレスに履歴書送ったけどまだ返事が来てないから多分落ちたな。」

「あそこは人気だから仕方ないね。ヒラこそツアーガイドとか合ってそうだけどな」

「僕はあんまり観光地とかには興味ないからね。もうちょっと調べてみるよ。」

 

僕は好きなことと仕事が明確なマナが羨ましく思えた。この話の流れでインターネット上で取得できるライセンスの情報を教えて貰った。バーテンダー資格は約1700円程度、カジノなどの賭場で働くライセンスは4000円程度で入手できるとのことで、実際学校で学ぶよりは格安だ。バーテンダーやカジノに惹かれるものはあまりないが、いざとなればネットで資格が取れることを覚えておいても良さそうだ。

5時になり、僕たちは学校から締め出されてしまった。特にやることもなかったので家に帰ることにした。

帰りの道中、僕は先日2回訪れて魚の姿を見ることができなかった魚市場とは違う魚屋を見つけた。時間は以前と同じくらいだったが外から覗いた感じだとまだたくさんの魚が残っていそうだったので、少しだけ冷やかして行くことにした。

 

中に入ると店員のおばさんが僕に「調子はどう?」と話しかけて来た。そういえばオーストラリアではみんなが当たり前のようにこのように声をかけてくれる。最初は戸惑ったが今では割と自然なやりとりができるようになった。

 

 

中に入ると、外から覗いた以上に様々な魚がいた。やはりオーストラリアでも天然物が好まれるようで、「Wild Caught(天然物)」と書かれたバラマンディは割高な感じがする。養殖のバラマンディが置いていなかったので比較はできないが。他の魚はだいたい1キロあたり12~15ドルあたりが相場らしい。日本での魚相場がわからないが、物価高のオーストラリアの魚たちの値段はいかほどだろうか。

魚が一匹丸ごと売られているコーナーの前には、魚のアラだけを扱ったコーナーがある。これはどんな魚種であっても1キロ7.5ドル。そういえばジョセフィーナの作ってくれる魚のスープにはいつも魚のアラが丸々入っているが、彼女のはおそらく魚一匹を購入して投入しているのだろう。調理用にレモンも売られていた。マリネなどに使う用に置かれているのだろう。なかなか気が利いている。これは一つ1ドルだ。

冷凍コーナーにはおなじみの海老的生物の姿もあったが、やはり名前がわからない。タグには「GREEN BUGS」とあるのだが、検索してもカメムシしか出てこない。北海道からきた帆立貝もそこには並んでいた。

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魚屋を存分に楽しみ、おばさんにお礼を言って僕はその場を後にした。さてこれから30分ほどの緩やかな坂道を登って帰らねばならない。この間、自転車登校を続けてきたが、ハイウェイを通る代償として、全く代わり映えのない道路を漕ぎ続けなければならなかった。しかも道中には耐え難い悪臭を放つゴミ処理場があるのだ。

それでも僕が自転車を頑張って漕ぎ続けられるのは、帰宅と同時にありつけるジョセフィーナの美味しい晩御飯があったからだった。早く漕げばそれだけ早く彼女のご飯にありつける。それだけが僕の原動力となった。

 

この日の夕食は、昨日のフンバを含め、手羽元の照り焼きと温野菜、ご飯だった。いうまでもないがかなり美味だ。

 

ちなみに僕がフィリピン生活で携帯電話に記録したビサヤ語(フィリピン南部の固有言語)は5つ。

 

ラミ(美味しいです)

ラミカアヨ(とても美味しいです)

ガナハンクモテラオ(味見していいですか?)

ガナハンクモカオン(食べてもいいですか?)

ガナハンクモスライ(味を試してもいいですか?)

 

我ながらこのレパートリーは笑ってしまうが、これは魔法の言葉で特にラミカアヨ!と唐突に言うとフィリピンの方々は喜んでくれてどんどんご飯をいただいた経験がある。似ている二つ目と四つ目の違いは確かにあったはずなのだが、もう忘れてしまった。

 

今日のレパートリーの中では、ダントツでやはりフンバが僕の好みだ。フンバ自体が豚の脂が乗った赤みを煮込んだものなので美味いに決まっているのだが、彼女の料理手腕がさらにその旨さを際立たせていた。フィリピンのカレンデリア(食堂)で一度、フンバを食べたことがあったがやはりドゥマゲテの友人宅で食べたものやジョセフィーナのものには敵わない。

 

夕食を済ませた僕は自室にこもり、昼からの逡巡の結果、ダウンロードした『豪州読本』(著・田中豊裕)を読んでいた。我ながら遠回りだな、と思いながらこの土地を少しでも知るために、そして卒業後の身の振り方のアイディアを得るためにオーストラリアについて書かれた本を読んでみようと思ったのだ。

しかしどうやらここには僕の求めていそうなことは書かれておらず、結局常読している『珍夜特急』に戻ってしまった。

 

 

僕は海外に出るに先立ち、なんとなく枕の共に紀行文を選ぶ傾向にあった。佐藤優の『十五の夏』、沢木耕太郎の『深夜特急』、そこから見つけたクロサワ・コウタロウの『珍夜特急』。読み進めるうちに彼らのような生き方に憧れを持つようになった。最も佐藤優は勉学のための留学であるので後者二人のものとは毛並みがかなり違うが。こうやって日記をしたためるようになったのも彼らからの影響が大きい。

 

 

 

 

逡巡をしているうちに時間は刻々と過ぎ、やがて眠気が訪れた。なんの成果もないこの思考の空回りに若干の不快感を覚えながらこの日も床に就いた。