じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

念願の自転車購入!

オーストラリア ケアンズでの初の週末は雨だった。

不運なことに土曜日はガムツリーで購入した自転車をケアンズの郊外まで取りに行く日でもあった。

 

ガムツリーとは地元の情報サイトのようなものでいらない物を売ったり買ったり、仕事募集をしたり、シェアハウス仲間を募ったりできるものだ。これの他に日豪プレスというサイトもある。ガムツリーはオーストラリアンが主に利用しているので英語運営なのに対し、日豪プレスは日本語に対応している。もちろん日豪プレスの方が利用はしやすいが、情報量や情報速度はガムツリーの方が何倍も上だ。

僕はそのような点を考慮して、中古自転車探しの重点をガムツリーに置いていた。もちろん新品でも購入することは可能だ。しかし、ケアンズに到着してからというもの様々な人に、「すぐ盗まれる」と脅されたので、どうせ盗まれるならば中古の安いものを購入しようと考えたのだ。

 

ちなみにオーストラリアンが口を揃えて安い自転車を買うならここだというのがKマート。それでも100~200ドル。上限2万円程は見なければならない。その他にもヘルメット着用が義務付けられていたり、盗まれること前提でもロックは買わねばなるまい。そうなると出費は無限に膨らむ。

そういうことで僕はガムツリーにて出来るだけ安い自転車を購入すべく数日間、ネット環境がある場所ではサイトに駐在していた。

 

 

ケアンズに来て僕はできるだけ節約を心がけている。SIMカードはスーパーで買うよりも時間を要したが約1000円でーこれは使いようにもよるがー、1ヶ月分を購入できた。他にもできるだけ食料はホームステイ先から持って行く、観光気分で買い物をしないことを自分に課した。それというのも、有り金を使い切って働かざるを得ない、という状況を先延ばしにするための努力だった。

 

そんなこんなで僕は、小雨というには少々水量の多い悪天候の中、事前に調べて置いたバスで乗り継ぎ乗り継ぎ目的地のリアイアメントビレッジに向かっていた。往路はバス、復路は自転車、という計画だ。

 

 

 

バスは約1時間程度で目的地に到着した。いよいよ雨脚は強まり、着込んでいたノースフェイスのマウンテンパーカーは即座にびしょ濡れになる。

救いは海外の住所表記だった。オーストラリアに限らず海外の多くは住所の番地順に家が並んでおり、それだけでなく番地の番号が目立つところに掲げられている。僕はその番号を見ながら目的の家に向かった。

 

バスの到着時間を把握していたのか、僕に自転車を売ってくれる主、パトリックが傘を持って家の前で待っていてくれた。僕たちは握手を交わし、早速ブツの元へ向かった。

 

パトリックは販売用バイクを5つ持っていた。おそらくトレーダーなのだろう。自転車に詳しそうだったのでもしかすれば壊れた自転車を修理して出品しているのかもしれない。

値段層は60~180ドル。僕は少し迷ったが最も安い自転車とロックを購入した。自転車が60ドル、ロックが15ドルだ。迷った理由としては自転車の片方のギアが使えなくなっていたこと。しかし問題なく使えるということを身を以て示すために、パトリックが急勾配を何往復かしてくれたことと、その後の彼の息の上がりようを見て購入を決めた。

 

そんなやりとりの後、少しだけ雨脚は弱まっていた。僕はパトリックに市内への行き方を聞き向かうことにした。その道が大分遠回りだったことは、もし次パトリックに会うことになったときに伝えたいと思う。

 

 

自転車は颯爽と走った。不満を言うとすればサドルがかなり固く、普通に漕いでいるだけで尻が痛くなることぐらいか。これもサドルが悪いのか、僕の尻が悪いのかはわからない。

 

パトリックの家から20分ほど漕いで、ようやく市内に到着をした。僕の次なる目的地は金曜から日曜にのみ開催されていると言うラスティマーケットというフレッシュマーケットだった。

フィリピンからこのような場所に目がなかった僕は、その話をジョセフィーナから聞きつけ、早速行くことに決めていたのだ。

 

僕がこのマーケットに期待していた理由の多くは僕の嗜好性によるものだったが、その他にも学友から貰ったらスティマーケットで購入したというマスカットがかなり美味かったことにも起因した。

 

期待通りマーケットは大盛況だ。到着して厳重に自転車にロックをかけると早速、マーケット内に入る。中には果物、野菜などのベンダーやマッサージ店、金物屋など雑多な店ぞろいだった。

ケアンズに来て、その整然とした環境に少々飽きを感じていたのでこの凸凹感はかなり嬉しかった。

中にはフィリピンではお世話になったベーカリーやタイ料理を振る舞う屋台などもあった。これらの国々はオーストラリアとは切ってもきれない関係性らしい。

 

 

僕は昼食を持って来ていたこともあり何かを購入することはしなかったが、果物の試食を少しずつ貰っては食べた。特にスウィーティーと思しき柑橘類とパイナップルがかなり美味しかった。

 

 

外を見ると雨は上がっていた。僕は自転車を乗り回したかったのでまた雨が降り出さないうちに海沿いに繰り出すことにした。徒歩でもそこまでかからない海までの道のりは、自転車だとより身近に感じられた。

所定の場所に着くと早速ジョセフィーナ特製のサンドウィッチとリンゴをかじりながら、横になって読書をした。ケアンズに来てからというもの、海沿いで読書をすることが日課になっていた。

一見優雅に聞こえるこの行為も、真冬のケアンズではなかなかに寒く、風も直当たりするので常に快適だとは言えないのだが。

 

 

まどろみの中、約1時間読書をした。パラパラと雨が降り出して来たので僕は退散することにした。

帰る前に僕はナイトマーケットに寄った。ナイトマーケットとは名前ばかりで、観光客用の商業施設である。お土産屋やマッサージ屋、中華料理屋などの店舗が犇めいている。帰るのにも1時間弱を要する復路の前に手洗いを済ませておこうと思ったのだ。

 

ここに寄ると僕はいつも、ケアンズで出会った学友を思い出す。僕より二つ上の彼のこれまでの日本での軌跡は、どこか僕と似ていて何となく気になる存在でもあった。というよりも社会人を一度リタイアして海外に英語を習いに来る同世代に、僕は親しみを感じずにはいられなかった。何かしら逡巡を経て海外に飛び出して来た、否、逃げて来たと言っても過言ではない僕は彼らのこれまでの経験を他人事として聞くことはできなかった。

話は逸れるが、僕の通う語学学校には元教師という同胞もかなりいた。口を揃えて、教師は大変すぎた、という彼ら彼女らと僕を重ねずにはいられない。

言い方は悪くなるが「語学留学」という言葉は、今の辛さから逃避するにはかなり良い建前の逃げ口上となる。僕もそうだったからだ。だからこそ感じるのは、英語を勉強しに来ている者と逃げられた安堵感から緩み切っている者の二極化だった。僕の頭の中で、ケアンズ空港から語学学校までの送迎をしてくれたドライバーの「目的がなければ遊び呆けてしまう」という言葉が今も鳴り響いている。僕はどうだろうか。学校での勉強は熱心にしたつもりだったが、帰ってからは街に繰り出してばかりで、基礎となる勉強はしていない。海外でしかできないこと、の一つには入るとは思うがそれならばわざわざ高い授業料を出して来る必要はなかったのでは、という思いもある。

今のあり方が正解なのか不正解なのかなんて自分でしか決めることができないのに、どこかでだれかに評価をしてもらいたい自分もいる。自分で「これでいいのだ」と割り切る勇気が僕には足りていない。

 

この海外生活の中で僕はいくつかの紀行文を読んだ。『十五の夏』『深夜特急』『珍夜特急』。どれも長編で、かなり読み応えのある内容だ。彼らも僕よりももっと長い海外生活の中で自分の人生について逡巡をしている。そう思うと「自分の人生はこれでいいのか」という問いは昔からの命題であり、偉人も正解を出せずにいたのだと勇気をもらうことがある。いずれにせよ、自分の感覚を信じてそのときそのときに選択をしていくしかないということは明らかだ。

 

 

 

時間をナイトマーケットに戻す。土曜日の夕方、そこそこの混み具合を見せるその施設で、忙しく働く学友を想像しながら僕はその場を後にした。

 

 

帰宅すると僕はシャワーを浴び、ベッドに横になった。1時間弱を見ていた自転車での復路は想像通りだったが、思った以上に疲弊していた。ゆるく続く坂道が僕の体力を地味に奪い続けていたのだ。

 

しばらくベッドでごろごろした後、夕食を食べにリビングに向かった。今晩は、ジョンとジョセフィーナはカジノ、その娘夫婦トムとポーラは孫のベビーシッターということで僕一人で夕食を取った。

ジョンとジョセフィーナは昨日金曜日も僕とともにカジノに繰り出していた。なんなら木曜日も繰り出していた。かなりのカジノ好きである。

 

この日、ジョセフィーナが作ってくれた夕食は、豆のスープとサーモンのトマト煮、昨晩の残りである牛のチョップスープとご飯だ。彼女の夕食は毎晩多様なだけでなくかなり美味だ。この味を1ヶ月間しか味わえないのは惜しい。

 

それにしても会話相手のいない夕食は少し寂しい。普段はジョセフィーナと二人で、たまにジョンやトムも同席して夕食を食べる。フィリピーナであるジョセフィーナや元々フィジーの近くのコックアイランドの国民であったというトムの英語はかなり聞き取りやすい。一方で生粋のジョンの英語は彼の訛りのためか聞き取りづらかった。僕の1ヶ月間の目標は彼の英語を聞き取れるようになることだ。

 

家に誰もいなければ読書でもするに限る。僕は夕食を取るとミルクティーを作り部屋に戻った。この日はジョンとジョセフィーナが帰って来るよりも先に眠気が僕の元に訪れた。

 

(初めて訪れたラスティマーケットの様子)

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