じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

成長痛

オーストラリア初の週末はつくづくついていない。

雨の中自転車を漕いで家に帰った土曜日、明日は晴れるだろうという僕とジョセフィーナの希望的観測は見事に外れて、昨日よりも強い雨が朝から降っていた。金曜日から干されている僕の洗濯物は乾く様子を見せなかった。そろそろ下着類の残弾が切れそうである。

 

 

この日、僕には一つの目論見があった。それは以前から気になっていた日豪プレスのフリーライターに応募するということだ。前回の記事にも書いたが、この日豪プレスというのはオーストラリアに住む日本人に向けた情報サイトで、ニュースや求人募集、物の売り買い、シェアハウス募集など様々な要素が集まった豪州の日本人運営サイトとしては最大級のサイトだ。

 

 

僕はフィリピンにいた時から、ローカルな環境に人並み以上の興味を持っていた。食文化はもちろん、密接で温かい人との関わり合いを持つのはいつも観光客のいない地元の土地だった。

それに有名ではない地元の価値を知ることができる、というのは僕の中では大きな喜びだった。

 

 

そんな僕にとって、フットワーク軽く様々な場所に赴き、情報を集め記事にするというフリーライターは魅力溢れる職業に感じられた。その仕事に就けるか就けないかは分からないが、採ってもらえたらラッキーぐらいの気持ちで僕は応募をすることにしていたのだ。

 

 

そうとあれば、この緩みきった気持ちを切り替えるために街に出向かねばならない。となんとなく自分を鼓舞し、朝一と言っては少々遅い時間帯のバスに乗り込んだ。もちろんサンドウィッチとりんご、この日はバナナとチョコを持ってだ。

 

早速僕はWi-Fi環境のある語学学校か留学エージェントのオフィスに行くことにした。しかしどちらも土日は閉まっていたのだ。それを見越していた僕は、オフィスの入ったマンションビルのグランドフロア、待合スペースのソファに腰掛け、履歴書を作り出した。

 

オーストラリア社会では、この履歴書というものがまず必要だ。僕はマッサージ師の学友からあらかじめ入手しておいた彼の履歴書を参考に作成していく。

それなりのフォーマットはあるはずだが、僕はまず職歴を最初に持ってくることにした。彼の履歴書や他の参考にしたものはプロフィール、つまり志望理由が最初に来ていたが、どれだけ熱く語ったところで気持ちは気持ち、やはり実績があればこそだと思ったからだ。僕はここで実績と言っては少々心もとない教師としての幾ばくかの積み上げを書いた。

 

その後、スキルや英語力などについて記述して、いよいよ志望理由である。ここで僕は何度か書き直しをしなければならなかった。最初は実績だけを並べたものを書いた。これでは自慢のようにしか見えないし、職歴を見れば大体のことは分かる。その次はストリートフードへの熱。これはちょっと引かれるかもしれないと思い手直しをした。そして三刷り目でようやく自分で納得できるものを作ることができた。

元々、受かればラッキー。受からなければ縁がなかったというだけだ。それでも心残りがあって、不合格となればやりきれない。今後とも使える財産としてもある程度のクオリティの物をやる気があるうちに作っておきたかった。

最後にこのブログとSNSアカウントのアドレスを乗せて、メールを送信した。気づけば1時間半ほどの時間が経とうとしていた。

 

 

その後、僕はまたしてもラスティマーケットに繰り出すことにした。もしかして出店している店が変わっているかもしれないし、あのマーケットの喧騒は座って見ているだけでも楽しい。どうせ家に帰っても時間を持て余すので、行って損はなかろう。

 

ラスティマーケットに着くと昨日同様、ベンダー達の間を通り物色をした。どうやらあまり昨日と内容は変わらないようだ。またしても試食をつまみながら、僕はマーケットの端にある飲食スペースに座りあたりを観察することにした。

 

よく見ると本当に多くの人種がここにはいる。もちろんネイティブが一番多いが、中国人系、黒人系もなかなかに多い。僕たち日本人は以外と少ない。もしくはあまりこういう場所には来ないのかもしれない。喋っているのは英語が多数、たまに中国語が聞こえる。どちらもかなり早口に感じ、というよりは僕のリスニング能力の至らなさだが、なかなか聞き取りづらい。

 

 

僕はこの場所でしばらく溜まっていた日記をパソコンに書くことにした。普段、このように時間を作らなければなかなか日記というのは書きづらい。記憶力の弱い僕にとって、こうやって文章に残していく作業は必須だと思いながら、なかなか毎日書くことができないでいる。

フィリピンにいる時には、ほぼ毎日、書くことができていた。その違いは明らかに僕の思考量、行動量の違いに直結する。ここに来て僕は攻めた生活スタイルを送っていないと自覚をしていた。

 

毎日、何かしら面白いことを一つ見つけてはSNSにでも書こうと思っていたフィリピンの時の僕から、今はまるで毎日与えられたものをこなすだけに精神状態になっていたのだ。

市街から遠く離れた場所が拠点だということが一つ理由として挙げられるが、きっと理由はそれだけではない。気持ちが停滞していなければ、そのような地理的な問題は難なく解消しているはずだ。場所や天候を理由にする前にやるべきことは、がむしゃらに動いて、自分が熱狂できそうなものをできるだけ早くに見つけるということだけだった。停滞即ち死、ではないがこのように安定の元に思考停止していくことが僕には恐ろしく感じられた。

 

 

 

2時間ほど溜まっていた日記を書き終えると僕は一層騒がしくなった市場の中心部に繰り出した。二人のベンダー達が声を張り上げながら競うように果物、野菜を売っている。一人の男性はアジア系の顔だが英語はかなり流暢で、客に白菜を差し出している。もう一人の女性は、一ピースごとにカットしたスイカを台に並べ、「ワンピースワンダラーワンピースワンダラー」と呪文のように叫んでいる。こちらの女性もアジア系の女性だ。日本でも似たような売り方を見たことがあるが、案外二人とも英語が上手な日本人だったりするかもしれない。

 

 

僕は一通りマーケットを堪能したところで普段歩かない通りを散策してみることにした。学校付近がケアンズの中心街となるのだろう。車通りも店の数も多い。一方、マーケットを境にして中心部から反対方向に行くと車通りは皆無に等しく、店の数もぐっと減る。これが普段からのことなのか、日曜午後だからなのか判断しかねた。

 

僕は不気味なほど静かな街をしばらく歩き、一軒の韓国人専用らしきスーパーマーケットに入る。中は韓国語で溢れているが中には日清の乾麺なども置かれている。韓国人の主婦達が韓国語で喋りながら店を後にし、僕も続いて店を出た。

そういえば僕はフィリピンにいた時から韓国人によく間違われてきた。韓国人が積極的に海外に出ているから、アジア人を見ればとりあえず韓国人と言っているのか、本当に韓国人に似ているからなのか見当もつかなかった。

しかしこの間、ケアンズのショッピングモールで韓国人主婦達に韓国語で「君、韓国人だよね?」と尋ねられた。この出来事があってから僕は韓国人似なのだという疑念は確信に変わった。ネイティブすら惑わすほど似ているのだ、と。

 

 

 

バスの時間を気にしながら僕は街の散策を続けた。丁度、小腹が空いてきたので以前から気になっていたウールワースのパンを試してみようと思っていた。ウールワースとは、現地人、学生共に口を揃えて安いと言うスーパーマーケットである。

物価の高いオーストラリアで僕は安くて美味しい食べ物を探し求めていた。食に興味がある一方で、普段の食事は安ければいい、と言う一見矛盾した考えを持っていた。これはいざという時に高価な物を買ったり食べたりできるようにしているのだ、となぜか自分に言い訳ともならない理由を掲げていた。

 

ウールワースのパンは最も安いもので60セント、約60円だ。ちなみに小さなチョコスティックで1~2ドル。そう思うとこの価格はかなり安い。僕はセサミがこれでもかと掛かったパンと、コーヒー牛乳らしき飲料を購入してバスターミナルに向かった。

パンは想像以下でも以上でもない出来だが、コーヒー牛乳がかなり美味しかった。牧場で飲む新鮮なミルクを想像していただければと思うが、鮮度が高く甘みが控えめでスッキリとした口当たりだ。これはかなり美味しい。惜しむらくはその値段3ドル。普段からは口にできない値段だ。

 

パンと牛乳というオーソドックスな組み合わせを食し終えると丁度ホームステイ先の最寄りバス停留所に着いた。そこから10分程度歩いてようやく帰宅する。

 

5時ごろに家に帰るとすでに夕食はできていた。ジョセフィーナはすでに食べたようで、僕はまたしても一人で食べることとなった。

今日のメニューは、ソーセージと鶏肉を煮込んだもの、ライスヌードルとラーメンを一緒に炒めたものだ。ソーセージはここのものを食べると日本のシャウエッセンなどは貧弱だとしか思えなくなるほど太くて美味しい。麺類の炒め物はフィリピンの焼きそば、パンシットカントンを思い出させるものだった。ポーラとジョンはベジタリアンなため、この麺には野菜しか供されていないがそれでもかなり美味い。パセリが相当量含まれているため、それを避けることだけが困難だったが。

 

 

食後は僕・トム・ジョセフィーナ・ポーラの4人でラグビーの観戦をした。僕が住むケアンズクイーンズランド州に属し、その代表であるマルーンズとシドニーが属するニューサウスウェールズ州の、とここまで書いたところでどうしてもニューサウスウェールズ州の代表チームが思い出せない。おそらくシールズだったような気がする。2時間以上もテレビの前で叫んでおいて、片方のチームの名前すら覚えられないのだから僕のラグビーへの関心具合の低さが伺える。

ただしゲームは面白かった。これまでラグビーはおろか、スポーツ観戦の類をほとんどしたことがなかったが、5ターンごとに切り替わる攻守の転換の早さは見ていて飽きさせない。これにビールでもあればと思ったが我がホームステイ先はあまり酒を飲む習慣がないようなので、ミルクティーで我慢をしておいた。試合は我がクイーンズランド州のマルーンズが負けて終わった。

 

それをきっかけにして僕は眠りに就こうと寝室に入った。しかしいつまで経っても眠れない。なぜだか昔の嫌な思い出が頭の中に渦巻いてくる。「あの時、ああすればよかった」などという後悔が湧き出し、その度に「今更悩んでも仕方がない」という正論で抑え込む。そんなやりとりをしばらく繰り返していた。

 

 

それにしても何故、人は過去の嫌だった思い出をわざわざ思い出すのだろう。僕はふとアドラー心理学の目的論を思い出していた。そこから自分なりに悪い過去を思い出す理由についてこじつけていった。

 

自分の失敗を思い出したり、人から言われた批判を思いすことで、その過ちを繰り返さないようにしようとする。それは自分にとって安全であるとともに、失敗を伴う変化から遠ざかるということだとも言える。

傷つかないようにするために、わざわざ自分は嫌な過去を思い出しているのではないか。そうであるならば、こうやって嫌なことを思い出すというイベントは、変化しようとする際に必ず起きることなのではないか。この仮定が正しいとすれば、今僕は変化しようとしているのだ。この去来する嫌な思い出達もそう捉えれば成長痛のようなものだ。

 

深夜の無理なこじつけにしてはこの考え方が気に入った僕は妙に納得をしてその日は眠りについた。