じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

L⇔R

 ついにこの日で僕は語学学校を卒業することになる。フィリピンから語学学校に通い続けて来た僕はこの日を境に本当の意味で肩書きがない状態となる。それはつまり、自分のやることは自分で決められるということを意味すると同時に、指をくわえて待っているだけでは何も変わらないという事を意味していた。

 

 

 相変わらず語学学校へのモチベーションは下がったままだったが、この日もペアワークによるプレゼンテーションを控えていたため、特に責任や仁義といったものを大切にしない僕としても行かないという選択肢はなかった。

 

 

 学校に着くとまずは週末のテストだ。フィリピンではスピーキングに力を入れていたのに比べ、オーストラリアではグラマーをみっちりと勉強していた。よって週末には必ずグラマーテストが行われる。「伝わればいい」という意識が最後まで変わらなかったからこそ、やる気が出なかったのかもしれない。

 

 

 

 

 テストと発表が午前に運良く終わったので、卒業式と午後の授業についてはすっぽかすことにした。昨日から鴻上尚史氏の『孤独と不安のレッスン』を読み返すなかで、もう一度、自分の在り方を整理しておく必要を強く感じていたのだ。これには二つの理由がある。

 

 

 一つは、先日ブログに「僕の人生の書10選」を書いたのだが、その中で「孤独」に関する本の書評については未だ納得のいくものを記すことができていなかった。「一人であることの豊かさ」を海外に来て以来、しっかりと感じていたもののそれをうまく文章としては残せていなかったのだ。

 

 もう一つは、オーストラリアに来てからの自分の在り方が、フィリピンに来た時から少し変動して来たように感じていたということに端を発する。文字通り、フィリピンで我武者羅に一人で色々なことに挑戦していた僕に対して、今の僕は周囲の環境に引っ張られて何か新たなことに挑戦するという気概がなくなっているような気がしていた。環境のせいにするのは簡単なのだが、世の中にはどんな環境でも自分なりに挑戦していく人はいるわけで、それはつまり僕側に全面的な責任があった。

 

 それらのことがきっかけで、僕はもう一度「孤独」について捉え直し、自分を改めようと思っていたのだ。

 

 

 

 

 そういうわけで僕は午前の授業が終わると海沿いに座りながら、ひたすら海を眺めた。意識的に頭の中を整理するというよりは、深層心理にある根源的な何かを引き出したい時にはひたすら待つしかない。すると突然、昨日読んだ本の内容が頭の中に浮かんで来たのだ。確か「自分ごとは距離を置いて考えよう」というようなことだったが、それがきっかけで僕の頭の中にあるいくつかの考えが結びついたような気がした。

 

 僕が「孤独」を選んだのは、一つは自由でありたかったからだ。一方で、孤独であるということは周りに人がいないということで、それはつまり他人からの評価を極力気にしない環境に身を置きたかったということではないか。つまり僕は他人からの評価を恐れていたのだ。

 

 自分のことを自分のこととして考えると、傷つくことは怖い。でも自分を突き放して考えることで他人の評価を気にする事はなくなるのではないか。

 

 身近な人間関係ばかりを気にするのは、あまりにも自分を近くに捉えすぎているからだ。傷つくことや恥をかくことを恐れて、自分がしたいことができない。それは狭い範囲で考えると得だけれど、広い範囲で考えると損だ。

 

 

 自分を突き放して考えよう。できるだけ俯瞰的に、近くばかりに目を向けずに。オーストラリアの広い海を前にしているからこそ思いついたことだったかもしれない。坂本龍馬は土佐の海の向こうにアメリカを見たらしいが、大げさに言えばそんな心境だった。それだけでもオーストラリアに来た価値があったと思えた。僕は不整理に考えたことを学校に戻りパソコンで文章化させた。

 

 

 さてここからが本題である。

 

 多くの外国人が言う通り、日本人は「L」と「R」の発音の区別がなかなかできない。それは発音についても聞き取りについても同様だ。御多分に洩れず僕も未だにできていない。

 

 先週金曜日スクールパーティーに参加した際、僕はチリの美人2人組、ジェニーとナタリアと会話をしていた。

 

「ジェニー、ナタリア。実は来週で僕は卒業するんだ」

「え!?そうなのヒラ。それじゃあ絶対にリーダーをゲットするべきよ。受付のガ

 ブリエルに言えばゲットできるから!絶対、月曜日いうのよ!」

「ちょっと待ってくれよ。なんなんだ、そのリーダーってのは?貰ったらどうなる 

 んだ?」

「貰ったらドリンクが10杯貰えるのよ。絶対ゲットしておくべきよ、ヒラ」

「わかったよ、その『リーダー』ってのが何かわかんないけど伝えておくよ」

 

 

 そんなこんなで僕は、その『リーダー』というものを入手すべく月曜日、ではなく金曜日にそれをガブリエルに伝えた。すると彼は僕に大量のリストバンド(これはスクールパーティーの参加券となる)を渡し、集合時間前に学校にきて、このリストバンドを配布し、生徒を連れてくるように伝えた。

 

 全く要領を得なかった。なぜ僕がリストバンドを配らねばならないのか。なぜ僕が生徒を引率しなければならないのか。様々な逡巡の末、僕は気づいてしまった。

 

 

 僕が思っていたのは「Reader」つまり、何かの機械に読み取らせることで酒が無料で貰える券か何かだと思っていたのだ。まあ、「Reader」を正しく解釈すれば読み取る側になるわけなのでその解釈すら間違っているのだが、僕は都合よくそう理解していた。

 

 

 しかしチリ人が言っていたのは「Leader」、つまり生徒の代表としてある程度、他生徒の面倒を見る代わりに酒を貰えるという仕組みだったのだ。僕はこの時、心底自分が日本人の耳を持っていることを後悔した。後は、「ゲット」なんて言い方をせずに「ビカム(~になる)」とでも言ってくれればよかったのに、とチリの美人二人組を少し恨んだ。

 

 後悔先に立たず、引き受けてしまったものを断るわけにも行かず仕方なく引き受けることにした。ちなみに僕は授業へのモチベーションの低さからもわかる通り、そんなリーダーなんて役割をするような立場でもなかった。

 

 

 

 夜になると続々と学校前に生徒が集まりだした。今日はよりにもよって人がいつもより多く60人を超えた。先週、リーダーを務めたパトリシアが側にいてくれたので幾分か助かった。とりあえず無事に集合から配膳までをすませ、僕の任務は完了した。後は酒を飲んで踊るだけだ。

 

 パーティの中でとりわけ学校の友人としては仲を深めたジェニー、パトリシアそれにヤコブ達と時間を過ごした。彼女達と同じ教室で学んだのはわずか1週間だったが、それでも南米特有の気さくさと彼女達特有の優しさにはだいぶ救われた。僕たちは次に会うときはイタリアとチリだと固く約束をして別れた。

(左から僕、ジェニー、ナタリア、ヤコブ、ポー)

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 この日は案の定酒を飲みまくったのだが、一方で酔いつぶれるわけにはいかなかった。なぜならこの日、ブロガーズギルドの読書部ラジオに出演する予定があったからだ。時間は日本時間で10時30分から15分間。こちらは1時間進んでいるので11時30分からとなる。どう考えても酩酊している時間だが、これをすっぽかすわけにはいかない。

 

 僕はいい時間で会場を後にし、ラジオに繋げる。今日は大まかに僕の読書人生と、後は一緒に出演する「ますだ」さんとともに村上春樹の『トニー滝谷』を喋った。趣味を同じくする人たちと喋ることは何よりも楽しかった。それに僕の自己満足のような語りに耳を傾けてくれるリスナーがいるという事実が、酔いも合間って感慨深いものとなった。

 

 

 ラジオ時間と帰宅時間が被っていたのでラジオが終わりしばらく部員達と喋っている間に家に着いた。この日はすぐに眠りについた。