じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

「好きなこと」を持つことよりも、「好きなことを見つける力」を持つことの方が大切なのだ

 この前夜、僕は午前四時ごろまでパソコンに向かいキーボードを叩いていた。というのも先日、ディスコードという一種のコミュニティアプリ上にあるブロガーコミュニティに所属し、特に「読書部」に入部していた。

 その中で「コミュニティのメンバーに紹介したい一冊」というテーマで書評を書くことになったため夜遅くまで作業をしていたのだ。そういうわけでここ最近、いくつかの書評を投稿するに至った。

 

 

 

 翌日、つまりこの日僕は目を覚ますと、案の定頭が重く倦怠感を覚えた。そこでこの日はもう少し書評を書いてみるということと読書に時間を当てようということで語学学校を欠席することに決めた。

 

 昨晩書いたのは、水谷竹秀さんの『日本を捨てた男たち 『困窮邦人』」という本について書いた。フィリピンに住む貧窮した不法滞在者を題材に書かれた本だ。僕はこの本を読んで以来、自らの人生と重ね合わせて自己責任と社会問題の線引きについてしばらく考えてきた。

 

 

 出来上がった書評は力作ではあったのだが、若干人に紹介するには重いような気がして僕は過去に読んだ本をKindleのリストからいくつか漁ってみた。突然、分厚い本を紹介しても自己満足にはなれど喜ばれはしないだろう…。それならば薄くてキャッチーな題材の本がいいか?ただその類の本はあまり読んできていないし…。

 

 しばらく迷った結果、僕は村上春樹の『トニー滝谷』と芥川龍之介の『ひょっとこ』を読み返すことにした。どちらかで書評を書いてみよう。

 

 僕にとってはどちらも思い出深い作品だ。大学時代に出会い、そして自分のエゴを自覚するきっかけとなったのはこの二つの作品だ。

 

 

 怠い体をおして僕は二作品を読み切り、結局『トニー滝谷』で書評を書いてみようと思った。なんだか書けそうな気がしたのだ。頭の中を整理するためにぶらぶらと家の近辺を歩くことにした。そういえばこの辺りはまだ歩いたことがなかった。

 

 

 フィリピンに来て以来、僕は考え事をするときは財布と携帯だけを持って散歩をする習慣があった。これは偶然の発見なのだけれど、僕は何かを思いつくとき大抵歩いているのだ。それも特に目的なくぶらぶらと歩いているときだ。フィリピンにいた頃は「ロームアラウンド」と格好つけて毎日ほっつき歩いていた。日本語訳すると「徘徊」なので、全く格好良くはないのだが。すると不思議と全く思いもよらなかったアイディアが出てきたり、これまで悩んでいた問題について結論が前向きな方向で出ることがあった。そんな経験を繰り返すうちに僕は「考え事は歩きながら」ということを学習したのだ。

 

 

 そんなこんなでしばらく歩き続けた。三十分ほど近辺を歩き、考えていた。一般的に『トニー滝谷』は、孤独を知らなかった男が恋をして結婚し、妻や父親を亡くし本当の孤独を知るという話だと解釈される。「本当の孤独は失ってからわかるのだ」というのが作品の命題だという解釈だ。しかし僕は何か引っかかりを覚えていた。そのあたりの逡巡については書評に書かれているのでそちらに項を譲りたい。

 

 

 

 

 ある程度頭の中で書きたいことを整理すると、神がかり的なタイミングでどうみても快適そうな公演を発見する。それもハンモック式のブランコ付きだ。僕は即座にハンモックの上に寝転び、スマートフォンで書評を書くことに決めた。自室で書くとどうしても気詰まりな感じがしてしまう。ここでなら数時間でもいれそうだ。

 

 

 おそらく1時間程度であろうか。太陽がが真上に差し掛かり日差しがきつくなってきた頃に書評を書き終えた。丁度空腹が僕を襲った。家に戻ろう。

 

 この公園の優れているのは我がホストハウスから徒歩五分程度で行けてしまうという点にもある。つまりその気になれば食料を持ち込み作業をしても差し支えない、そんな好立地であった。そんなわけで僕は徒歩5分の道のりをかけて家に戻った。

 

 

 家ではジョセフィーナが既に昼食兼夕食であるカレーライスを作って待っていてくれた。それを頂き、僕はもう少し読書と書評、日記書きをしようと決めた。これまで気づかなかったが家の玄関前にはテラス然としたスペースもあった。そこのベンチに腰掛けしばらく作業をした。

 

 

 そういえばオーストラリアに来て僕が一番没頭しているのは、読書とブログだ。フィリピンにいた頃は専ら食べることと新規開拓に時間と熱意をかけていたがその形は変わってきた。

 

 

 「好きなこと」を持つことよりも、「好きなことを見つける力」を持つことの方が大切なのだ。

 

 

 今回のフィリピンからオーストラリアへの移動でそれを思い知った。二国に同じことを求めても仕方がないことだ。同じことが体験できるならば世界を旅行することなど無駄であるからだ。環境が変わればできることは変わる。だからこそ「できること」の中から没頭できることを見つけるということが大事だ。

 

 そのときそのときで没頭できることがなければ腐ってしまう。無理に合わない友人と付き合ったり、時間潰しでそんなにわくわくしないことをして時間とお金を浪費したり。そんなのは無駄でしかない。今こうやって読書とブログに没頭できているのは、諦めずにオーストラリアでできる自分の好きなことを探し続けてきたからだ。頑張ってよかった、とつくづく思った。

 

 

 

 この日は残りの時間を全て読書に当てた。今は選書のアウトソーシングを試してみている。ブクログのランキングや読書部でおすすめされた本を選り好みせずに買ってみる。こうすることで1ジャンルにとらわれがちの選書の幅を広げることができるからだ。

 

 読書をしているうちにいつの間にか眠っていた。最も幸せな眠りへの入り方である。