じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

水平に飛ばない駒鳥

 さて今週がこの語学学校に通う最終週だ。つまり来週から所属する場所がなくなるということだ。それは自由を意味し、同時に自立を意味する。リスクをとって当然の生き方をしておいて、若干の不安があることは隠すべくもない。

 

 

 実は今週からクラスが1段階上がる。周りからは異例の出世だなんだのと茶化されたが、ここは進級を早い段階で認めてくれたジャスティーナ先生とロジャース先生に素直に感謝したい。ということで僕は上中級者クラス、アッパーインターミディエイトクラスに配属されることになった。そういえばうちの学校では、上のコースに行けば行くほど国際色が豊かになる。どこの学校でもそうなのだとすれば日本の英語教育の至らなさを痛感するには十分な理由となりそうだ。

 

 

 このアッパーインターミディエイトクラス、実は1週間目に授業内容を目にしたことがあった。教室の壁がなぜか全てガラス張りのこの学校では、どのクラスの授業も筒抜けなのだ。その時、このクラスはパソコンで英作文を作っていた。その時に僕は衝撃を受けた。殆どの生徒が信じられない密度の英作文をオフィスソフトで作成していたのだ。その時、僕はこのレベルのクラスに入ってみたいと憧れたのだがついに最終週にしてその夢が叶ったというわけだ。オーストラリアの中では異端の元フィリピン語学学校生として負けるわけには行かぬと密かに気合を入れて教室に踏み込んだ。

 

 

 残念ながらこの日は僕が最も苦手とするリスニングを主軸においた授業だった。それも一日中だというのだから堪らなかった。日常会話では割と聞き取れるようになってきたものの、放送機器を使ったリスニングを聞き取るのは何故か全くできない。英語資格の入手のためには必須のスキルだ。そういうものに興味がない僕の場合は単なるやる気の問題かもしれなかった。

 

 

 

 リスニングで精根尽き果てた頃、この日の授業が終わった。もはやこの日1日は英語なぞ聞きたくないという気分だったが、海外に出ておいてそれは不可能に近かった。

 

 

 放課後、僕は先週金曜日に申請をし損ねた運転資格免許の英訳を申し込むために再びケアンズ日本領事館を訪れた。この英訳の発行を数日待った後に、今度はクイーンズランド州陸運局に足を運ぶ必要がある。

 再び重い扉を開けると先客の男性がいたため僕は待つことにした。

 

 待っている間、僕は壁に貼られているオーストラリア全土の地図を見ながらその近辺に浮かんでいるはずの木曜島を探した。しかし一向に見つからなかった。話ではケアンズのかなり近辺だと聞いていたのだが、こうなってくると怪しいと思わざるを得なかった。

 

 その間、先客の話も盗み聞きしていた。どうやら彼は既に済ませた自動車資格免許の英訳を受け取りに来ているようだった。緊張した面持ちでやたらとせっついて受付のおじさんに質問を繰り返しているのが耳についた。

 

 

 ようやく男性の質問責めが終わり、少し疲れた顔をした受付職員に申し訳なさそうに声をかけた。別に僕が疲れさせたわけではなかったが、この職員の表情には人を遠慮させる陰があった。

 

 

「こんにちは!自動車免許の英訳をお願いします。」

「わかりました。ではパスポートと日本での自動車免許を提出してください。」

「あ、その前に聞きたいのですがクイーンズランド州陸運局で発行されたオース

 トラリアの運転免許証はどこの州でも通用するのですか?まさか州ごとに発行し

 ないと行けないなんてことは…」

「それは大丈夫です。クイーンズランド州のものでどこの州でも通用しますよ。た

 だどこかの州に3ヶ月以上いる場合は改めてそちらで発行してもらってくださ

 い。その際に、在住届も出してくださいね」

「わかりました。後、陸運局でオーストラリアの免許証を発行してもらう際にはど

 うしても日本の免許証の英訳でなければ行けないのでしょうか。国際免許証で発

 行はされませんか?」

「それはうちでは分かりかねます…。ちなみに日本の運転免許証と国際免許証だけ

 でも運転はできますよ」

「それは知ってるのですが、どうやらオーストラリアの免許証を発行しておかなけ

 れば違反の際にとんでもない額を請求されると聞いたので…。」

「その話も私は存じ兼ねます。うちは発行しているだけですので。」

 

 職員とのズレが不安になり、僕はもう一度留学エージェントに確認を取ることにした。なんせ英訳だけでも24ドルもするからだ。ただ幸か不幸か英訳はやはり必要とのことだったので僕は申請をすることにした。二日後、もう一度取りに来ることになった。

 

 用事を済ませ、この日はそのまま家に帰ることにした。夜の九時から再度パーティに繰り出すつもりだったがそれまでにはあまりに時間がありすぎた。一度家に帰り、ジョセフィーナの夕食を挟んでから行こうという算段だ。

 

 

 

 

 この間、僕は司馬遼太郎の『木曜島の夜会』という短編集を読んでいた。もちろん目的は本の題にもなる木曜島についての紀行文だったが、僕はむしろその他として収録されていた「有隣は悪形にて」「大楽源太郎の生死」という歴史小説の方に釘付けとなる。

 

 

 有隣とは幕末の武士 富永有隣のことで、大楽源太郎も同時代の人物である。二人とも身近に名だたる人物が関わっている。有隣にとっての人物とは吉田松陰であり、大楽にとっては高杉晋作だ。

 

 有隣と大楽、共通するのはその「偽物性」だ。

 

 有隣は松陰に下獄の手伝いをして貰い、共に松下村塾の講師を勤めながらもその生涯、松蔭を罵り続け、「我こそは」と塾生の前でも威張り倒した。松陰が当時としては珍しい孟子の思想に傾倒することを否定し、正統派である「大学」を支持した。有隣は社会的に認められたものを無条件で肯定し、そこからはみ出すものを否定した。要するに自分を持っていなかった。多数派の意見を持ってして無思想に威張った。そういう意味での「偽物性」を有隣は持っていた。

 

 大楽も似たようなところがある。倒幕の勢いに乗るだけ乗り、自分可愛さでいざという場面では逃げ続けた。有隣との共通点の一つとしては詩を詠むのがそこそこ上手く、憂世の気持ちを詠みあげた。その才能を以ってして他の者、特に彼らのことを知らぬものを感動させた。特に有隣などはその詩の実力で吉田松陰からの尊敬を得た。しかし残念ながら彼らの思想と詩の内容が合致することはなく、それはつまり彼らが「口だけ」であるということだった。こういった点も彼らの「偽物性」を表すいい例だ。

 

 司馬遼太郎の作品では、有隣も大楽もその人生が滑稽に描かれている。面白おかしい噺のような扱いの短編なのだろう。ただ僕は彼らの生き方を自分に重ね合わせてしまう。

 

 吉田松陰高杉晋作も彼らより早く死んでしまった。逆に言えば偽物である彼らが本物である二人よりも長生きをしてしまった。言行一致は正しいことで美しいことだけれど、それは一方で人の寿命を短くする性質を持ち合わせている。そう言えば見城徹が『読書という荒野』でこんなことを書いていたのを思い出す。

 

 

 駒鳥は巣立ちして間も無く林の中を水平に一直線に飛翔するという。そして、多くの若い駒鳥が樹木に衝突して地に堕ちる。

 この隣に、僕は「水平に飛ばなかった駒鳥だけが生き残るのだ」と書き加えている。

 まっすぐに飛んだ彼ら(高野悦子や奥浩平)は、みな樹木にぶつかって死んでいった。

 自分はまっすぐに飛ばなかったために、現在まで生き残ってしまっている。そういう想いは常にある。

 

 

 

 本物であるがゆえに理想の元に死んでいった人達と、偽物であるがゆえに理想を掲げながらもその理想を行動に移せない人達がいる。

 僕はどう頑張っても偽物から脱出することはできないと思うと、自分に浅薄さに嫌気がさす。そんな自分への失望感を常に持ち合わせることが、有隣や大楽への同情にも似た気持ちを起こさせたのだろう。

 

 

 

 

 若干、気持ちのトーンが落ちながらもパーティに顔を出した。ただそんな憂鬱すらも酒を飲むことですぐに消え去ってしまったのだが。しっかりとビールとピザを頂き、酔いを確認した上でこの日は早めに帰宅をした。なんせまだ酔いが回っているうちにベッドの上で読書でもしたかったのだ。最近の娯楽といえば専らこんな感じになっていた。

 

 

 

 一方でそろそろ着実に旅の準備をしていかなければならない時期に差し掛かっていた。ホームステイ期間は出発日まで延長届けを出しておいた。一泊50ドルと割高だが、他の安宿に泊まるにしても諸経費はかかる。そう考えると同程度の支出は免れないだろう。それに何故だかわからないが一泊分は免除してもらった。何よりジョセフィーナ一家との別れが若干延期されることをどこか望んでいたのかもしれなかった。

 最近気付いたのだけれど車の貸出期間がなぜか三日延長されていた。料金は変わらず0円なので問題はなかったが、割と適当な管理に思わず笑ってしまった。

 何をするにも直前の僕は酔った頭でアレコレと必要になりそうなものを頭で算段していたもののそれもすぐに辞めてしまった。

 

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