じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

ラスト・シーサイド・ケアンズ

 ジョセフィーナ達の家にいるのは残り2日となっていたが、なかなか実感が湧いてこない。4週間という期間は、充実させるには長く、怠惰に生活するには短い。僕の場合、途中からはインドアに移り変わり家にこもり読書をしていたものだから三週目を入った辺りからはほとんど一瞬だったような感覚に陥る。

 

 

 この日あたりからそろそろ荷造りを始めなければならなかったのだが、全く気乗りがしない。フィリピンからオーストラリアに移る時も出発日の10分程度でしていたことを思い出すと、そういう点での成長はどうやらこの4週間ではなかったようだ。

 

 気乗りがしないときは無理にしても作業が雑になるからと、自分に都合のいい理由付けをしてしばらくだらだらと読書をして過ごした。

 

 

 この日は夜に語学学校で仲良くなり、将来的に車で旅を共にするユキノさんと食事に行くことになっていた。僕の方が彼女よりも2週間早く出発をするので、その前に一度会っておこうということにしていたのだ。

 

 

 ユキノさんとの夕食までにはたっぷりと時間があったので、いつかは荷造りをする気になっているだろうとたかを括っているといつの間にか日が暮れてしまっていた。荷造りは明日に回すことにしようと諦め、僕は出かける準備をし始めた。

 

 

 

 集合時間にはまだしばらく時間があったのだが、出かけるスイッチが入ってしまった僕は一本早いバスに乗ることにした。日曜日は平日と比べるとバスの数が半減してしまうので1時間前のダイヤとなる。

 

 

 

 予定よりも1時間早く到着したため僕はウールワースレッドブルと缶に入ったチューイングキャンディーを買い海岸沿いで時間を潰すことにした。レッドブルは2.85ドル、チューイングキャンディーは1.5ドル。物価高が気になるオーストラリアだが、これらの商品は不思議と日本と値段が変わらない。

 

 

 海沿いに着き、音楽を掛けながらレッドブルを開けた。普段は時間に関わらず風があり、昼間は日差しのおかげで心地いいのだが夜は寒い。だがこの日は風がなく、心地が良い。いつもならば夕方には潮が満ち始めるのだが、珍しくまだ近くまで波が来ていない。

 

 

 そういえばケアンズに来てからこの海沿いにはほぼ毎日通った。何もせず海を眺めることが多かった。周りから見ると無駄な時間に見えたかもしれないが、この時間は僕にとって大切な時間だった。どのような脳の仕組みかわからないけれど、海を眺めているとその時の僕にとって重要性を持つアイディアを閃くことが多かったフィリピンではこのような時間を教会で過ごした。

 

 鴻上尚史の『孤独と不安のレッスン』にはこのようなことが書かれている。

 

 僕は、自分で自分の思いに驚きましたが、やっぱり、無意識に考えていたのだと思います。テレビや友達や恋人という他の刺激がなかったから、なんとなく無意識に自分のことをずっと考えていたのです。

 そして、僕は一人だったからこそ、自分の一番深い部分と対話できたのです。この時、僕は、「本当の孤独」を体験していました。

 幸運だったのは、この南の島の孤独は、みじめな孤独ではなかったということです。

 南の島に、一人で来るというのは、そんなに珍しいことではありません。結果、、「一人はみじめ」と思い込まなかったので、「ニセモノの孤独」に振り回されなくてすんだのです。だからこそ、「一人であること」と直接、向き合えたのです。

 

 

 ここで大事なのは、「自分の一番深い部分と対話」する時間を持つということと、そのための環境を整えるということだ。そして僕は無意識に海や教会に通い、「本当の孤独」の中でじっくりと自分のことを考えることができていたのだと思う。確かに海沿いや教会では一人でいることに違和感はない。これが教室の隅の方とか公園のベンチでは物思いに耽るのは難しかったかもしれない。

 

 

 海外に来てから僕にとって一人でいる時間というのは欠かせないものとなった。価値観の合う誰かと喋る時間は楽しいけれど、やはり自分のことを考えるには自分一人でなくてはいけない。そしてそのような時間を持たなければ、自分のあり方がブレてしまうような気がしていた。変化は喜んで受け入れるのだが、楽な方、楽しい方にブレてしまわないようにしたいと思っていた。

 

 

 

 待ち合わせ時間も近くなり、僕はユキノさんとの待ち合わせ場所であるバス停に向かった。広い上に見通しの悪いバス停では出会うのに少し難儀したが無事合流してイタリアンレストランに向かった。思えばケアンズに来てから外食をしたことがなかった。ジョセフィーナの美味しいご飯を食べられることは、ここでの生活においては最上級の喜びだったからだ。

 

 

 ミートピザとエビのクリームパスタ、僕は赤ワインを、ユキノさんはコロナを頼んだ。コロナを見るたびに、いつか生産国であるメキシコに行きたいと思う。味がそう違うとは思えないのだが。

 

 

 僕は食事をしながら、ユキノさんのこれまでの海外旅行の話や、英語を勉強している理由などを聞いた。彼女は僕よりも海外旅行の経験が豊富で羨ましく思った。佐藤優の『十五の夏』を読んだ僕としては、特に東欧への旅行話が興味深かった。

 

 彼女は特にバルセロナサグラダ・ファミリアを気に入っているようだった。海外に住みながら海外文化については全くと言っていいほど疎い僕は、この教会のことについては「一生完成しない教会」という情報しか持っていなかった。それにあと9年で完成をするということらしいので、どうやら唯一の情報も間違っていたようだ。

 

 

 彼女と僕の共通点で言えば、互いに旅行先についてはある程度勉強をしていくという点だろうか。僕は昔からそういう癖があった。小豆島に行く際は、『二十四の瞳』の映画と本をどちらも鑑賞したし、最近で言えば木曜島に行く予定もないのに行くことを想定して司馬遼太郎の『木曜島の夜会』を読んだ。彼女はドイツに行く前に8本ほどドイツに関する映画を見たというので驚きだ。

 

 

 ドイツ映画となるとやはりナチスアウシュビッツに関する映画が多い。彼女が教えてくれたのはーータイトルは聞かなかったか、忘れてしまったがーーこんな内容の映画だった。

 

 

 ドイツの収容所で働く父親とその妻、そして子供の3人家族がいた。両親は子供に収容所については伏せながら、「あの施設には近寄ってはいけない」と警告をしていた。子供はその約束を守っていたが、ある日収容所付近に近づいてしまう。するとフェンス越しに同じ歳ぐらいの男の子がいて、その子と仲良くなる。男の子は収容所の中に入りたくなり、友達に囚人服を借りて忍び込む。不運なことにその日はその友人を含む囚人達がガス室に送り込まれる日だった。そして男の子もその友人とともにガス室に送り込まれてしまった。

 

 

 実話かどうかはわからないが、何とも悲しい話である。

 

 

 その後も互いの身の上話をして、喋り足りなかった僕達は海沿いに向かった。海外に来て以来、一人の時間が多かった僕は久しぶりに沢山の話をユキノさんに聞いてもらった。そして彼女の話を沢山聞いた。

 

 彼女にはいい意味で把握しかねる矛盾のようなものを持ち合わせていた。行動的でもあり、保守的でもある。極端に振り切れやすい僕とは全く違う感覚のような気もするし、話を聞いていると共感する気持ちも抱いた。長い時間、好き勝手に互いのしたい話をしていたような気がするけど、それが心地よく感じた。

 

 

 僕が人と長く話して、心地いいと感じるのは珍しいことだった。それはひとえに僕が人に気を遣いすぎて気づかれをしてしまうか、他にやりたいことがあって話を聞くのが耐えられないかのどちらかの理由が起因していた。この日はそんな感覚を持つことなく、語り合えたことが何よりもありがたいことだった。

 

 

 思えばケアンズの海沿いで物思いにふけるというのもこの日で最後となる。そう思うとケアンズから離れるのは少し寂しい気持ちもする。