じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

クリスタル・デイ(『インドクリスタル』の書評兼日記)

 ケアンズ3度目の日曜日、ポーラとトムがいよいよ新居に引っ越す日だ。先週1週間を使い、少しずつ家具類を運び込んでいた転居準備も終わり、今日から彼らの新生活が始まる。この間、引越しの手伝いをした時のトムの不満が少しでも解消されたのかどうか、勝手ながら心配をしていたが表情からは伺えない。

 

 

 彼らがいつ仕事から帰り、いつ出発するのかがわからなかったのでこの日は一日家にいようと決めていた。また会えるだろうとは思うが、ホームステイ期間の中で言えば顔を合わせるのは最後になるだろう。区切りをつける意味でもしっかりとお別れを言っておきたかった。

 

 思えば彼らのあっけらかんとした明るさにはだいぶ救われてきた。家に帰るとトムが「カムカムイート!(来い!食え!)」と夕食に誘ってくれて、夕餉を共にすることがたくさんあった。聖書を開いて理想論を述べる一方で、お布施から逃げたり、新居の確認をせず後から文句を付けると言った抜きん出た人間臭さを持った可愛いおじさんだ。ポーラともよく食事を共にしたし、何よりもよく一緒に歌を歌った。それもコマーシャルソングだった。特定のコマーシャルが流れると打ち合わせしたわけでもなく二人でデュエットをして笑いあったのはいい思い出だ。

 

 

 

 

 そう言うわけで家から一歩足りとも出ないと決め込んだ僕は『インドクリスタル』を読み切ることを本日の課題とした。

 

 

 

 2014年に出版されたこの本の題材は、東日本大震災放射能、女性の社会進出、スマートフォン等、熱い話題が盛られまくった上にインドが舞台の小説だ。行ったことのないインドの様相が浮かび上がって来る情景描写がかなりリアルだ。これは面白い。

 ただ一方で序盤から違和感を覚えていた。登場人物の中に「ロサ」というインドの先住民で14、15歳ほどの女の子がいる。彼女のセリフだけやたらと説明口調で、齢の割に大人びている。どうしてもそれが気になって集中できない。では他の登場人物のセリフがどうかというと、至って普通なのだ。だからこそロサが喋るたびに気が散ってしまう。ロサのセリフだけが世界観から乖離している、そんな感じがした。その感覚は読み終わるまでなくなることはなかった。

 

 僕はこの本を読み終わった後、ふとこの違和感は作者が意図して起こさせたものではないのかと推測した。その理由を説明するには多少の時間を要する。

 

 先住民「ロサ」は幼い頃からインドの社会制度や女性の立場に翻弄される。生まれる前から神という立場に規定され、その役目を終えるとインドにおける女性としての生き方を強いられる。その後も使用人として自分の意思とは無関係に生き方が決められる職に就く。その立場から逃れるために彼女は様々な策を弄する。

 これはロサというキャラクターに代弁させた社会的弱者、または社会進出のままならい女性の意見なのではないかと思ったのだ。だからこそセリフが物語から乖離し、ロサの言葉は一層際立って見えるようになる。

 

 これは両性に当てはまることだが「男としての幸せ」や「女としての幸せ」という社会的に規定された常識がある。女性はいち早くその常識の理不尽さに気付き、行動を起こしていると思う。往往にして男性の多くは未だに社会的イメージから脱却できていないと思う。家族のために仕事一筋で働き、つまらない大黒柱というプライドを誇示しようとするのは男性ではないか。外でどれだけ働こうと、家庭を大切にできなければそれは男ではない。

 僕は別にフェミニストではないけれど「男として」とか「男らしく」という言葉は嫌いだ。それによって多様な生き方が否定される気がするからだ。

 

 ロサの芝居がかったセリフはもしかすると、そのような意味合いがあるのではないかと思いついたのだった。

 

 

 

 

 そんなことを考えているといつの間にか日が暮れていた。今日はほとんど半径50cm以上の外界に面していないことに気付き、リビングに向かった。ジョンとジョセフィーナが菓子を食べていたので僕もお供することにする。

 

 菓子をたらふく食べてしばらくするとポーラとトムがいつの間にか帰ってきていて、その上もう出発するということだったので見送りに出た。いつの間にかジョセフィーナは僕のことを「トムの弟」と茶化すようになっていた。年齢は三回りほど違うのだがこの際気にしない。

 

 

 外に出て最後の荷物運びを手伝い、彼らと固く握手をする。

 

「ありがとう、トム。一先ずお別れだね。はっきり言って寂しいよ。」

「ありがとう、ヒラ!ケアンズから一旦出るんだな?戻ってきたら新居に泊めてや

 るよ。軒先でもよかったらな…いや、冗談さ」

 

トムはいつもの笑顔で豪快に笑う。

 

「まあ、軒先でもいいよ。また会おう。必ず泊めてくれよ」

「もちろんだ。ポーラにでも俺にでもいつでも連絡するといい。待ってるよ」

 

 

 そう言って会話を終えるとそれぞれとハグをした。彼らはフォレスターとピックアップカーにそれぞれ乗り込み、車を発進させた。僕は車が見えなくなるまで手を振っていた。

 

 

 見送りが終わるとジョセフィーナはいつの間にか部屋に戻っていた。僕と違っていつでも会える彼女としてはそこまで別れという感じではないのだろう。僕は彼女に会釈をして部屋に戻り、少しだけ彼らとの別れに浸ると『インドクリスタル』の次に読む本を物色し始めた。迷った結果、司馬遼太郎の『木曜島の夜会』を選んだ。

 

 

 以前にも書いた通り、木曜島はケアンズの近くに浮かぶ離島だ。過去、多くの日本人が白蝶貝と真珠の採取のために渡豪し、そして700名ほどが命を落とした。現在はほとんど日本人が残っていないらしいが、それにしてもあまりにもこの島は日本との関係を持ちすぎている。いずれオーストラリアにいるうちに訪れてみたい場所の一つだった。そんな興味でこの本は以前から読みたいと思っていた。と言っても読んでいるうちに寝落ちをしてしまった。