じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

承認欲求を自分で満たす

この間書いた仮想敵と関連する記事です

hira-jasorede.hatenablog.com

 

 

自分がしている行動の裏で、どこか他人へのマウンティングを意識していることがあります

それは自分の承認欲求が、自分で満たすことができていないということです

 

例えば、

1 SNSで今日あったことなどを投稿して記録する

SNSで写真や記事を発信するのは他人がしていないことを自分はしているという自慢

 

2 トレーニングのために英語だけで生活をする

日本人の学生に対しても英語でしか喋らないのは、その人達よりも勉強を頑張っているというアピールやマウンティング

 

3 ローカルな人達と親密になって遊ぶ

語学学校以外の場所でローカルな人たちと親密になっていることに希少性を感じて、どこか自分の特権のように感じる

 

 

 

ただ自分が楽しくてしていることの裏で、他人を意識して、

勝手に勝ったつもりになって承認欲求を満たそうとしている気持ちに気づきます

 

僕はこの気持ちを無くしたいのです

 

 

(勝手に競争をしかけて)勝ったつもりになった時は感情的に満たされるものがあるかもしれません。でもそれに意味なんてないですし、競争を始めると自分より優れた力を持っている人なんていくらでもいるので、結果として自分の承認欲求が満たされることが永遠にないからです

 

 

 

僕は圧倒的に自分だけを見ていたいです

そうすれば純粋に自分の積み上げたものを感じて自分の成長を楽しめるからです

 

まだまだ僕の英語力は拙いです

周りを見ると自分より英語が喋れる人はいくらでもいます。そして焦りを感じます

 

でもそんな時、僕は頭の中でテトリスのような空間を想像します

自分のために、自分の成長(ブロック)をコツコツ積み上げていくイメージです

そこに他人はいなくて、他人が優れていようと劣っていようと関係がない

 

 

自分が楽しくて、やりたくて、やるべきことだけをやる

決して他人や他の物を自分の承認欲求を満たすためだけに利用することはしない

 

 

 

過去、語学学校の校外活動で地元の小学校を訪れた時、

訪問先でたくさんの小学生が迎えてくれました

こちらの学生の中で一際、小学生達と仲良くしている人がいました

小学生達も彼のことが好きになって活動時間、目一杯彼と遊んでいました

僕の目には、彼の小学生への距離の詰め方が過剰に映りました

 

子供が好きだという気持ちと、

子供と一際仲良くしている自分に優越感を感じている気持ちの二つを

彼の中に感じたのです

 

それが本当のことだったかもしれませんし、

そう捉えることによって彼にマウンティングをしていたのかもしれませんし、

彼に聞いたわけではないので答えは出ないのですが、

少なくとも批判の気持ちはありません

 

 

それよりも

彼の姿が自分の承認欲求の満たし方と被って見えて、

自分への自省と、

他人を利用せずに自分だけで承認欲求を満たすためにはどうすればいいのかを考えていました

 

 

「承認」という言葉は、自分と対する何かの存在を前提としています

僕はそれが他人ではなく、自分でありたいのです

自分が自分を承認することができれば、無駄な消耗や勝負をしなくて済むからです

 

どうすればそこまで達観できるのでしょうか

 

他人と比較をしようとした時に自省をする、という水の掛け合いのようなことを繰り返した先に、他人との比較なしに承認欲求を自分で満たすことができるようになれるとは思えません

それに他人との関わりをなくすことはできませんし、僕は他人と関わり続けていきたいと思っています

 

他人とは関わる。でも比較はしない。

自分を満たすために他人を利用しない。

 

これが僕の今の承認欲求についての命題です