じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

大人のイヤイヤ期

一定のスパンで全てが面倒になって人間関係をリセットしたくなることがある。これを僕は「人間関係リセット癖」もしくは「大人のイヤイヤ期」と名付けて悦に入っていることがあった。リセットするだけの人間関係を構築できていないので、何かに面倒臭くなっているだけなのだけれど僕はなぜかそういう時期に差し掛かっていた。

 

昔から目的のない会話が苦手で、そういうものが得意な人を尊敬しながらも、そうはなれないことも分かっていて特に日常会話を上達させる技術とか磨いたり、そういう類の本を読んだりすることはなかった。まあ「人間関係を築いたり、構築するのが目的」と言われたら返す言葉はないのだけれど。

それに僕は仲良くなるべくして出会う人は努力しなくても仲良くなるものだ、という顔に似合わないロマンチストでもあった。

 

 

 

と、そんな悪循環にはまり込んでいる僕に朝から朗報が一つあった。

昨晩のリロケーションシステム申請が通り、10日間のドライバー権が手に入ったのだ。知らせはメールで届いたのち、レンタカーショップから電話で確認のための連絡が入った。相変わらずの早口英語にわたわたとしながら、なんとかクレジットカードの登録を済ませ、契約を確定させた。

 

日程は7月17日から26日、その10日間をかけてゆっくりとシドニーへ向かうことになる。その間にゴールドコーストブリスベンなどの主要都市を通過できるだけでなく、もう少しローカルな町々に滞在することも可能だ。そうなれば何かしら面白いこととの出会いも期待できそうである。

 

 

 

何を隠そう最近、僕はこの生活、特に語学学校に通うということ自体に退屈さ、ともすれば苦痛すら感じていた。別に誰に頼まれて通っているわけではない。自分の意思で通っているのに違いないのだが、金を払った手前、というかそれを自分への言い訳にしながら何とか毎日足を運ぶという何とも情けない有様であった。そして思い切って他のことに挑戦できない臆病な自分に嫌気がさすというジレンマに苦しんでいた。

そういうわけだから、もちろん授業にも集中できず僕は発表を積極的にすることで無理やり授業に自分を参加させるという強引な方法を採らざるを得なかった。

 

 

ちなみに僕が通う、このCCEBという語学学校の名誉のために言っておくが決してこの学校が悪いわけではない。指導を熱心にしてくれるし、放課後の様々なアクティビティにもかなり力を入れている。それに週二回ピザとビールが飲食し放題という生徒の心掴みまくりなパーティを主催しているのだ。それに加え今週は放課後に二回もピザを生徒に提供するという大盤振る舞いだ。ここまで生徒を魅了する学校もそうなかろう。

何やら評価基準がピザに大きく左右されている気がするが、人間の心などこのように現金なものなのだ。

 

 

つまりここまでの長文を労して何が言いたいのかというと、見事に僕は「大人のイヤイヤ期」に差し掛かっているということだ。だからこれは自己責任であり、またそれを解決できるのも自分だけだという事を分かっているのだ。

 

ここに来て僕は日々にメリハリがあることの大切さを強く思い知った。それは気分の問題だけではなくて、一つ一つの作業効率にも大きく影響を及ぼす。仕事をしていたときだってそうだ。生徒が学校から帰った後に無限に時間があると思って仕事をすれば優に11時を過ぎることがある。この時間までに必ず終わらせて、帰ってある時間から必ずすることを決めておけば作業能率は爆発的に上がる。僕の場合は、帰宅後の7時からをゲームと海外ドラマに当てていたことで突発的な出来事がない場合は必ず7時には帰宅することができていた。

 

その法則は学校にだって当てはまるはずだ。フィリピンでは放課後に徘徊とつまみ食いをすると決めていたので夜の勉強時間はなく、そのため授業で極限まで英語力がつくような工夫を取り入れていた。それが生活の中のメリハリに繋がっていたと思う。

 

 

書いていて分かった。今の僕に足りないのはメリハリなのだ。日常生活と授業の枠が溶けて来ているのだ。だからこそ意識が切り替えられず結果として「イヤイヤ期」が到来したのだ。ということで僕には、放課後何かしらの活動を設定する必要がありそうである。

 

 

 

放課後は、僕より一つ上のクラスで勉強をしているショウゴに出会った。彼の印象は、その控えめなキャラクターとは反対で僕の中に印象深く刻まれることとなる。

 

彼も僕と同様で教師だったらしい。ただ彼の場合、大学院に通いながら保健体育科の講師をし、卒業と同時にJAICAの青少年海外協力隊に参加して日本人教師としてボリビアに2年滞在したらしい。実は僕も教師3年目にJAICAの海外日本人学校に行くための面接を受けたのだが、見事に玉砕している。この時点で僕は彼に尊敬の念を向けた。この取り組みは実はかなり倍率が高く、各都道府県がそれぞれ募集しているのだが、一年に各都道府県から1人行ければラッキーだというほどである。

 

少しだけ、このJAICAによる海外日本人学校派遣について記しておくと、前述の通り倍率が高い。それに通ったところでどの国に派遣されるかはわからない。西洋のお洒落な国を夢見て申し込んだら、アフリカの水道も満足に通らない国に派遣されることになった、なんてこともざらにある。

この取り組みは毎年、4月初旬に管理職から全職員に通達をされるのだがこんなものに申し込むのは高い志を持った者か物好きな変人ぐらいしかいないので、その通達も気の無いものとなる。よって聞き逃して今年度の申し込みが遅れてしまった、なんて人もきっと多々いるだろう。ちなみに僕は変人の方に属する。

希望書を健康診断などと共に提出した後、いよいよ受験となる。事前に一応、志望理由や志望する国、逆に行きたくない国などを記述する紙も提出している。面接はこれによって行われる。

 

試験会場は僕の場合、京都府庁の中にある教育課の3階、いかにもという感じの暗い待合室で10人ほどの受験者とともに机に座って待つ。僕のように若い受験者もいれば、管理職ではないだろうかと思うようなしっかりとした身なりのおじさんもいた。話を盗み聞きしていると、今日修学旅行で京都市内に出て来ており、それを抜けて駆けつけたという猛者もいたが、京都府内の学校で修学旅行に京都市内に来るとは、他県に連れ出せないほどの荒れた学校なのかもしれない。というかそれほど荒れているとしたら修学旅行を敢行すべきではないと思うのは僕だけか。

 

再び志望理由書のようなものを書き終えた後、面接試験に移る。僕一人に対して面接官のおじさんが3人。このおじさん達にはあまり日本人学校で働いていたような雰囲気は感じられなかった。教員採用試験の時に比べると、面接に対して全く準備をしていなかった僕は思いつくままにベラベラと話をした結果、前述の通り見事に玉砕をしたということだ。ちなみにこの年は京都からは一人も派遣者は出ていないらしい。僕はいいとして、どこから入手したのか何やらテキストのようなものを読んでいた熱心な女性教師やオーラの有り気な管理職のおじさんすら通過しないのだから僕は一生派遣されないだろうとこの時悟ったのだった。

 

 

 

 

話をショウゴとの出会いに戻そう。そういうわけで彼はすでにボリビアで2年間の海外生活を経験していた。その後もマルタというイタリアの近くの離島で英語を勉強し、欧州を旅行。日本に戻って来て再就職をした後、今度はここケアンズの語学学校にて英語の勉強をしに来たらしい。

特に海外での経験が豊富で参考になりそうな話をいくつか聞かせてもらった。僕より年齢が二つ上だということを差し引いても、なかなか面白い経歴を持った人物だった。彼は将来的には日本でゲストハウスを持ちたいらしく、その中で自分の経験を伝えていきたいとのことだった。僕は彼の大志を密かに心の中で応援しておいた。

 

 

 

そんな彼との出会いもあってか、宙ぶらりんな僕の現状に多少なりとも翳りを感じていた。僕にとってこれをやりたい、と自信を持って言えることは少ない。否、ここオーストラリアにおいてはそれを見つけられずにいたのだ。この出会いがきっかけとなって僕は翌日奇行に走ることになるのだが、それはまた明日の日記に記そうと思う。

 

 

 

 

熱烈にハマれることがあればどんな自分だって正当化することは簡単だ。だって楽しいのだから。現代において人にとって一番苦しいのは、自分が好きなことが見つけられないことだと僕はわかっていた。それが贅沢な悩みであるということも知ってはいたが。

特に先進国ではなかなか金や物に困ることはない。昔ならばそれで十分だった暮らしが物で溢れていくにつれて、新たな悩みを見つけ出そうとする。それが人間というものだと思う。そしてその新たな悩みが「好きなことがないといけない」という一種の強迫観念ではなかったか。

 

しかし今更、「好きなことがないといけないなんてのは幻想だから、これからは淡々と生きていきます」なんてことができるはずもない。気づいてしまった欲求には応答する義務が自分に対してはあるのだ。

 

だからこそ次の目標を素直な欲求から打ち立てている人たちを見ると眩しく感じると共に、自分の中に影が生まれるような感覚があるのも事実だ。

 

 

 

 

 

この日、家に帰ったのは午後6時ごろだった。家の前にはタンスなどを積んだトムの車が止まっていた。トム、いよいよ引越しするんだな。

家に入ると珍しくジョセフィーナが料理しているタイミングに立ち会うことができた。彼女はいつも5時ごろには料理を作り終えていだのでこうやって料理をしている姿を見るのは思えば珍しいことだった。と、いうことで彼女に一言断りパシャりと写真を撮らせてもらった。

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この日の夕食はミートボールと焼き鯖、それに豆のスープだ。ちなみに上の写真はフライパンいっぱいにミートボールを焼いているところである。ミートボールはそれ単体で十分美味しそうなのだが、トマト・玉ねぎと共にトマトソースで炒められる。ミートボール自体にチーズが含まれているのか、トマトソースの強い酸味にチーズと肉の甘みがかなりマッチしている。焼き鯖は手のひら一つと半分ほどの大きさのものの丸焼きだが、頭と苦い内臓の部分を避けると意外と食べるところは少ない。シンプルに塩で味付けされており、日本で食べる焼き鯖と差異なく、ご飯とよくあう。豆のスープは粒状の豆とペースト状の豆が入っていて、意外とこってりしている。これならばベジタリアン達も満足できそうな一品だ。

いつもは帰宅するとご飯が出来上がっており帰ってくるとそれをいただく、という流れだがこの日は料理工程を見ることができたからか、余計に彼女の夕ご飯が美味しく感じた。僕は素直にホストハウスから出ていけばジョセフィーナの料理が食べられなくなるので寂しいと伝えると、彼女は「私と別れることは寂しくないの?」と茶化されてしまった。

 

 

 

食後、ジョンとジョセフィーナはまたカジノに出かけていった。帰郷中のレイモンドもどこかに出かけており、トムとポーラは新居の整理に行っているようだ。家には僕と爆睡中のラッセルしかおらず静まり返っていた。食後、僕は黙って食器を洗うと寝室に向かい読書をしていた。するといつの間にか寝てしまっていた。