じゃそれで(Up to you)

オーストラリアで旅をしながらお仕事をする生き方を実践しています。

祖父の命日に

正確には七月二十七日が祖父の命日だった。生前最後にあったのが七月二十三日、祖父が血液の感染症にかかり入院していたのを見舞った時だ。亡くなる四日前、祖父は宇宙の勉強にハマっていた。

 

 

 

生涯学習なんて言葉が出てくる前から祖父はその生涯を好きなことへの学習に費やしていた。古くはカメラ、そしてパソコン。僕がプロレタリア文学を研究していた時にはマルクス資本論を語ってくれた読書家でもあった。

 


確か八十九歳だったと思うが、病院のベッドの上で僕にこれから宇宙の謎を解き明かすのだと嬉しそうに語っていた。そんな祖父だったが、宇宙の謎を解明する前に亡くなった。

 

 

 

その頃僕は仕事を続けるかやめるか迷っていた。祖父の亡くなる三週間前に一度退職届を出したが、色々な経緯で戻り、迷いながら働いていた。

 

 

 

祖父の死は僕の退職への意志を固めた。あれだけやりたいことがあっても死ぬ時は死ぬのだ。それならこんな現状は変えてしまえと思ったからだ。

 

 

 

今更後悔しても仕方がないのだが、祖父に仕事観や人生観を聞いたことがなかった。いつも気楽で楽しそうに生きている祖父だったが、死後、親戚の話から辛い幼少期を送っていることがわかった。それでもなお、僕の覚えている限りでは人生を楽しんでいた。

 

 

 

 


人の死に意味なんかないのだけれど、他人が意味付けをすることはできる。

僕にとっての祖父の死は、明らかに人生の転機だった。迷いを断ち切る機会をくれたのだとはっきりと分かった。

だから僕は祖父の死を引きずらないし、むしろ僕の選択を心の中で肯定してくれている存在だ。

 

 

 

祖父の死から本当に色々あった。教師をしている時の一年後は簡単に予想できたけれど、あの頃の僕が今の僕を、そして今の僕が一年後の僕を想像することは難しいがそれでいいと思っている。