僕の思う「知足」 自分の好きなことを削り出していくということ
最近気づいたのは、やりたいと思ったことをできるだけ早く消化していくことで、
2つのメリットがあるということです
1つ目は、次のやりたいことが自然と出てくることです。
やりたいことを先送りにしていると、
いつまで経ってもそのことを考えていて効率が良くないですし、
新たにやりたいことを生み出しにくいです。
2つ目は、色々経験することで好きなことが明確になるということです。
好きだと思っていたことが、実際やってみるとそうでもなかったり、
沢山の楽しかった経験の中に1つの共通項があって、
その共通項が自分の本当に好きなことだったり。
僕の場合は、フィリピンに来てから色々行動する中で、
ローカルな食べ物やストリートフードを食べるのが好きなのだと気付きました。
気づきの段階は、
1 その辺を歩き回るだけで楽しい
2 特にローカルな場所が楽しい
3 ローカルな場所で何か食べたり買うのが楽しい
4 気づけばローカルな場所に足を運び、ストリートフードを食べまくっている
というもので、リアルタイムで今日「段階4」に至りました
もちろんバイクでその辺を走っているだけで楽しいのですが、
気付けば何かしらを食している自分がいて、
僕の好きなものの定義は、
空気と同じで普段自然としているから気付かず、でもなければ苦しいものです
多分他の人は普通に学食を食べているだけで充分なのですが、
食欲以上に僕の嗜好性がストリートフードに向いているようです
やっぱり人間自分の好きなことをしている時が一番幸せです
でもこれまで僕は何が好きなのかよく分かっていない状態でした
そして自分の好きなことを見つける唯一の方法は、
とりあえず思いついたことをやってみるということなのだと思います
イメージでいうと、彫刻家が大きな岩を少しずつ削って像を掘り出していく感じです
段階4がゴールかもしれないですし、
もしかしたらさらに段階5.6.7と続くかもしれません
今はまったくイメージがつきませんが、
思えば段階2の時には、段階3も4もイメージがついていなかったので
まだ先があるかもしれないと思うと少しワクワクします
追記
最近、記事の量が増えているのも、思いついたことをすぐにまとめているからです
昔から頭の中で常に似たようなことを考えてきました
今はそれを言葉にしているだけです
行動をして好きなことを見つけるということと
言葉に出して見て自分の思考を自覚するということは
似ているように思います
「知足」という言葉がありますが、
謙虚に生きるということじゃなくて、自分が何が好きで何をしている状態であれば満足なのかを知ることが本当の「知足」なのではないかと思います
僕の場合、
今は授業を思いっきり受けて(これもアウトプット=発散の時間になっています)
放課後は思いっきりローカルを楽しんで、
その日考えたこと、思いついたこと、気づきを文章にする
ということができていれば「知足」の状態に至れます
自分は自分が思うよりも経済的な人間だったのかもしれません
人は自分がどういう状態であれば満足なのかを無自覚であるほど
お金や時間、物を浪費し、永遠に満足を得ることができないと言います
昔の僕はまさしくそうだったなと思い、
とにかくお金を使って、服を買って、車に乗りまくって、
多くのものを浪費して来ました
それも必要な過程だったと思いたいですが実際どうかはわかりません
でも今は明確に目的が決まっている分、最小限の消費でそこまでに至れます
とても効率的で無駄のない生き方だなあ、と自分で思います
今後、好きなことや自己表現方法の形は変わったとしても
(というか同じことやものに長期間停滞しているとすれば成長していないと言えます)
常に「知足」の状態に至れていれればと思います